9話 萌恵ちゃんの様子がおかしい
とある休日の朝、近所を散歩している最中のこと。
異変に気付いた。
正確には、家を出るまでに膨らんでいた疑念が自分の中で決定的なものへと変わった。
「んふふ、今日もいい天気だね~」
萌恵ちゃんはいまにも鼻歌を奏でそうな上機嫌で、私の側頭部に頬ずりする。
私の身長が同年代の平均ぐらいあれば、頬で萌恵ちゃんのふにふにほっぺの感触を味わえていたことだろう。
口惜しい思いはさておき。
いくらスキンシップ過多で日頃から私の煩悩を刺激しまくっているとはいえ、今日はさすがにおかしい。
目を覚ましたら目の前で柔らかく微笑む萌恵ちゃんがいて、「おはよ、やっぱり寝顔もかわいいね♪」と囁かれて心臓が止まるほどドキドキさせられた。
朝食の際も、いつもは対面に座って食べるのに、今日はなぜか横並び。
布団を干したり歯を磨いたりするときもなにかとベタベタしてきて、トイレを除けばいまに至るまで常にそばにいる。
もちろん私としては嬉しい限りだけど、易々と受け入れるのは難しい。
「萌恵ちゃん、今日はいつにも増して距離が近いね。なにかあった?」
自分は勘が鋭いと錯覚していた昨日までの私なら、萌恵ちゃんに惚れられて相思相愛になったのだと痛々しい妄想を現実と履き違えていたことだろう。
だけど、盛大な失敗を乗り越え、経験を自らの糧として成長できた。
さりげなく問いを投げ、必要な情報を集めていく。
「ん~、べつに? 真菜の近くにいたいだけだよ」
「そ、そっか」
返答の一つでこちらの心を撃ち抜くなんて、なんと末恐ろしい。
心臓の鼓動が速まるのを、深呼吸でどうにか抑える。
「ごめんね、ベタベタしちゃって。嫌、かな?」
嫌なわけないよ! むしろもっとベタベタしてくれてもいい!
あぁあぁあぁああっ、萌恵ちゃんかわいいよ! かわいすぎてヤバいよ! うわああああぁぁあぁぁっっ!
落ち着け真菜、冷静にならないと。
わずかに残った平常心を総動員して平静を装いながらも、萌恵ちゃんへの愛情が脳内で爆発を繰り返している。
「ううん、全然。いつもと様子が違ったから、ちょっと気になっちゃったの」
ふぅ、なんとか普通に対応できた。
新生活が始まって短い期間で数々の修羅場――主に己との戦い――をくぐり抜けて来たけど、今回はその中でもかなりハードだ。
まだ油断は禁物。なにが起きても理性を保てるよう努めよう。
「よかった、あんまりくっつきすぎると暑苦しくないかなって不安だったんだよね」
「今日は気温もそんなに高くないし、大丈夫だよ。萌恵ちゃんこそ平気?」
「うん、平気! むしろ元気が湧いてくる!」
「あはは、それはよかった」
はぁ……好き。
油断すると表情が緩んで蕩けて顔のパーツが落ちそうだ。
「あのね、真菜。ちょっと変なこと言うかもしれないけど、聞いてくれる?」
「もちろん」
萌恵ちゃんの口から出る言葉なら、「実は恋人ができたんだ」みたいな内容でなければ喜んで傾聴させてもらう。
「自分でもおかしいなって思うんだけど、真菜にもっと甘えたいなって」
「甘える?」
「うん。なにもなくても、ぎゅう~って抱きしめたいし、抱きしめてほしい。一緒に歩くときは手をつないだり腕を組んだりしたいし、真菜の笑顔を誰よりも近くで見たい」
こっ、これはまさか、こっ、こここっ、告白!?
れれれ、冷静にならないと。
もともとスキンシップは多い方だし頻度が上がるだけで規模が変わるわけじゃない。
あれだけ恥ずかしい勘違いをしてから一日しか経ってないんだから、都合のいい思考は徹底的に排除しなきゃダメだ。
「なんだ、そんなことか。遠慮せずどんどん甘えていいよ」
我ながら秀逸な返答である。
あくまで恋愛感情を隠しつつ、それでいて本音で答えるという完璧な方法で凌ぐことができたのだから。
「んふふっ、真菜大好き~」
と、尊い……。
「萌恵ちゃんは甘えん坊だなぁ」
「うっ、そう言われると恥ずかしくなってきたかも」
「前から思ってたけど、萌恵ちゃんって猫に似てるよね」
幼い頃から薄々感じていたことだ。
昨日、萌恵ちゃんが自分で似たような例えを用いたことで、改めて明確なイメージに変わった。
飼い主にすごく懐いている猫。
遊んでほしくてじゃれ付いて、自分ではない誰かに構っているのを見ると嫉妬して甘えてくる。
しっくりくる表現に行きついてモヤモヤが晴れた反面、好意ではあっても恋愛感情とは似て非なるものだと明確になって、少しだけガッカリしてしまう。
「猫かぁ……真菜とお散歩楽しいにゃ~」
「か、かわいい」
町をぐるっと回ったからそろそろ帰ろうかと思ってたけど、これはもう一周せざるを得ない。
「最後にコンビニでデザート買って帰ろうか」
「わ~いっ、デザート食べ放題だ!」
「そんなに買えないよ……」
節約を気にしていた萌恵ちゃんはどこへ行ったのやら。
でも、今日ぐらいは奮発してもいいかな。
以前のままでも充分に幸せだったけど、萌恵ちゃんがもっと甘えてくれるようになった。
恋人みたいなことはできなくても、二人の関係は進展したと言っても過言ではないはず。
「んふふっ。また半分こしようね、真菜」
萌恵ちゃんの提案に、私は迷わずうなずいた。
まだ午前中だけど、すっかり休日を満喫した気分だ。
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