06.愚かな殉教者
犯人はサロメ――ロビンの言葉が脳裏を過ぎる。
資料を整理する手を止めて、大きな溜め息を吐いた。先ほど届けられた検死結果は、彼の言葉を裏付けるものだった。
DNAから判断すれば、傷つけられた人数は5人。指や手を切った人間はともかく、首や胴体を切り離された者は死んでいる為、3人の死亡は確実だった。
死体に付着した土を分析した結果、同じ場所で殺害もしくは切断したと思われる。付着した土は同じだった。
ゆっくり椅子に腰掛けた。
死体をバラバラに解体するのは、ひどく骨の折れる作業だ。
大型であれば、魚程度の背骨すら切断するのに苦労する。それが人間ほどの太さを持つ骨となれば、言わずもがな……かなりの労力が必要と推測できた。
コウキに恨みがあり殺人犯に仕立てようとするなら、銃で撃ち殺した死体をひとつで用が足りる。そのほうが信憑性もあるだろう。
細身のコウキが複数のバラバラ死体を作り上げるには、時間と労力、協力者が必須だ。
死体の死亡推定時刻はほぼ同時刻。これは犯人が複数の可能性も示唆していた。
死体損壊は、殺害後まもなくと思われる。死後硬直が始まる頃に切断され、血が凝固してから運搬されたと思われた。
検死結果を淡々と分析し、コウキはゆっくり目を伏せた。
隠すつもりなら使用されている研究室ではなく、北側の旧校舎が適している。つまり死体を隠すつもりはなく、見つけて欲しかったのか。だが見つけさせることが目的なら、もっと楽な場所がいくらでもある。
考えを纏めようとすればするほど、逆に混乱してしまう。
犯人の意図がわからなかった。ロビンの言う『犯人はサロメ』の意味も理解できない。
大きな溜め息が漏れた。
窓の外に目をやれば、大きな夕陽が沈んでいくところだった。まるで血のように真っ赤な色で世界を染める太陽が、ビルの間に飲み込まれていく姿は禍々しい。
不吉な印象を与える夕陽が、憂鬱な気分に拍車をかけた。
「愚か、いや無様なのか」
手元の資料に視線を落とし、ロビンは呟く。声は音にならず、空気をかすかに震わせて消えた。
犯人の意図は簡単に読める。何を求めて事件を起こしたのか、人を刻んだ瞬間の愉悦や歓喜まで読み取れた。感情ひとつで共食いや同族殺しをする動物は、人間しかいない。
稀にメスを争って戦い、その傷が元で死ぬこともあるだろうが、あくまでも殺すことが目的ではないのだ。
身食いするように、同じ種族を手にかけて赤い血を浴びる……狂気を内に秘めて生きるのは『神が放牧する愚かな羊達』だけだった。
深呼吸して三つ編みの穂先を指でくるりと回せば、口元は自然と弧を描いて笑みを作った。
おかしくてたまらない。
手が届かない幻に躍らされる犯人、こんな簡単な事件も解決できず混乱する捜査員、結果を理解したくせに知らぬ振りをする稀有なる羊も……すべてが道化のようだ。
何より、ここまで執着された己自身が嘲笑の対象だった。
「愚かなるかな、愛しい『サロメ』よ。望むまま『殉教者』に止めを刺すがいい」
眉間に右手を寄せ、胸の前で大きく十字を切る。その口元の笑みは楽しそうに刻まれたまま。
検死に関する書類をじっと見つめ、ロビンの言葉を思い出す。
『死体は5体。腕を切り離された胴体と頭部で1体、胴体のみで2体、3体目は頭部のみ、腕で4体、最後に指で5体…殺害現場は屋内、だが絨毯もフローリングもない土の上だろう』
床も絨毯もない屋内環境は限られている。納屋のような場所だろうか。土がむき出しでありながら、屋根や壁に覆われて周囲から隔離された環境。殺害時の物音や悲鳴も届かないとしたら、農家や牧場の可能性もあった。
郊外? そこから町の中心部にある大学研究室まで運んだのか?
『同じ場所で5人は殺傷されているが、腕の持ち主は生存している可能性がある。指の持ち主は水の中から見つかる筈だ』
腕を切り落とされて生きているとしたら、治療を行った筈だ。少なくとも止血しなければ、出血多量でショック死するだろう。
病院で治療すれば、すでに被害者として特定されている筈……ならば、犯人に監禁されているのか。
いや、ロビンの言葉を丸呑みにして生きていると断定することは出来ない。
指の持ち主が水の中と推測した理由もわからなかった。
お手上げかと溜め息を吐き、窓の外へ目を向ける。
いつもなら同じように白い研究室にいても、窓の外に屋内球技施設の青い屋根が見えるのに、今日はただ森が広がるばかり。この先は砂漠のような荒野が広がるのみだ。
「っ! 屋内、球技施設!!」
床がある体育館とは別に、テニスなどの屋外球技を全天候で行えるように作られた施設――コウキの記憶が正しければ、内部は土のコートが広がっていた。ロビンの告げた条件にぴったりだ。
ましてやコウキの研究室がある棟は授業に使用されない為、昼間は人通りもゼロに近かった。隣の建物から死体を運んだとしても、人目に触れる可能性は極めて低い。
書類を机の上に散乱させたまま、コウキは部屋を後にした。
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