06.神の炎

 天使ウリエルが神の炎を司るなら、それは何を指し示しているだろう。


 炎という表現に悩み、暮れ始めた空を見上げる。薄暗くなりつつある空は、普段よりも黒かった。


 灰色の雲が多い尽くした天で、稲妻が光る。少し遅れて轟いた雷鳴に、コウキの目は釘付けになった。


「……神鳴かみなりは天の剣である」


 聞いたことがある文章が口をついて出る。これが神の炎を表すとしたら、ゴフェルは木――雷の落ちた木が手がかりだろう。そこまで解読して、慌ててロビンの資料を引っ張り出した。


 すでに暗記している資料に、焼け焦げた建物の写真が挟まっている。


 彼の実家であり、母親を殺した翌日に落雷があって、この家は燃え尽きた。消防が間に合わず、全焼した木造建築物……すなわち『ゴフェル』か。


 外は激しい雨が降り始めていた。資料を手早くクリアファイルに挟み、濡れないようにバッグへ放り込む。土砂降りの雨の中、コウキは車へ向かって走り出した。




 訪れた家の跡は、痛々しい姿の欠片もなかった。


 建物の残骸は片付けられ、土台であった石が残されている。その少し先に、花々が自生していた。どうやら、花壇の花であったらしい。人の手が入らない花壇であっても、彼らは必死に生きていたのだ。


 端に立つ2m前後の木に近寄れば、小粒の実がなっていた。


 見回せば、案の定もう1本同じ木が植わっている。


 オリーブは自らのDNAで自家受粉しない。すなわち、別の木がなければ実をつけないのだ。2本の木を交互に見つめるコウキは、離れた位置にある白い石に目を留めた。


 オリーブに寄り添う鳩……鳩は一般的に白い動物だ。野鳩はグレーであることが多いが、基本的にイメージされる色は白が多い。その白い石に吸い寄せられるように近づいたコウキの体を、雨は容赦なく濡らした。


 びしょ濡れの髪を掻き上げたコウキの視界を、淡いオレンジ色の光が染める。



 夕暮れの陽射しが、雲間から差し込んでいるらしい。


 キーワードにあった虹を思い出し、白い石に腰掛けた瞬間――コウキは声をあげた。見開いた目に映るのは、2本の木の間に置かれた木製のベンチだ。普通に見たのでは気づけない低い位置に、不自然な箱が顔を覗かせていた。


 白い石に座ったからこそ見えた箱へ、はやる気持ちを抑えながら歩み寄る。埋もれた箱を掘り出し、絡まった周囲の草を引き千切るコウキの手に、三つ葉が舞い散った。


 すべての符号が一致する箱に填められた錠へ、ポケットから取り出した鍵を差し込む。



 カチッ


 乾いた音を立てた鍵は、放置されていた長い時間を巻き戻すようにあっさり開いた。


 中は――からだった。


 いや、正確には違う。小さな白い破片が2つだけ落ちている。



「何だ?」


 摘み上げてみるが、心当たりがない。だが箱は空間を残すのみで、他に何も入っていなかった。





 木製の箱を入れたダンボールを抱え、訪れたコウキに、ロビンは手を叩いて喜んだ。


「さすがだ、見つけてくれるとはね。中に白い破片があっただろう?」


 青紫の瞳を細めて笑う彼が望むまま、破片を取り出す。


 2つ見せれば、彼の表情は曇った。それは一瞬の変化で、すぐに元の笑みを張り付かせてしまう。


 だがコウキは、それがロビンの見せた初めての本心だと確信した。今までの感情豊かな彼は作り物だったと考えれば、納得できてしまう。


「必要か?」


 尋ねれば、素直に頷く。強く握れば崩れてしまいそうな、繊細な欠片に価値を見出せないコウキは、鉄格子の扉を潜ってロビンに近づいた。


「礼だ。コウキの質問に嘘はなしで5つまで答えよう」


 嫣然と笑う死刑囚が左手を差し出す。迷って、片方だけ手のひらへ置いた。不満を口にするかと思ったが、彼は満足そうに溜め息をついた。


「これが何か、わかるか?」


「いや……」


「人骨だ」


 殺した人間の? 


 だが、彼が殺した死体に欠けはなかったと聞いている。ならば……?


 尋ねようとして、コウキは口を噤んだ。彼は5つの質問まで答えると言った。限られたチャンスを、無駄に使うことは避けたい。


 無言を通したコウキに、ロビンはひとつ頷いて口を開いた。


「オレは、コウキのそういう賢いトコが好きだぜ」


 ふざけた口調と反対に、愛しそうに白骨らしき破片を見つめる。


「解読したってことは、ノアの方舟を調べただろう。虹の記述を覚えているか?」


 頷いたコウキの蒼い瞳を見て、ロビンは再び欠片に目を落とした。


 指先で擦る姿は、労わるような優しさを感じさせる。その姿に苛立ちを感じてしまったコウキは、己の心に眉を顰めた。



 なぜ、こんなに苛立つのか。



「神は焼き尽くす生贄を捧げられ、もう大洪水は起こさないと契約した後に虹をかけたという。つまり虹は犠牲の証だ」


 語り続けるロビンが、部屋の中を移動する。その右手にかかる手錠と鎖が、乾いた音を立てた。


 鎖の金属音に安堵を覚え、破片への彼の優しい扱いに苛立つ。自分が分からなくなりそうで、コウキは唇を噛んだ。

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