05:「俺、今なら死んでもいいかもしれない……!」
「絢ちゃん絢ちゃんあっやっちゃーん!」
「ちょっと先輩! 無視するのやめてください!」
「うるっさいな! いつまでもついてくるな!」
今日も絶好調に朝から騒がしい。しかしクラスメイトたちはすっかり慣れたもので、見向きもしなくなっている。
「絢ちゃん、おはよう!」
輝くような笑顔を一瞥して、すぐに手元に戻した。
絢香が体調を崩したのはもう一週間も前のことだ。結局あの後自力では動けなくなり、教師から母親に連絡してもらった。保健室まで運ぶという楓の主張は丁重に拒否した。
ちょうど金曜日だったのもあり、土日にゆっくりと休んで月曜日にはいつも通り登校している。だけどその日から楓は目に見えて浮かれている。
忘れてくださいって、言ったのに。
「……なにか用事でも?」
「用事なきゃ来ちゃダメなの!?」
「読書中です」
「本に負けたっ!」
楓が本に勝ったことなど一度もない。それでも毎回大げさにショックを受ける彼は、今日もがっくりと肩を落とす。
絢香は彼を、というよりうなだれる彼の腕にべったりとくっついたままの舞を見た。
どれだけ邪険にされようと無視されようと諦めない彼女が楽しみにしている例の約束について、『俺は検討するって言っただけだ!』『なんですかそれ! ずるいですよ!?』と言い争っていたのはつい昨日のことだ。彼がこのままうやむやにしようとしているのは想像に難くない。
だけど勝ち誇ったあの顔が、今も忘れられない。
しばし考え込み、読んでいたページに栞を挟んで閉じる。そして静かに机に置いた。
本を閉じる音に気付いて顔を上げ、目を瞬かせて首を傾げた楓を手招きで近くへ呼ぶ。
「――川本くん」
「えええぇぇっ!? 絢ちゃんが俺の名前呼んだ! ちょっ相沢聞いた!? 今、絢ちゃんが俺の名前呼んだんだけど!」
「あたしだって先輩の名前くらい知ってますしいつも呼んでるじゃないですか!」
「お前に呼ばれてなんの価値があると!?」
「……、」
思わず半目になる。たかが名前で、そんなに騒がないでほしい。
絢香の手が置かれた本に伸びていくのに気付いて、口をつぐんだ楓が慌てて彼女の隣にしゃがんだ。
見上げてくる瞳は喜びに満ちている。騒ぐ舞を横目に、絢香は彼の耳にそっと口を寄せた。まるで、見せつけるように。
「もう少し早ければ二人きりだったのに、来るのが遅いんです」
「絢ちゃん……っ!」
「えっちょっとなんですか!? なに言ったんですか!? ねぇっ!」
「俺、今なら死んでもいいかもしれない……!」
両手で顔を覆った楓の肩を、舞が勢いよくゆする。首がもげそうなくらいガクガクしているが、なにも気にならないらしい。手では隠せていない彼の耳は、珍しく赤かった。
「チャイム鳴りますよ。早急に教室へ戻ってください」
「絢ちゃんってば小悪魔っ! 休み時間にまた来るっ!」
「結構です」
だらしないくらいに緩んだ顔をして、楓は手を振る。その足取りは、スキップしていてもおかしくないくらい軽そうだ。
出ていく前、餌を頬張るリス並みに頰を膨らませて絢香を睨んだ舞に、勝ち誇った顔を向ける。
彼女の勝ち誇った顔は、もう思い出さずに済みそうだった。
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