愛が重い彼は今日も私につきまとう

楠木千佳

本編

01:「盗撮が犯罪って知ってますか?」



 ――キーンコーンカーンコーン


 午前中最後の授業終了を告げるチャイムが鳴って先生がいなくなると、教室内は一気に騒がしくなる。机を寄せ合って固まる女子の集団がいれば、財布を尻ポケットにしまって教室を出て行く坊主頭の男子の集団もいる。


「絢香ちゃん、今日は一緒に食べる?」

「今日は食堂に行ってきます」

「はーい。いってらっしゃい!」


 平松絢香ひらまつあやかは友人の誘いを断って、いそいそと教科書をロッカーへしまい込む。鞄から取り出しておいた財布と携帯だけを持って、くるりと向きを変えた。

 今日はお弁当を持っていないので、昼休みだけ食堂で売られるパンや惣菜がお昼ご飯だ。あまり遅くなるとお腹を空かせた高校生男子たちに軒並み買われていってしまう。


「いってきます」


 手を振る友人に手を振り返し、扉を開けようとして、でもそれよりも先に教室の外側から扉は開かれた。


「あーやちゃんっ!」


 目の前を制服に塞がれ、絢香の顔が心底嫌そうにしかめられる。その顔は相手にも見えたはずなのに、まったく気にせず勢いのままぎゅっと抱き寄せられた。


「やめてください痴漢です」

「……っ!」


 ギリギリ拘束から逃れた右腕を突き上げて相手の顎に軽く一発。カチン、と上と下の歯がぶつかる音が聞こえたが知らんぷりした。顎を抑えてよろりと離れていった彼の目にうっすら涙の幕が張っているが、心配はしていない。一切。まったく。


「酷いよ絢ちゃんっ!」

「痴漢のくせに罪を擦りつけないでください」


 せっかくのお昼休みを痴漢なんぞに邪魔されるなんてひどく不愉快だった。さっと時計を確認して、眉間にしわが寄る。


「痴漢じゃなくて楓! か、え、で!」

「痴漢が一人前に名乗らないでください。そして二度と近寄らないでください。私は食堂へ行きたいんです」

「ひどい! でも絢ちゃんの分も買ってきたから一緒に食べよ?」


 ほら、と目の前に差し出された白いビニール袋からうっすらと「パン」の二文字が透けている。「絢ちゃんの好きなパンも買ってきたんだよ!」と楽しそうに楓は笑った。ふりふりと揺れるしっぽも見える気がする。


「ねっ、だから一緒に食べよ!」


 どうして一度も一緒に食べたことがないのに好きなパンを知っているかなんて、愚問だろう。なんなら聞こうとも思わない。


「そういえばですけど、最近やたらと視線を感じるんですよね」

「えー? 絢ちゃん、ストーカーでもいるの?」


 絢香は無言で楓の顔をねめつける。

 楓はぱちくりとまばたきした後、へらっと殴りたくなるような顔で笑った。


「絢ちゃーん、そんなに見つめられたら俺照れちゃうっ」

「気持ち悪いです」

「ひどいっ!?」

「間違えました。キモい」

「意味同じだよね!?」


 うわーんと泣き真似をする楓の手が、不自然にズボンの左ポケットに触れた。あまりにも不自然で、わざとなのかと疑いたくなるくらいに。


「……そのポケットに入っているものを出しなさい」

「えっ、な、なぁんにも入ってないよー?」


 挙動不審に彼の目が左右に泳ぐ。この後に及んで誤魔化せるとは思わないでほしい。


「出せと、言っているんです」


 普段なら相手にするのも馬鹿馬鹿しいとばかりにすぐに引く絢香が引こうとしない様子に、逃げられないことを察したらしい。

 手を突っ込んでいたポケットから入っているものを取り出したので、絢香は問答無用でそれを取り上げた。電源を入れて画像データを確認すれば、まぁ……言わなくても察してください。


「盗撮が犯罪って知ってますか?」

「あぁぁぁ貴重な笑顔ショットもあったのに……!」

「黙りなさい、この盗撮魔が」


 カメラをスカートのポケットにしまった絢香は、思い出したように楓の持つ袋からよく買うパンを取り出す。その代わりに百円玉を一枚入れておいた。

 うなだれながらも「絢ちゃんってば律儀なんだから!」と叫んだ楓に、絢香は深々とため息を吐いた。


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