第92話 絶対におかしいです

「なんっかおかしいんだよな……」

「何がです?」


 ぽろりとこぼした言葉にマーサが反応した。


 裏帳簿事件の解決とともに寮長の怠慢が発覚し、寮の警備は強化されたが、マーサにはそのままいてもらうことにした。何だかんだでいてくれると助かるのだ。


 アルフォンスから寮長ちょびひげの処分を聞いたとき、思わずにやりと笑ってしまった。ざまぁみろである。どうせなら悪役令嬢よろしくミリアが宣告してやりたかった。


「ううん。何でもない」


 ミリアがおかしいと思っていたのはアルフォンスのことである。


 執務室に行くことになったのはいい。仕事の量が一気に増えて、部屋に戻る時間が遅くなったのもいい。途中で休憩を挟むようになったのはありがたい。毎回ケーキが美味しくて幸せだ。


 だが、アルフォンスの様子がおかしい。


 まず、休憩時間を伸ばそうとしてくる。


 やることはたんまりあるのだから休んでばかりもいられないと思うのだが、ミリアが言い出すまで話を切り上げようとしないし、話題を追加してくることもある。


 今までは休憩と言えば一人で勝手に立ち歩くくらいで、話も作業の合間にちょこちょこっと雑談をするだけだったというのに。そんなに仕事が嫌なのか。


 ミリアはアルフォンスが何をしているのかは知らないのだが、手を動かしている最中さいちゅうは嫌そうには見えない。まあ、ほぼ無表情だからよくわからないのだが。


 次に、仕事を終えて執務室から出るときに、毎度ハグを求められるようになった。


 ひしっと抱きついて、捨て猫みたいにすり寄ってくるので無碍むげにもできず、ミリアはじっとされるがままにしているのだが、内心はやばい。


 心の中で、


 ひぃぃぃぃぃ!


 とか、


 うわぁぁぁぁぁ!


 とか、


 無理ぃぃぃぃぃ!


 と叫んでいるのである。


 数回目ともなればさすがに慣れては来るが、いまだにこの瞬間が一日の中で一番疲れる。


 そんなに人恋しいのか。リリエントじゃなくて申し訳ない。というか、リリエントに手伝いを頼むことはできないのだろうか。


 もはやミリアからリリエントに打診してあげようかと思うほどにアルフォンスが不憫ふびんだった。


 元婚約者と頻繁に会うのが褒められたことではないのはわかるが、であるならば、この状況もあまりよくない。


 そして何より。


 アルフォンスが笑うようになったのである。


 もちろん大口を開けて大爆笑するなんてことはない。微笑み……というか、かろうじて口が弧をえがくくらい。それでも笑っていることには変わりない。


 最初は目玉が落っこちるんじゃないかと思うほど驚いて、その後、また寝ぼけているのかこの人は、と思った。


 しかしどうやら、ミリアがケーキを食べているときに笑っているようだった。そしてミリアがそれに気がつくと、気まずそうにして顔を引き締めるのだ。つまりはミリアの顔が可笑おかしいらしい。


 美味しいものを食べたときに表情筋が仕事をしまくっている自覚はある。普段から全く笑わないアルフォンスを笑わせるくらいだから、よっぽど酷い顔をしているのだと思われた。


 エドワードやジョセフがいる前では笑いを我慢してくれていたんだろうな、と思うとやり切れない。


 仕方ないだろう。どうしても頬が緩んでしまうのだから。


 不快な顔をされるよりはずっといいのだが、アルフォンスの笑顔は心臓に悪い。見ると動悸がしてくる。見とれると言うよりは、悲鳴を上げてその場から逃げ出したくなる。


 ちょっと口角を上げるだけでこれなのだから、イケメンとはつくづく厄介な生き物だ。


 だから休憩時間、ミリアはできるだけアルフォンスの顔を見ないようにしているのだが、その都度どうしたのかと聞かれて困る。笑顔がまぶしすぎて直視できませんなんて言えるわけがない。しかも自分が笑われているのに、である。


 まあ、卒業まであと少し。この仕事もそこで終わりだ。試験期間が終わって図書館に戻れば休憩のお茶もなくなる。それまでは堪能するのもいいか、と思った。


 しかし、試験期間が終わって図書館から生徒の姿が軒並み消えても、アルフォンスはこちらの方が集中できると言って、執務棟にこだわるのだった。ミリアの試練の日々はあと少しだけ続く。


 ちなみにミリアの芸術の試験結果は散々だった。





「やっぱりおかしい……」

「何が?」


 昼休み、ギルバートの前でもミリアは同じ言葉を口にしていた。


 まさかのプロポーズ以降、初めて顔を合わせた時こそ意識してしまったが、ギルバートは宣言通り、ミリアを友人として扱ってくれた。さすがにハグはもうしていないが、それ以外は今まで通りである。


「アルフォンス様が」

「カリアードが?」

「うーん……やっぱりなんでもない」


 婚約解消の話もおおやけになっていないのに、リリエントと離れるのがつらそう、と勝手に言うのもどうかと思うし、ケーキを食べている顔が変すぎるらしくて笑われる、と自分で言うのも嫌だった。


 そういえばギルバートとは一緒にお茶を飲んだことがない。この前、勾留中にクッキーを持ってきてくれた時は水だった上に、結局一口も飲まずじまいだった。


「カリアードと言えば、仕事を手伝ってるんだって? 結構遅くまでやってるって聞いたけど、大丈夫? 無理してない?」


 耳ざといな。さすが第一王子。


「手伝いっていうか、商会を通した正式な依頼だからお仕事だよ。でも無理はしてない。途中で休憩も挟んでくれるし、大丈夫」

「そう? つらかったら言ってね。僕からもカリアードに言うから」

「うん。ありがとう」


 勤務時間が長ければ長いほど、ちゃりんちゃりんと商会にお金が入って来て、ミリアへの報酬が増えるから別にいいのだ。知り合いのよしみで割安にはなっていても、中々のお値段で契約している。使う予定がなくともお金はあって損はない。どうせ暇だ。


 休憩時間も仕事時間に含めてくれていてありがたい。だからといって必要以上にサボる気はないのだけれど。


「最近、ユーフェンとはどう? 前は二人でお茶会もしてたよね?」

「ジェフ? 普通だけど? エドワード様に誘われてお昼を一緒に食べることはあるけど、二人でのお茶会はしてない」

「そうなんだ」

「ジェフがどうかしたの?」

「ミリアはユーフェンのことが嫌い?」

「嫌い、ではないけど……」


 ミリアは言葉を濁した。押し倒されて気まずいとは言えない。


「ユーフェンに嫌なところはある?」

「嫌なところ? うーん……」


 だいぶ強引な所だろうか。


 好きだったら魅力の一つになり得るのだろうが、たとえイケメンでも許されることと許されないことがある。ただしイケメンに限る、ではなく、ただし好きな人に限る、ってやつだ。


「好きか嫌いかと言われたら好きだよね?」

「そうだね」

「エドより好き?」

「エドワード様と比べて? どっちもどっちかなあ」


 結婚するならどちらかと言われれば、どっちも嫌だ。どうしても二択なら迷うことなくジョセフ。彼氏にするならと聞かれてもジョセフ。


 だが、どちらが好きかと言われれば、今となってはエドワードに軍配が上がりそうな気もしなくもない。ちょっともう面倒なのだ。ジョセフのことはこのまま曖昧あいまいにして卒業を迎えたいとさえ思っていた。


 とはいえ、どちらも恋愛感情的な意味での好きではない。だから比較しようがないし、比較する意味はないと思う。


 ギルバートと比較するなら、同じ友人という意味ではあるが、間違いなくギルバートだ。あんなことがあった後で本人に言う気はないけれど。


「カリアードに興味はある?」

「アルフォンス様?」


 興味は大いにある。なんたって推しである。この流れからして恋愛感情を聞かれているのだろう。それもある。ありまくりである。大半しまい込んだとはいえ、好きなものは好きだ。


 だからと言って、それをギルバートに言うかといえば言わない方がいいだろう。だってアルフォンスは皇子クリスと結婚するのだから。


「特にないかな」


 ミリアは嘘をついた。


「そう……」


 ギルバートが目を伏せた。


 ミリアにはギルバートの質問の意図がさっぱりわからなかった。





「アルフォンス様、大丈夫ですか?」

「何がです?」


 結局ミリアは、直接本人に聞くことにした。アルフォンスのことが心配だった。


 お茶を飲みながらミリアは切り出した。アルフォンスがわずかに首をかしげる。


 そりゃそうだ。意味不明な質問だった。


「最近なんだか様子が変です。具体的には学園に戻って来てからです。特にここに来るようになってからさらに変です」

「そうですか?」


 アルフォンスは口元を片手で覆った。目をそらしている所を見ると、本人にも自覚があるようだ。


「私でよければ話くらいは聞きますよ。もちろんお仕事中にではなくて、それとは別に。……あ、でもそんな時間ありませんよね……すみません」


 ミリアがちらりとデスクの上の山を見ると、アルフォンスはぽつりと呟いた。


「業務外で……」


 当然だ。お悩み相談なり愚痴なり、友人ならば無償でつきあうものだ。


 アルフォンスはしばし考え込んだのち、顔を上げた。


「そうですね。ではお言葉に甘えます。明日はいかがですか?」

「お仕事に支障がないのであれば、私はいつでも構いません」


 ミリアには執務室ここに来るくらいの予定しかない。


「では、王都に出ましょう」

「えっ!?」


 王都に出る? 何で? ここかサロンでいいじゃないか。


「行きたい店があります。ミリア嬢も気に入ると思いますよ。持ち帰りできないケーキがあるのです」


 そう言って、アルフォンスは有名菓子店の名をあげた。店の半分が飲食スペースになっていて、そこでしか食べられないデザートがあるのだ。


 ミリアは顔を輝かせた。


 が、すぐにそれを引っ込める。


「王都に出るのはちょっと……」

「どうしてです?」


 アルフォンスと一緒に行くとまた面倒な噂が立つからだ。目当ての店は貴族街にある。目撃者多数になること間違いなしだ。


 それはアルフォンスもわかっているはずなのに、どうしてそんな提案をするのだろうか。


相応ふさわしいドレスがないので……」


 適当な言い訳をした。本当は屋敷に行けばある。


「では、もう少し気楽に行ける場所にしましょうか」


 次にアルフォンスが提案したのは、貴族街と平民街の間にある、やや平民街寄りの店だった。そこならこのままの格好で行っても大丈夫だ。


 行きたい。すごく行きたい。


「馬車の手配や店の予約はこちらでしますから、ミリア嬢は来て下さるだけでいいですよ」


 うぅぅ……行きたい。


 噂は面倒だ。だがもう卒業式目前。あと二週間。あと二週間さえ我慢すれば……。


 それにアルフォンスのことも心配だ。場所を変えた方が話しやすいと言うのなら、つき合うべきではないか。


 ミリアは負けた。


「行きます……!」


 途端、ミリアは息を止めた。たぶん心臓も止まった。


 アルフォンスが破顔したのである。それはそれは嬉しそうに。


 ああああああぁぁぁぁぁっっ!


 死ぬ。

 呼吸困難と激しい動悸どうきで死んでしまう。


 ミリアは耐えきれずに両手で顔を覆って伏せた。


「どうしたんですか?」


 どうしたもこうしたもあるか! あんたのせいだ。あんたの!


 それは反則だろう。殺す気だ。絶対殺す気だ。もうやめて。私のHPはゼロよ……!


 その後ずっとミリアは跳ねる心臓と戦いながら仕事をした。計算は間違えるし手は震えるしで大変だった。対してアルフォンスはご機嫌のようだった。


 そんなに愚痴りたかったのか。それとも実は甘いもの好きだったりして。


 恒例となった最後のハグで死んだ。




 部屋に戻ってから、ミリアははっと気がついた。


「これってデートじゃない!?」

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