第81話 信じてください

 どうにかして情報が得られないものかと考えていると、にわかに部屋の外が騒がしくなった。


「……まります、殿下!」

「うるさいっ! そこをどけっ!」


 騎士の制止を押し切って扉を開けたのは王太子エドワードだった。その後ろからジョセフが入ってきた。そして、アルフォンスも。


「ミリア嬢!」

「ミリア!」

「エドワード様、ジョセフ様、……アルフォンス様」


 アルフォンスの名前を言うとき、ミリアの胸がずきりと痛んだ。


「ミリア嬢」


 エドワードが立ちあがったミリアの両手を取った。その顔は苦しそうにゆがんでいて、目はミリアからそらされていた。


 表情を見ただけで、エドワードの言いたいことを察した。


「今さっき証拠を確認した。……申し訳ないが、わたしはミリア嬢をかばうことができない」


 やっぱり。


「馬鹿を言うな! だからミリアが関わっているわけないだろ!?」


 ジョセフがミリアの手からエドワードの手を払い、ミリアの肩に横から両腕を回すようにして抱き込んだ。


「な、ミリア。違うよな?」

「うん。違う。私は何もやってない。信じたくないけど、アニーが嘘をついているみたい。部屋から見つかったっていう手紙も書類も、見たことがないものだった」

「よかった……」


 ジョセフがミリアの頭に顔をうずめてため息をついた。ほどいてボッサボサだったミリアの髪は、取り調べの前に王宮の侍女に簡単に結ってもらっていた。


「父さんだって何もしていないはず。やる理由がないもの」

「俺が調べるよ」


 ジョセフが腕に力を込めた。


「ミリア嬢、言いにくいのだが……スタイン商会から見つかった証拠もざっと確認した。真偽はもちろん調べるが、あれらが真実だと判断された場合――」


 顔を上げたエドワードは悲痛に眉を寄せていた。体全体に力が入り、両のこぶしがふるふると震えていた。


 エドワードはミリアのことを信じてくれているのだ。そして恐らくスタイン商会のことも。


 ミリアはジョセフの腕をそっとほどき、エドワードの片手を両手で取った。ミリアから触れるのは初めてで、エドワードのみならずジョセフも驚きに目を開いていた。


「エドワード様。いいんです。王太子なんですから、公正に判断してください」

「だが、だがわたしはミリア嬢を……!」

「駄目ですよ、エドワード様。頑張るって言いましたよね」


 エドワードはかつて、第一王子ギルバートのような、王太子に相応しい人物になれるよう努力する、とミリアに約束した。


 エドワードが泣きそうな顔になった。


「……わかっている。兄上にも助力をおう。できるかぎりのことはする。だが、確約は、できない」


 ミリアはエドワードに微笑んだ。


 それ以上のことは言えない。エドワードは王太子なのだから。泣いてすがって助けてなんて言ってはいけない。まだ、その時期でもない。


「ミリア。俺はミリアのことを信じている。絶対、ミリアの無実を晴らすから」


 ジョセフがエドワードの手を放したミリアの手を取り、甲に口づけた。


「無理はしないで。ジェフにはジェフの立場があるんだから」


 自分を優先して、と伝えたミリアを、ジョセフは後ろから抱き締めた。


「気にしなくていい。ミリアが、一番大事だ」


 しばらく会わない、と言ったのはミリアだ。それもつい昨日。なのにジョセフの優しさが嬉しい。


 たび重なる攻撃に、図書館での出来事、皇子クリスの言葉、そしてこの冤罪えんざいだ。ミリアは弱りに弱り切っていた。


 だけど。駄目だ。今は踏ん張らなくては。


 ジョセフに甘えてしまったら、ミリアが有罪と断定されたときに迷惑がかかってしまう。ミリアにとってジョセフはあくまでも友人だ。ジョセフは友人に手を差し伸べてくれただけ。その線引きを崩してはいけない。


「ジェフ。間違えたら駄目だよ」


 ミリアは肩を抱くジョセフの手に自分の手を重ねた。


 ジョセフが守らなくてはいけないのはエドワードだ。何よりもまずそれを優先しなくてはならない。だから、ミリアにかまけて立場を危うくさせてはいけない。


 言いたいことが伝わったのだろう。ジョセフは腕に力を込めると、ミリアの耳にささやいた。


「必ず迎えにくる」


 ……相変あいかわらずゾクゾクする声だ。


 だが、この場で赤面するのは空気を読まなさすぎる。し、さすがにミリアもそんな気分にはならなかった。


 ミリアはジョセフに捕らわれたまま、やっとアルフォンスに目を向けた。


 顔を見るのが怖かった。


 アルフォンスはリリエントと間違えてミリアとキスをしてしまったのだ。


 謝罪されるとすればミリアの方だし、叩いたことを謝罪するのも絶対に嫌だったが、向こうは向こうでミリアと顔を合わせるのは不快だろう。


 何より潔癖なアルフォンスのことだ。奴隷売買に手を出したスタイン家とミリアをどう思うかなど、考えるまでもない。


 そして、ミリアの予想通り、アルフォンスはミリアに軽蔑けいべつの目を向けていた。


 ずきりと胸が痛み、ビシッと心のヒビが広がったように感じた。


 ミリアは思わず顔をしかめ、後ろから抱くジョセフの手を両手で強くつかんだ。ジョセフがこたえてぐっと力を込める。


 アルフォンスの眉間のしわがますます深くなった。


 そんな目で見ないで。


 私じゃない。私は何もやってない。


 ――信じて。


 手に力を込めて、ぎゅっと目をつぶって願ったが、アルフォンスの表情が変わることはなかった。


 三年間かけて、特にこの数日で、アルフォンスからはそれなりの信頼を得たと思っていた。


 だが、今ここでミリアの言葉に耳を貸す程ではなかったのだ。


 アルフォンスの視線に耐えられず、涙が出そうになったとき、そういえば、すでに泣きらした顔をしていたんだったな、と思った。


 誰もがミリアの涙のあとはこの事件のせいだと思っていて、図書館でのキスが原因だとは、当のアルフォンスでさえ思っていないのだろう。


 顔をしかめたままのアルフォンスが、何かを言おうとミリアに一歩近づいたとき、扉が半分ほど開いた。


 廊下にいた人物がアルフォンスに話しかけたのか、扉を振り返ったアルフォンスは、一度ミリアに視線を向けてから出て行った。


 そのとき大きく開いた扉から見えたのは、金色の髪を肩まで伸ばした人物。


「ギル……っ!」


 ミリアは弾かれるようにジョセフの腕を振り払い、扉へと走った。


 大嫌いだと言ってしまったことを謝らなければ、と思った。それとギルバート宛の封筒をたくさんくれたお礼も。


 しかし、閉まりかけた扉に手をかける前に、廊下で守っている騎士により素早く扉は閉められた。


「ギル! ごめんなさい、私……!」


 謝罪はギルバートには届かず、閉じた扉にぶつかった。


 ミリアががくりと膝を落とす。


「ミリア」


 ジョセフがミリアを助け起こした。


「大丈夫か、ミリア」

「うん。ギル、バート様がいたの」


 そうだろうな、とジョセフは口の中で呟いた。


「ミリア嬢は、兄上と親しいのか……?」


 ミリアがギルバートを愛称で呼んだことに、エドワードは戸惑っていた。ギルバートから話をしたことがあるとは聞いていたが、愛称を許すほど親交が深いとは聞いていない。


「ええと、そうですね、時々話すことはありました」


 ミリアが目をさまよわせる。


「そうか」


 エドワードは目を鋭くしていたが、それ以上は言わなかった。この場で言っても意味がないし、ギルバートと親しいからといってミリアを責めることはできないからだ。


「……それより! ジェフっ、そろそろ離れろっ!」

「ちょ、エド、やめろ!」

「ミリア嬢が嫌がっているだろう!」

「どこ見てんだ、嫌がっていないだろうが!」


 手を取って立ち上がらせたのをいいことに、ジョセフはまたミリアを抱き込んでいた。それをエドワードがべりっと引きはがし、代わりにミリアを腕の中に収める。


「離れろよっ!」

「いやだ。そんなゴツゴツした男よりも、わたしの方がいいに決まっている」

「そんなナヨナヨした男より、たくましい俺の方がいいだろ?」

「ナヨナヨとはなんだ!」

「悔しかったら剣で俺に勝ってみろ!」

「無茶を言うな!」


 何なのこの二人……。


 状況がわかっているのだろうか。


「エドワード様、放して下さい」

「む!? ……むぅ」


 だからその顔、王族としてどうかと思いますよ。


 ジョセフが嬉しそうな顔で、ぱっと両腕を広げた。いや、行かないし。


「ジェフ、私まだ許してないから」


 ミリアのひとにらみで、ぴしっと固まるジョセフ。メデューサになったような気分だ。


「ミリア嬢、ジェフに何かされたのか?」

「いいえ?」

「何かしでかした時と同じ顔をしている」


 さすが乳母兄弟。よく知っている。


 ミリアが何か適当な理由をつけようとした時。


「殿下」


 ふいに扉が開き、アルフォンスが入ってきた。


「そろそろ……」

「ああ」


 エドワードはアルフォンスに手を振った。


「ミリア嬢、わたしは信じていないわけではない。それだけはわかってほしい」

「はい。わかっています。エドワード様、よろしくお願いします」


 ミリアはエドワードにお辞儀をした。


「ミリア。俺も、万全を尽くすから。待ってて」

「うん」


 ジョセフが両手を広げて近づいてきたので、ミリアはその抱擁ほうようを受け入れた。場合によっては最後になるかもしれないと思ったからだ。


 またたきしたエドワードが、自分も、とミリアに抱擁を求める。ミリアは苦笑しながらもそれを受け入れた。


 アルフォンスが冷たい視線を向けてくる。入学当初、王太子エドワードがミリアに話しかけてくるたびに向けられていたのと同じ種類のものだ。罪人が王太子エドワードと親しくするな、ということなのだろう。


 私はやってないのに。


 誰よりもアルフォンスに信じてもらえないことが、ミリアにはつらくてつらくて仕方がなかった。

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