第68話 一生ないのはわかってます

 帰りの無駄に豪華な馬車の中、ミリアはひざを抱えて頭を伏せていた。


 考えなければならないことがいろいろあった。


 帝国の皇子おうじのこと。クリスの存在。クリスとの約束。エドワードへのフォロー。


 ……うん、ほぼクリスのことだ。


 こんなエンディング間近で新しい登場人物が出てくるとか……誰得だれとくなの?


 しかもクリス……。イケメンだけどさぁ。何あれ隠れキャラなわけ? いやそんなわけないか。


 ――という考えは、乗り込んでからあっという間に終わった。ほぼほぼ頭の中をめていたのは。


 かっっっこよかったぁぁぁぁっっっ!!


 アルフォンスが。


 超絶美人に加えて恋愛フィルターである。正装とまではいかず、何度か見たちょっといい感じの服装、というだけなのに、直視できなかった。


 エドワードとジョセフは……まあ、イケメンではあった。


 特にエドワードは見直した。王国うちの王太子がただの腑抜ふぬけでなくて安心である。言動は相変わらずだったが。


 それよりアルフォンスだ。なんなんだあの人。本当に人間なのか。やはり女神に祝福を受けた転生者なんじゃないか。


 ごろごろと転がってもだえたい気分だったが、王家の馬車でそこまでする大胆さは持ち合わせていない。


 今度会うとき、どんな顔をすればいいのだろう。


 今回はクリスのことで頭がいっぱいだったし、距離が離れていたし、会話もしなかったからなんとかなった。でも、次も平然としていられる自信はない。


 だが、しなければならない。


 アルフォンスへの想いは止められなくても、表に出すわけにはいかないのだ。


 ミリアは男爵令嬢として甘く見積もってもギリギリ及第点を取れるかどうか、という出来だ。その時点で、アルフォンスが好きになってくれるわけがなかった。


 不毛な恋だ。忘れるに限る。


 なにより、相手は婚約者のいる身ではないか。他にも問題は色々あるが、それが一番かつ絶対の障害だ。


 浮気や不倫の相手になるのはまっぴら御免だ。


 どうしても忘れらず、奇跡的にアルフォンスがミリアのことを見てくれたとしても、不倫をするくらいなら、ジョセフの想いを受け入れた方がましだとさえ思えた。




 現実とはままならない物である。アルフォンスと顔を会わせる機会はすぐにきた。具体的には翌日の放課後だ。


 いつものように、ミリアは図書館で読書に没頭していた。読み続けていた長編冒険小説がラスト間近になり、盛り上がりが最高潮に達していたのだ。


 加えて、ローズとのお茶会でアルフォンスとのことが話題に出たため、アルフォンスは面倒事を避けるべくミリアには会いに来ないだろう、と予測していた。


 つまりミリアは完全に油断していた。


「わっ」


 読み終わって顔を上げた瞬間、正面に座っていたアルフォンスを見て、思いっきり上体をらせた。


 ぐらりと傾いた椅子。


 ミリアの両手が宙を泳ぐ。


 そのまま後ろに倒れるかと思われたが、立ち上がったアルフォンスがぱしっとミリアの手をつかみ、引き戻した。


 はぁ、と息を吐くアルフォンス。


「あ、ありがとうございますっ!」


 ミリアはアルフォンスの手から自分の手を素早く引き抜いた。


 わずかに顔をしかめたアルフォンスが、椅子に座り直す。


「驚きすぎです」

「あ、えとっ、すみ、ませんっ」


 ミリアはパニックにおちいっていた。心の準備ができていない上に、手を握られたのである。


 わずかに残ったミリアの冷静な部分が、たかが手を握られたくらいで何をそんなに動揺しているのか、と自身にあきれ返っていた。


 また助けられてしまった。


 遅れて顔が赤くなっていく。アルフォンスの顔を見ることができなくてうつむいた。失敗を恥じて赤面しているのだと思ってくれているといいのだが。


「あ、アルフォンス様はどうしてここに?」


 言ってから、馬鹿か、と自分で思った。アルフォンスの前には書類が広げられている。仕事をしに来たのに決まっているではないか。


「仕事をしに。……よろしければまた手伝って頂けませんか」

「もちろんですっ!」


 ミリアは反射的に答えた。アルフォンスの助けになれるならいくらでもする。


 うっかり顔を上げてしまい、即座に顔をせた。


 だめだ。やっぱり顔が見られない。今日も滅茶苦茶格好いい服だなちくしょう。


「……ではこれをお願いします」


 アルフォンスに目を向けようとしないミリアを不審に思ったのか、その声には戸惑いが含まれていた。


 ミリアは無言で書類の束を受け取り、目の前に置かれたペンを取って、以前と同様に片づけ始めた。


 ありがたいことに、今日は集中することができた。


「うちの子たちは、ちゃんとやっていますか?」


 途中までやったところで、ミリアは手を動かしながら、なるべく自然に聞こえるように言った。アルフォンスと接することに慣れていかねばならない。


「ええ、助かっています」

「それはよかったです」


 アルフォンスも手を動かしながらの返答だった。顔を見ずに会話するのは礼儀に反するが、アルフォンスが気を使ってこないのが楽だった。商会で仕事をしているときと同じような感覚だ。


 渡された分の書類の確認がそろそろ終わる所まできて、これからアルフォンスに説明するのか、と思い緊張してきた。つっかえずに話すことができるだろうか。


 どうしよう、とミリアが不安に思っていると、アルフォンスの口からとんでもない言葉が漏れた。


「ミリィ」


 ミリアがバッと顔を上げる。今、ミリィ、と呼ばなかったか!?


 しかしアルフォンスは書類に目を落としたままだ。


「ミリィ……ミリィ……?」


 その呟きはかすかな物で、独り言だと思われた。


 ――それでも。


 ミリアの愛称である。


 その顔で。その声で。


 ミリアの顔がまた赤くなっていった。心臓がばくばくいっている。


 家族やクリスに親しみを込めて呼ばれても何とも思わないのに、どうしてこんな平坦な呼び声にどきどきしてしまうのだろう。


 愛称にそこまでの思い入れはないが、アルフォンスに呼ばれたら、動揺せずにいられない。


 意地悪く笑ったアルフォンスの顔が浮かんできて、その表情で、ミリィ、と呼ぶところを想像してしまった。


 あああああぁぁぁぁっっっ!!


 叫びたい。顔を覆って叫びたい。


 が、図書館こんなところでそんな奇行は許されず、アルフォンスの前でもするわけにいかなかった。


 席を立った方がいいかもしれない。だが、また呼ばれるのなら、聞きたい。


 その葛藤はすぐに終わる。


「……ないな」


 顔をしかめたアルフォンスが発した言葉。


 それがミリアの心臓を止めた。きゅぅぅぅと縮こまり、そのまま石のように固まってしまいそうだった。


 あれだけ熱かった顔からざっと血の気が引き、手が冷たくなっていく。


 そうだよ。


 アルフォンスがミリアを愛称で呼ぶことなんて、一生ない。


 ミリアの頭が急速に冷えた。


 昨日のクリスの事を思い出していたのだろう。聞き慣れない名前をつい口に出してしまっただけだ。


 なのに、何を小娘みたいな夢を見ているのか。現実を見ろ。


 ないな、と言ったときのアルフォンスの心底嫌そうな顔が、ミリアの心をえぐった。



 その日ミリアは、それ以上動揺することなく、アルフォンスの目をしっかり見て、手伝いを終わらせることができた。




 もう会いたくない。


 これ以上苦しみたくない。つらい。胸が痛い。


 でも会いたい。


 声が聞きたい。側にいたい。助けになりたい。


 また笑ってくれたらいいのに。


 でもそのときは、ミリアを通して他の女性リリエントを見ているのだろう。



 ――むくわれない恋なんて、するもんじゃない。

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