第31話

 



「それじゃあ……会計を済ませて、とっとと戻るか」



 腕時計を見ながら、俺は二人にそう伝える。そして机の端に置かれた会計票を取ろうとして、俺は手を伸ばした。



 すると、神谷が何か気づいた様な反応を見せた。俺の手を見ながら、首を傾げている。



「あれ? その時計……何か新しくないか?」



 そして俺の腕時計を指差して、そんな事を言ってきたのだ。



「そんなの前までは着けてなかったよな。前に見た時はもっとこう……シンプルなやつだったし」



「あら、本当だわ。前に依田が着けていたのとはデザインが違ってる。よく気がついたわね、そんなところに」



「ほら……俺ともなると、目の付け所が普通とは違ってくるのさ」



「そう。だったら、こんな時ばかりじゃなくて、仕事の時でもそういうところを見せて欲しいわね」



 神谷が調子に乗ったところで、津田がそう言って冷や水を浴びせた。



「……」



 何かを言いたそうにして津田を見る神谷だったが、何も言わなかった。



 今はあまり時間が無いので、どうにか堪えてみせたのだろう。



「で、どうしたのよ、それ。もしかして……彼女さんからのプレゼントとか?」



「……そうだよ」



 津田からの質問に、俺は渋々と肯定し、そう答えた。



 出来れば秘密にしておきたかったが、知られてしまったからにはそうはいかない。



 そう。この腕時計は今朝に香花から渡されたものであった。



 俺が買ったものではない。何でも、半年記念日としてのプレゼントとの事だった。



 大分前から良さそうなものを探していたみたいで、先週の時点ではもう既に準備していた様である。



『本当なら、昨日の内に渡したかったんだよ』と、渡された時に言われている。



 俺が記念日の事を忘れていなければ、きっと夕食後あたりに彼女から渡されたのだろう。



 それを忘れていたからこそ、実行出来なかった。香花からの言葉には、そんな非難する意味も含まれていると思われる。



「恥ずかしいから、本当は着けたくは無いんだけど……せっかく香花が買ってくれたものだしな。だから、こうして身に着けてる訳だよ」



「恥ずかしいって……別に、悪くないデザインだと思うぜ? 何が嫌なんだよ」



「……実はこれ、香花もお揃いのものを買ってて、ペア仕様なんだ。だから、恥ずかしいんだ……」



「あぁ、そういう事……」



 俺からの説明を受けて、神谷は納得した様な表情をした。



 確かに、時計のデザインとしては嫌いではない。香花からプレゼントを渡された事も、嬉しい事は嬉しかった。



 けれども、カップルで同じものを着けているという事に、俺は若干の抵抗があった。



 香花には悪いが、まだそういった部分では俺は慣れていない。小心者が故の性なのかもしれない。



「全く。そんなの気にし過ぎじゃないかしら。彼女とお揃いの物を身に着けていたって、別にいいじゃない」



「いや、でも……何かこう、さ。抵抗があるというか……」



「あのね、依田は変に考え過ぎなのよ。例えば……そうね。服装まで同じ物を着ていたらどうかと思うけど、腕時計ぐらいなら普通よ」



「普通、か……?」



「そう、普通よ。だから、堂々とその腕時計を身に着けてあげなさい。そうすれば、彼女さんも喜んでくれるでしょ」



「……そうだな」



 実際のところ、仕事に出かける時に香花の目の前で腕時計を身に着けると、彼女はとても喜んでくれた。



 それに、俺がまだそういった感覚に慣れていないだけであり、いつかはそれに慣れる時がくるかもしれない。



 どの道、これを身に着けないなんて選択肢は存在していない。彼女から貰ったからには、俺には身に着ける義務がある。



 今は恥ずかしいと思えてしまうけれども、身に着け続けていれば、それが当たり前だと思える様になるだろう。



 その時が来るまでは、辛抱するしかない。それが何時かは分からないが、そうしていよう。



「なぁ、依田。その時計、もっと良く見せてくれないか?」



「は? いや、お前……そろそろ戻らないと、時間が……」



「ほら、ちょっとだけ。ちょっとだけだからさ。どんな物か気になってさ」



「……いいけれども、壊すなよ」



「それぐらい、分かってるって」



 俺はそう言った後、腕時計を外して、神谷にへと慎重に渡した。



 これで壊されたりでもすれば、香花から何を言われるか分かったものでは無い。



 取り扱いに関しては、細心の注意を払ってして貰いたいものである。



「へぇ……やっぱり女の子が選んだだけあって、センス良いよな。依田が今まで着けてたシンプルなやつとは大違いだな」



「そうね。少し可愛らしい感じもするけれども、依田には似合ってるわよ」



 そして渡した腕時計を眺めながら、そんな品評を俺にへと伝えてくる。



 しかも津田も気になってか、神谷の横から覗いている。二人して見られると余計に恥ずかしいので、止めて貰いたいのだが……。



「それにこれ、あれだよな。中に四葉のクローバーのデザインがあるのもいいよな」



 神谷はそう言うと、腕時計内部の意匠を指差して、俺にへと見せてきた。



「四葉のクローバーって確か、幸せを意味するんだろ? お前の幸せを願ってるって感じのプレゼントなんじゃないか、これ」



「まぁ、多分……そうなんだと思う」



 ただ、これはペア仕様の商品なので、厳密に言えば、お互いの幸せを願う的な意味合いになると思われる。



 そういったところは彼女らしいと言うか、何と言うか……徹頭徹尾で一貫している。



「四葉……クローバー……花言葉……」



「ん? 津田、どうしたんだ? 何か気づいた事でもあったのか?」



「……いえ、別に。何でもないわ。ちょっと、考え事をね……気にしないでいいわ」



 気にしないでと言われても、そうした態度を取られると逆に気になってしまう。



 追及しようかと思って俺は声を掛けようとしたが、その前に津田が動いた。



「ほら、もういいでしょ」



「あっ」



 そう言って神谷の手から腕時計を取り上げると、それを俺にへと返そうと差し出してきた。



「もう時間もあまり無いから、そろそろ戻りましょ。遅れたらあの上司に何を言われるか分からないし」



「あ、あぁ……」



 津田の言う通り、この辺りで戻らないと本当にまずい。ここは彼女の意見に従う外はない。



 俺は腕時計を受け取り、またそれを着け直した。それから会計票を手に取ると、支払いの為にレジにへと向かっていった。



 しかし、津田は何を考えていたのだろうか。何だか、花言葉とかそんな事を言っていた気がしたが……。



 まぁ、いい。今は会社に戻る事を優先しよう。それに関してはまた、時間のある時にでも調べてみる事にしようか。



 そして俺は会計を済ませると、三人で会社にへと急いで戻っていった。



 ……そういえば、まだ香花の弁当があったな。すっかりと話し込んでしまったせいで、食べる時間が無くなってしまった。



 こうなってしまっては仕方が無い。家に帰るまでに、何とか時間を見つけて食べておこう。



 ただ、そのせいで夕食が食べれなくなる……なんて事にならなければいいが……。



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