第34話 考察と聞き込み

「まあ、一応は双方の当事者の言い分は聞くことができたな」


 化学部室を後にした僕と虹村は本校舎の廊下を並んで歩いていた。


「……どうかしたのか?」


 虹村が黙り込んでいたので様子を伺うと、彼女は何やら考え込むような表情になっていた。


「月ノ下くん。何かおかしいと思わない?」

「おかしい?」

「だって化学実験室の窓のすぐ前でしょう、あの神社って。……そりゃあちょっと奥まったところにはあるけれど。三年間もいて神社の存在やお供えをしていることを知らないなんて」


 僕は虹村の発言を吟味する。


 もし、校舎から唯一あの神社が見える場所があるとするならば、化学実験室の他にはないような位置関係なのである。


 そして、雑草研究部は月に一度お供えをしに行くという話だ。それも化学実験室からも良く見える裏道を通って。


「全く知らないというのは不自然かもしれないが。……まさか?」


 虹村には相手の目を見て嘘を見抜く特技がある。その精度たるや、歩く嘘発見器と言ってもいいくらいだ。


 虹村は改まった表情で僕をちらりと見る。


「ええ。私の勘なんだけど。神社のことを知らないというのは嘘だと思う」

「確かにあの場所で部活動をしていて、神社に誰かがお参りをしに来たら否応なく目に入りそうだな」


 それに神社には鈴だってあったのだ。お供えをするとなれば儀式として鳴らすだろうし、距離的に考えて絶対に聞こえるはずだ。


「それと、もう一つ気になっていることがあるの」

「何だ?」

「化学部がプレハブ小屋に入って実験や採集のために雑草研究部の道具を借りているというのも何となく本当のことを話していない気配があったんだ。つまり実は使っていないのにそう見せかけたいか、あるいは他にも目的があるんだと思う」

「でも、それを正直に言わないということは何かを隠しているということになるな」


 そう言われてみると葉脈標本を作るとかや生き物の飼育をするとか言っていた割には、部室には水槽や標本らしいものがないように見えた。


 勿論、冬の寒さが残る今の時季にはやらないというだけなのかもしれないが。


 そこで僕は雑草研究部の生田さんの発言を思い出した。


「……確か、生田さんもこう言っていたな。『化学部がプレハブ小屋を使用するようなことはほとんどない』と。しかし仮に使っていないのだとしたら、化学部はなぜプレハブ小屋にこだわるんだろう?」


 化学部が「実は使用していない」ということならば、そもそもプレハブ小屋が取り壊されても不満などないはずではないか。


「そこなのよね。……多分プレハブ小屋がないと困るのは本当なんでしょう。何か、取り壊されると困る理由があるとか」

「人を殺してあの下に埋めたとかいうんじゃないだろうな」


 ミステリ小説ではよくある話だ。


 建物などの取り壊しに執拗に反対する人物が現れて、もっともらしい理由を主張しているが実は……みたいな展開だ。


「流石にそれはないと思うけど、この後どうすればいいと思う?」


 虹村は眼鏡のレンズの向こう側から悩まし気に僕を見つめていた。


「……当人たちに訊いても教えてもらえそうにないとなると他の情報源を当たらないといけないな」

「そうなるね。何か手がある?」

「とりあえず顧問の亀戸先生に当たってみる、っていうのはどうだ」


 虹村は僕の言葉に若干心配そうに眉をしかめる。


「あの、なあなあな雰囲気の亀戸先生ねえ。ちゃんとした答えが返ってくるのかしら」


 なかなかな言われようである。


 だが実際普段の言動からして「生徒の自主性を重んじる」という名目で教師としての仕事を適当にやっつけている印象があるので仕方がない。


 下手に厳格な先生よりは気が楽なので、その点では生徒からは好かれている方かもしれないが。


「虹村はどうだ? 何か他に案があるか?」

「……例えば新聞部とかに創立当時の記録が残っていたりはしないかな。人づてに聞くよりも確かだと思うんだけど」


 新聞部か。僕もこの間の年末ごろに別件で話を聞きに行ったことはあるし、つい先日も新聞部内の事件に首を突っ込んだりもした。……が、あそこの部員はどうも苦手な印象があるので、僕としてはなるべく関わるのは遠慮したいところだ。


「よし。わかった。それじゃあ手分けして行こう。僕は亀戸先生に神社とプレハブ小屋のことで何か知っていることはないか聞いてみる。虹村は新聞部の方に当たってくれないか?」

「ええ。それじゃあ明日のうちに調べを済ませて、情報交換と行きましょうか」


 そこで僕と虹村はひとまず話を切り上げて、家路に着くべく昇降口を出た。






 教室の中は解放感に浮かれる生徒たちの喧騒でざわついている。


 黒板の上の時計の針は十六時を回ったところだ。


 翌日の授業の終わりである。


 この日の六時間目は化学の授業で、担当は僕の所属する二年B組の担任でもある亀戸先生だった。


 放課後になると職員室に出向かなくてはいけないし、話を聞くにはいいタイミングかもしれない。僕がそう思って立ちあがると、他のクラスメイト女子の一人が亀戸先生に何やら質問しているではないか。


「せんせー。ここってさあ。何の分子で出来ているの」

「おいおい。授業でやったばっかりだろう。窒素だ」

「ええ、だって先生の字。癖があって読みづらいんだもん。穴に至るって書いているのかと思ったよ」

「そんな文章が化学の教科書にあるか」


 何でも良いから早くしてくれないだろうか。僕が話を聞く時間が無くなってしまう。


 やきもきしながら一分弱ほど待ち続けたところで、ようやく女子クラスメイトが質問を終えて席に戻った。


「あの、先生。ちょっと聞きたいことがあるんですが」

「お。何だ。月ノ下か。珍しいな」

「先生は化学部の顧問なんですよね?」

「そうだが」

「実は実習棟の裏にある小屋のことで、化学部と他の部が揉めていまして。……そのことでクラス委員に手伝いを頼まれているんですよ」

「はあ。面倒そうな話だなあ」


 亀戸先生は、眠たげな表情でため息をついた。一応自分の顧問の部活の話なのだが当事者意識はあまりなさそうだ。


「ちなみに化学部はあの小屋を使っているんですか?」

「小屋を使うというより、雑草研究部の備品を借りるために入るという感じだからな。だから新しくなるにしても場所が化学部室から遠くなるのを嫌がっているんだろうな」


 その辺りの言い分は柿生部長の言葉と一致している。


「それじゃあ、あの小屋の更に裏の方に小さな神社があるのは知っていますか?」

「ん、ああ。そういやあったな」


 何年もこの学校に勤務しているだけあって亀戸先生は流石に知っていたか。


「いつ頃からあったんです?」

「学校が創立して間もないころにはあったと思うぞ」

「ちなみに雑草研究部はそこの神社に供え物をするのが伝統みたいなんですが。その事って聞いたことありますか?」

「んー。俺は一応聞いたことはあるな。……何でそんなことを知りたがるんだ?」


 亀戸先生は頭を掻きながら、訝し気に僕を見る。


「双方が『自分の部に使用権がある。だからプレハブ小屋を取り壊すべきかどうかの判断は自分たちがするべき』と主張しているんです。何でもいいから客観的な判断材料はないかと思いまして」

「……そうか。創部に関して言うなら化学部の方が早かったと思うがな。だが、プレハブ小屋に関してはその後にできたものだったからな。『どちらが先に使っていたか』という話だと雑草研究部だったはずだ」

「そうなんですか?」


 それならば、雑草研究部の方に分があるようにも思える。


「だが、使用許可はそれぞれの部に下りているんだろ? どちらが先か後かは関係なく許可が下りている以上、どちらか一つの部が優位に扱われるというのはおかしいと思うがな。なんでそんなことで争うのかねえ」

「それは正論なんですけどね」


 双方の利害が一致して上手く話がまとまればそれが一番いいのだが。


「何にしろ、そもそも化学部の顧問の俺がこの手の口出しをするのは逆にまずいだろ。当事者なんだから自分の部に贔屓するように思われかねん」


 一応理屈は通っているがこの先生の場合、単にもめ事に巻き込まれるのを嫌がる「事なかれ主義」なのではないかという疑惑がぬぐえない。


「そう言えば、あの神社なんですが誰が管理しているんです? 用務員さんは知らないということでしたが?」

「え? いや特定の誰が管理しているということはないぞ」

「でも、あの神社。扉に鍵がかかっていました。鍵があるということは誰かが管理していると思うんですが」

「ああ。それか。……いや判らないな。これくらいにしてくれんか。こちとら婿養子でな。帰りが遅いと肩身が狭いんだ」

「そうですか。どうもありがとうございました」


 大方、生徒に悪戯されないように学校の先生の誰かが気を利かせて設置したといったところだろうか。


 創部の順序やどちらが先にプレハブ小屋を使ったのかがわかったのはある意味収穫だが、両方に使用許可が下りている以上それをもってどちらが正しい、という根拠にはなるまい。


 どうしたものかと考え込みながらも僕は自分の席に戻った。

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