裏3 日常
「お父さん。ご飯食べないと」
「ああ。そうだな」
私には、幽霊を見る力があるようだ。娘の霊が、ずっと傍で話しかけてくる。
触れようと、幾度と手を伸ばしたことか……その度に暗い気持ちになりながらすり抜けた手を見つめている。
「お父さん?」
「なんでもないよ」
ゆっくりと体を動かし、馴染んだアパートを見回す。
家族三人で過ごしたアパートと酷似したこの物件を見つけ、住もうと言い出したのは亜美だった。幽霊である亜美がどう交渉したのか分からないが無償で住んでいいことになっている。大家に確認もしたが、了承しているようだった。
お金が無いながら生活していられるのも、その大家さんのお陰であった。御歳七十を超えるとは思えないほど若々しい大家さんが、お金の無い私のために毎日三食準備してくれるのだ。
お陰で、あの死にかけていた状態から一週間も生きることが出来た。
全て亜美が帰ってきてくれたからだ。
蘇った訳でも幽霊となった訳でもないと話されたが、私にはちんぷんかんぷんだった。首を捻り続けていると、諦めたのか話を切り上げられた。
観測者とか、人形とか、聞かされたが理解が出来ない。昔、亜美が見ていたアニメの設定か何かなのだろうが、私には手の届かない領域だ。毎日同じ話をされても右から左へ流れてしまう。
「お父さん!!」
「ああ。すまない。少し考え事をしてしまってな」
ポリポリと頬を掻き、のそのそと隣の部屋へと向かう。
食堂となっているようで、アパート住人全員分のご飯を準備してくれている。それを無償で行うのだから、懐が深すぎる。
「おはようございます」
深々とお辞儀をしてから席に座る。
焼き魚に味噌汁。ご飯に海苔といつ見ても豪華だ。
「いつも、ありがとうございます」
「いいんさね。わたしゃこんなことしか出来んでね」
目を細めて笑みを作る大家さんに感謝を込めて手を合わせて食事を開始する。
早く仕事を見つけて恩返しをせねばと考えるも、脳裏に浮かぶのは前の職場である。何十年と勤め、コツコツと実績を積み上げた。後輩を教育し、頑張れと励ましながらも離れていく背中を幾度と見送った。
けして派手な活躍はしてこなかったが、支えになろうと努力を重ねた結果が横領の罪を被されてのクビ。また、同じことが起こるかもしれないと思うと……胃が痛くなる。
履歴書を書くだけで吐きそうになった時は、トイレで泣いたものだ。
仕事しか無かった私が、こんなにも仕事を拒絶するとは考えてもいなかった。どうやら、普通の幸せを追い求めることは難しいらしい。
ズズっとお味噌汁を飲み干し、再び手を合わせてご馳走様。食器を流しで洗い、大家さんにもう一度お礼をしてから部屋へと戻る。
「おかえりなさい」
「ただいま。変わりは……あるか」
「あはは」
日に日に、亜美の体が薄くなっていくように思えた。
寝ぼけていた朝は特に気にならなかったが、ご飯を食べてちゃんと目を覚ました今は気になってしまう。
本人は気にしていないようだが、このまま薄くなれば見えなくなってしまうかもしれない。そうなれば、私は……
「病気、なのかい?」
「死んでいるのに病気はないよ。これは、私の問題」
「なにか、出来ることはないのかい?」
「前にも言ったよ。でも……」
多分説明された時に聞いたのだろう。
理解出来ずに聞き流していたのでもう一度説明するのは嫌なのかもしれない。
「今度は、ちゃんと理解する。亜美が元気になる方法だけ、教えてくれないかい?」
「それは……うん。分かった。簡単に言うとね。絶望を集める、ことだよ」
「絶望?」
「負の感情と言ってもいいし、悲しみと言ってもいいよ。まぁ、普通の人にとって良くないことを集めれば、元気になるの。でも、そんな事したら……」
「私は、犯罪者になりかねないね」
ただ集めるだけでいいのなら、街を散策するだけで幾らでも集まることだろう。不平不満は、この世に溢れている。だけど、そんなものでは元気にならない様子。
だから、私がやらないといけないのだろう。私の行動で、集めなければ意味が無いのだ。
なら、答えは決まっている。
「私は!」
「行こうか。亜美」
「おとう、さん?」
「他の誰かよりも、私は亜美が大切なんだ。だから、元気になれる方法があるなら、是非とも実践したい」
優しく諭す。
世界よりも、他人よりも、私は亜美が大切だ。例え、死んでいるとしても、その価値観は変わらない。私の傍で元気に過ごしてくれるのならば、それに勝る幸せはない。
「お父さん……」
「絶望を集めよう。私でも、それは出来るだろう」
私にとっての絶望を思い出し、いつも持っている写真を取り出して見つめる。
記憶にこびりついている光景。
妻を焼いた炎。
あれこそが、私にとっての……絶望。
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