第3話『夏休みの始まり』

 7月20日、土曜日。

 今日から高校最初の夏休みがスタート。

 例年であれば、この時期になると梅雨明けして、夏の強い日差しが降り注ぎ、蝉の鳴き声がよく聞こえてくる。

 しかし、今日は雨が降ったり止んだり。蝉の鳴き声も全然聞こえない。例年通りなのは蒸し暑いことくらいか。気候だけだと、夏休みが始まったって感じがしないな。


「さてと、どうしようかな……」


 今日はバイトのシフトは入っていない。

 初日くらいは課題に一切手を付けずに遊んでしまおうか。あとは、昨日の夜に新曲を公開したから、新しい曲の制作を始めるのもいいかもしれない。雨は降っているけど、結衣に会いたい気持ちもある。

 ただ、課題を一切やらなかったら、明日以降も「まだ始まったばかりだから」と課題をするのを先延ばしにしてしまうかもしれない。

 よし、数学か英語科目の課題プリントをやろう。そう決めて勉強机の椅子に座ったとき、結衣から、


『ねえ、悠真君。悠真君って、夏休みの課題の取り組み方はどんな感じ?』


 というメッセージが送られてきた。こんなメッセージを送ってくるなんて。俺と一緒に夏休みの課題をやりたいのかな。


『早いうちからやり始めて、7月中にはだいたい終わるよ。遅くてもお盆のあたりまでには全部終わらせる』


 と、正直に返信した。俺は課題を早めに終わらせて、残りは好きなことを謳歌するタイプだ。花の観察日記や、内容次第では自由研究については、夏休みの終わり頃までやっていたけど。

 結衣はどんなタイプなんだろう? 普段から予習復習をしっかりとするタイプだから、序盤のうちに片付けそうなイメージだ。でも、学年1位の頭脳だから、最後の2、3日で一気に片付けちゃうタイプの可能性もありそう。

 色々と予想していると、結衣からメッセージが送られてきた。


『そうなんだ! 私も早めに終わらせるタイプだよ。なので、悠真君さえ良ければ、午後にどっちかのお家で一緒に課題をしませんか? 休憩のときにアニメを観たりとかして。お家デート感覚で』

「おおっ」


 とてもいい提案なので、思わず声が漏れた。

 結衣と一緒にいられるし、課題を進められるし、分からないところを教え合えるし、一緒に楽しいこともできる。あと、恋人と一緒に夏休みの課題をした経験はない。だから、結衣のメッセージを見て気持ちが高揚してきている。もちろん、了承の旨のメッセージを送った。

 あと、結衣は課題を早めに終わらせるタイプなのか。こういうことでも、自分とタイプが重なるのは嬉しいものだ。

 それからもメッセージをして、今日の午後に結衣の家で、英語科目中心に課題をすることに決まったのであった。




 午後1時半。

 自宅から10分ちょっと歩き、結衣の家の前まで到着した。俺は玄関のところにあるインターホンを押す。


『悠真君! すぐに行くね!』

「うん」


 インターホン越しでも結衣の声が聞こえるといい気分になる。蒸し暑い中歩いてきて良かったなぁ、と思いながら、自分の傘を傘立てに入れる。


「こんにちは、悠真君!」


 応答があってからすぐに玄関が開かれ、結衣が姿を現した。結衣の服装はデニムのショートパンツに、ノースリーブのVネックシャツ。涼しそうに見えるのと同時に、肌の露出部分が多いから艶やかさも感じられて。ここまで歩いたことで発せられている熱がさらに強くなった気がする。


「こんにちは、結衣。誘ってくれてありがとう」

「いえいえ。悠真君と一緒にいたいから。悠真君、今日はシフトないし」


 朗らかに笑いながら言う結衣。

 ちなみに、デートなどの予定を入れやすいように、既に決まっているバイトのシフトは事前に結衣に教えていた。それもあって、結衣は一緒に課題をしようと午前中に連絡してくれたのだろう。

 悠真君、と俺の名前を呟くと結衣は俺のことをぎゅっと抱きしめる。顔を俺の胸に埋めてスリスリしてくる。


「ジメジメした空気は嫌いだけど、悠真君の温もりは大好き。あぁ、汗混じりの匂いがたまらないなぁ……」

「ははっ、結衣らしい。俺も15分くらい歩いたけど、結衣の温もりはいいなって思うよ」

「良かった」


 結衣は顔を上げると、俺にキスしてきた。服を介して伝わる結衣の温もりはいいけど、唇から直に伝わる温もりはもっといい。

 少しして、結衣の方から唇を離す。ゆっくり目を開けると、そこにはニッコリと笑う結衣の顔があった。


「さあ、中に入って」

「うん。お邪魔します」


 俺は結衣の家の中に入った。

 リビングにいる結衣の御両親に挨拶。結衣がアイスティーを作ってくれるので、俺は1人で2階にある結衣の部屋へ向かう。

 部屋の中は冷房がかかっておりとても快適だ。蒸し暑い中歩いて汗を掻いたから、冷房の風が直接当たると寒く感じるほど。

 テーブルの周りにあるクッションに座って、トートバッグから筆記用具に、英語表現Ⅰの課題問題集、コミュニケーション英語Ⅰの課題プリント、電子辞書をテーブルに出した。


「お待たせ。アイスティーを持ってきたよ」

「ありがとう」


 結衣はマグカップ2つを乗せたトレーを持って、部屋の中に入ってきた。俺の目の前と、俺の右斜め前にあるベッド近くのクッションの前にマグカップを置いた。

 さっそく、俺は結衣が淹れてくれたアイスティーを一口飲む。


「あぁ、冷たくて美味しい。ほんのり甘いし」

「ふふっ、良かった。ところで、英語表現とコミュニケーション英語……どっちからやろうか? 私はどっちでもいいけど」

「……コミュニケーション英語かな。こっちの方がボリューム少なそうだし。とりあえず、1科目終わらせられたら、次の課題へのやる気も出そう」

「それは言えてるかも。じゃあ、コミュニケーション英語からやろう」


 結衣は筆記用具とコミュニケーション英語の課題プリントを持って、ベッド近くのクッションに座った。

 そして、俺達はコミュニケーション英語の課題を始める。

 一度、プリント全体をざっと見てみると、どうやら1学期に習った内容の総復習という感じだ。量はそれなりにあるけど、時間がそこまでかからずにできそうかな。

 結衣の方をチラッと見ると、さっそく問題を解き始めている。真面目な様子でシャーペンを動かす姿はとても美しくて。このまま見続けていたいけど、それでは課題が進まない。アイスティーを一口飲み、気持ちを引き締めて俺も問題を解き始める。

 復習のような内容なので、そんなに難しくはないな。俺がそう感じるんだから、結衣にとっては簡単かもしれない。


「……あれ」


 この英訳問題……結構難しいな。少し考えてみるけど……全然分からない。


「結衣。分からない問題があるんだけど、質問してもいいかな」

「もちろんだよ!」


 結衣は嬉々とした様子でそう答えてくれる。今日初めて、分からないところを質問するからだろうか。

 例の英訳問題について質問すると、結衣は既にその問題は解いたという。結衣は俺が持ってきたルーズリーフに単語や構文を書きながら、分かりやすく説明してくれる。


「だから、この英訳になるの」

「そういうことか。分かりやすかったよ。ありがとう」

「いえいえ」


 結衣は爽やかに笑いながらそう言ってくれた。

 結衣の方のプリントを見ると……凄いな。俺よりも結構先のところまで進んでいる。さすがは学年1位。


「……あれ? 結衣、この英訳問題の解答……」

「どうかした?」

「俺も解いたんだけど、この単語は『flame』じゃなくて『frame』だと思う。『flame』だと『枠』じゃなくて『炎』って意味になっちゃう」


 俺がそう言うと、結衣ははっとした表情に。


「本当だ! スペルミスしてた。期末試験はこれで点を落としたから、気をつけようって心がけていたのに。ダメだなぁ、私。教えてくれてありがとう、悠真君」

「いえいえ。いつも結衣に教えてもらってばかりだけど、教えることができて嬉しいよ」

「ふふっ。ありがとう」


 そうお礼を言い、結衣は俺が教えた通りにスペルを直した。

 それからも、たまに結衣に教えてもらいながら、コミュニケーション英語の課題を進めていく。

 結衣が先に終わったので、終盤は結衣に見守られ、時にはスペルミスを指摘されながらこなしていった。


「よし! 俺もコミュニケーション英語終わった!」

「お疲れ様、悠真君!」

「結衣もお疲れ様! 何度も教えてくれてありがとう」


 部屋の時計を見てみると、今は午後3時過ぎか。もうそんなに時間が経っていたとは。それだけ課題に集中できていた証拠だろう。ただ、この集中力と結衣の教えがなかったら、こんなに早く課題が終わらなかったと思う。


「一気に取り組んで、2人とも1科目終わったから、長めに休憩を取ろうか」

「そうしよっか、悠真君。休憩中は隣同士に座ろうよ」

「それいいな。じゃあ、俺が動くよ」


 俺は結衣の隣までクッションごと動き、ベッドにもたれかかるようにして座る。

 すると、結衣は俺の方にそっと寄りかかり、頭を俺の右肩に乗せた。そのことで結衣から温もりや柔らかさ、甘い匂いが感じられる。


「あぁ、気持ちいい。こうしていると、課題をした疲れが取れていくよ」

「俺もだよ。部屋の中が涼しいから、結衣の温もりが凄く気持ちよく感じる」

「そうだね」


 俺と結衣は至近距離で見つめ合い、ゆっくりと顔を近づける。その流れで唇を重ねた。そのことで、アイスティーの香りがほんのり感じられた。

 唇を離すと、結衣は「ふふっ」と楽しそうに笑い、再び俺の肩に頭を乗せた。


「そういえば、柚月ゆづきちゃんも一緒に行けるようになって良かったよね」

「そうだね。柚月も3年ぶりに行けるのを楽しみにしてる」


 福王寺先生の有休の申請が通ったため、七夕祭りに一緒に行った7人は確定。

 ただ、伊集院さんが確保してくれた2つの客室に泊まれる最大人数は8人。なので、あと1人一緒に行けることになっていた。

 昨日の夜、行くのが確定しているメンバー7人で、誰を誘おうか話し合った。その結果、柚月ちゃんがいいんじゃないかという話に。

 結衣曰く、旅行に誘ったら柚月ちゃんはすぐに「行きたい!」と返事したそうだ。ただ、所属している女子テニス部のこともあるので、今日の部活動で顧問の先生に話すことになっていた。

 午前中に柚月ちゃんから連絡があり、顧問から「全然OK! 楽しんでおいでー」と旅行に行くのを快諾してもらえたそうだ。そのことを、結衣がグループトークにメッセージを送ってくれた。


「運動系の部活って、夏休みはお盆の時期以外はずっと部活があって、家族旅行とかで休むのが許されないイメージがあったよ。夏休み中に大会が開催されるスポーツも多いだろうし」

「なるほどね。中学のテニスも夏休み中に大会があるけど、開催時期は8月下旬。それに、女子テニス部は、大会直前じゃなければ定期的に休みを入れるみたいだからね。ちなみに、顧問は私が国語の授業でお世話になった先生だけど、穏やかな優しい人だから。きっと、旅行も許可してくれると思ってた」

「そっか」

「あと、同級生や先輩から、お土産とお土産話を楽しみしてるって言われたって」

「そうなんだね」


 顧問や部員が、旅行で部活を休むことに肯定的な考えの人達で良かった。長期期間中に部活を休むと、試合や大会のメンバーに選ばれなくなることもあるって聞いたことあるし。休んだことの妬み原因で部活内いじめになった話も聞く。柚月ちゃんに何かあったら、将来の義理の兄として支えよう。


「柚月はお姉様と杏樹先生とはまだ会ったことないけど……きっと、3人なら大丈夫だと思う」

「俺もそう思ってる。柚月ちゃんは快活な子だし、芹花姉さんも福王寺先生も可愛い女の子は大好きだからな。仲良くなれるんじゃないかな」

「そうなれるよね、きっと」


 そう言う結衣の顔には落ち着いた笑みが浮かんでいた。柚月ちゃんのことを話すとき、結衣は今のような表情を見せることが多い。きっと、これが姉の顔なのだろう。そういったところも素敵だ。


「8人での旅行、楽しみだな」

「うん、楽しみだね!」


 結衣の笑顔が明るく可愛らしいものに変わる。

 およそ半月後の旅行では、みんなと一緒に楽しんで、特に結衣の笑顔をたくさん見られるといいな。


「ねえ、悠真君。先週放送した『鬼刈剣おにかりつるぎ』を観ようよ。いいところで終わったし、今日は最新話放送するから」

「おっ、いいね。じゃあ、『鬼刈剣』を観たら英語表現の課題をやろうか」

「そうしよう!」


 それから30分間、結衣の大好きなアニメの『鬼刈剣』を観る。Blu-rayに録画して何度も観たけど、怒濤の展開だから飽きないな。

 『鬼刈剣』を観たのもあってか、休憩後、結衣は英語表現の課題に全集中で取り組んでいた。そんな結衣に触発されて、俺も集中して課題に取り組んでいく。分からないところは結衣に教えてもらって。

 結衣のおかげで、夏休みの初日はとても充実した一日になったのであった。

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