特別編3

プロローグ『来てくれていいんだからね』

特別編3




 6月20日、木曜日。

 今日は朝から「梅雨、好評期間中!」と言えるような雨がシトシトと降っている。夜までずっとこんな天気が続くらしい。

 ただ、空気は肌寒い。歩いて登校しているけど、歩いている中で体が段々と温かくなっていくのが心地いいと思えるほどだ。

 週間予報を見ても、曇りや雨の日は25度を越える日が一度もない。今年の梅雨は涼しくなるのかな。個人的にはムシムシするよりも快適だし、来年以降の梅雨もそうなってほしい。ついでに言えば、梅雨が明けても真夏日が数日くらいになってほしい。

 今日も無事に東京都立金井かない高等学校に到着する。徒歩数分で登下校できるのは素晴らしく、この高校に合格できて良かったと実感している。

 雨が降っているからなのか、登校する生徒の多くは立ち止まることなく、昇降口のある第1教室棟や第2教室棟へと向かっている。


「本当に雰囲気が変わったな」


 入学した直後から5月の終わり頃までは、登校すると第2教室棟の昇降口前で、俺・低田悠真ひくたゆうまの恋人の高嶺結衣たかねゆいが告白され、振る光景を見るのがお決まりだった。その際は多くの生徒が立ち止まり、告白の様子を見ていた。俺と付き合うようになってからは、そのような光景を見ることは全然ない。

 第2教室棟に入り、俺は2階にある1年2組の教室へ向かう。

 そういえば、結衣と付き合うようになってから、周りの生徒から蔑まれるような視線を向けられたり、変に絡まれたりすることがほとんどなくなった。教室でも、近くの席の生徒と多少会話をするようになったし。結衣のおかげで、平和な日々を過ごせている。

 教室に入ると、クラスメイトの多くが既に登校していた。もちろん、その中には、


「悠真君! おはよう!」


 俺と目が合うや否や、結衣は嬉しそうな様子で俺に手を振ってくる。結衣は長袖のブラウスにベスト姿だ。結衣に手を振ると、結衣は俺のところに駆け寄り、ぎゅっと抱きしめてくる。大抵は俺が後に登校するので、結衣と付き合い始めてからはこれが日常となっている。


「おはよう、結衣」

「おはよう。あぁ、今日も肌寒いから悠真君の温もりが気持ちいぃ。悠真君の匂いもいいなぁ。元気もらえるよぉ。今日の授業もこれで頑張れそう~」


 えへへっ、と結衣は楽しそうに笑うと、俺の胸に頭をスリスリしてくる。そんな結衣の頭を優しく撫でる。


「ふふっ、今日も結衣は朝から低田君成分を摂取しているのですね。見慣れた光景になってきたのです。そして、おはようございます、低田君」


 結衣の親友の伊集院姫奈いじゅういんひなさんがそんなことを言って、俺達のところにやってくる。伊集院さんは「ふふっ」と上品に笑っていて。伊集院さんは半袖のブラウスにベストを着ている。寒くないのかな。

 あと、低田君成分って何なんだ? 初めて聞いたけど。俺の体温や匂いのことかな。


「低田君成分……いいね、その言葉。私流に言うなら悠真君成分かな?」

「ふふっ、ご自由に使っていいのですよ。低田君も結衣成分などとアレンジして使ってくださいね」

「わ、分かったよ」


 結衣が抱きしめてくれたから、俺も自然と結衣成分を摂取できているな。結衣が言っていたように、結衣の温もりや甘い匂いを感じると元気をもらえるし、今日の授業も頑張れる気持ちになる。それに、結衣はクラスメイトだから、授業中でも彼女の姿を見られるし。

 結衣はゆっくりと俺に顔を近づけて、


「近いうちに、ベッドの中でたっぷりと悠真君成分を味わわせてね」


 耳元でそう囁くと頬にキスをしてきた。俺と目が合うとニッコリ笑ってくれるところが可愛らしい。ベッドの中で俺成分をたっぷり味わいたいと言うのは結衣らしいな。その際は俺も結衣成分を存分に味わえそうだ。俺が首肯すると結衣は再び「えへへっ」と笑った。


「みんなおはよう。今日もゆう君と結衣ちゃんは朝からラブラブだね」


 廊下からそんな声が聞こえてきたのでそちらを向くと、そこには俺達の友人の華頂胡桃かちょうくるみの姿が。寒がりなのか、胡桃はカーディガン姿だ。そんな彼女は穏やかな笑みを浮かべながら俺達のことを見ていた。


「おはよう、胡桃ちゃん。今日は肌寒いから、いつも以上にゆう君の温もりが恋しくて」

「寄り添うとあったかいよね。寒いからあたしはカーディガンを着てきたよ。姫奈ちゃんはベストを着ているけど、シャツは半袖なんだね」

「体を動かすとすぐに温まる体質なので、半袖がちょうどいいくらいなのです。そういえば、寒い時期になるとたまに結衣に抱きしめられていたのです。これからは、その役目が低田君に代わるのでしょうけど」

「悠真君のことはもちろん抱きしめるけど、姫奈ちゃんは体の大きさ的に抱きしめやすいし、私好みのいい匂いがするからね。だから、これからも抱きしめるつもりだよ~」


 結衣は伊集院さんのことを抱きしめる。

 確かに、結衣の言う通り、体の大きさ的に伊集院さんを抱きしめやすそうだ。抱き心地がいのか、結衣はまったりとした表情に。伊集院さんは抱きしめられたことが嬉しいのか、にっこりとした笑みを浮かべる。親友同士の心温まる光景だ。

 ――プルルッ!

 ズボンのポケットに入っていたスマートフォンが鳴る。普段よりも大きく鳴っているのは気のせいだろうか。

 そう思っていたら、結衣や伊集院さん、華頂さんがスカートのポケットからスマホを取り出す。みんなのスマホも鳴っていたのか。ということは、俺達みんながメンバーであるグループトークにメッセージが送信されたのかな。

 俺もズボンのポケットからスマホを取り出して確認する。すると、LIMEというSNSアプリから、俺達4人が入っているグループトークに福王寺杏樹ふくおうじあんじゅ先生からメッセージとスタンプ送信されたという通知が届いていた。


『風邪引いちゃった。38度5分の熱が出て、喉や鼻の調子がおかしいの。頭もちょっと痛い。だから、今日はお休みするね。学校の方には伝えてあるから』


 そんなメッセージと、熱を出した猫がふとんの中で寝ているスタンプが送られた。


「杏樹先生、風邪引いちゃったんだ。昨日は元気だったのに」

「梅雨入りしてから、雨が降ると今日のように肌寒い日が多いのです。そのせいで、体が冷えてしまったのかもしれませんね……」


 心配そうな様子になる結衣と伊集院さん。

 伊集院さんの言うことは納得できる。今朝起きたとき、ふとんを剥いでいた状態だったから寒気を感じた。寝間着はちゃんと着ていたから大丈夫だけど、もしお腹を出して寝ていたら俺も体調を崩していたかもしれない。


「……もしかしたら、あれが原因かもしれない」


 胡桃は真剣そうな表情でそう呟く。


「何か心当たりがあるのか? 胡桃」

「うん。昨日は閉店までよつば書店でバイトをしていたの。閉店の10分くらい前だったかな。杏樹先生がお店に入ってきて。そのときの先生、息を切らしていてね。髪や服が濡れていたの。そのときの服装は昨日の学校のときと同じだったから、仕事帰りだと思う。ハンカチで濡れた部分を拭いたら、コミックコーナーの方に歩いていったよ。仕事の途中だったから、何の漫画を買ったかまでは分からなかったけど」

「そんなことがあったんだな」


 どうしても、昨日中に買いたい漫画があって、仕事帰りに急いで本屋さんまで行ったのかもしれない。福王寺先生らしいかも。


「昨日は夕方から雨が降っていたし、日が暮れてからはかなり寒かったもんね」

「そうでしたね。走ったことの疲れと、雨に打たれたことで体が冷えたことで、先生は風邪を引いたのでしょうね」

「その可能性が高そうだね、伊集院さん」


 昨日の日中は福王寺先生は元気そうだったから。

 そういえば、昨日は午後8時過ぎまでバイトをしていたけど、帰るときは結構寒かったな。よつば書店の閉店時間は確か午後9時だったから、福王寺先生はもっと寒い中で走っていたと思われる。雨に濡れていたなら尚更に。

 画面を見ていると、グループメンバーであり、俺のバイトの先輩でもある2年生の中野千佳なかのちか先輩から、


『お大事に。今日も寒くなるそうですから、温かくして休んでくださいね』


 というメッセージが送信された。


「俺達もメッセージを送ろう」


 体調が悪い福王寺先生は、今も辛い想いをしているはず。気持ちが少しでも元気になればいいなと思い、先生に体調を気遣うメッセージを送った。

 4人の中では俺が最初であり、その後に結衣、伊集院さん、胡桃の順番でメッセージが送信された。3人とも、優しい内容のメッセージを送っているな。

 胡桃が送ってから1分ほど経って、福王寺先生からメッセージが。


『みんなありがとう。今日はゆっくり休むよ。あと……私の素を知っている5人だったら、放課後に私の家にお見舞いに来てくれていいんだからね。バイトとか特に用事がなかったらね。病人の私を気遣って、誰か1人だけ来るんじゃなくて、みんなで来てくれてもいいんだからね。べ、別に無理して来てくれなくてもいいんだけどね!』


 どうしてツンデレ口調なのだろうか。

 というか、こういう書き方だと、「放課後になったら絶対にみんなでお見舞いに来てほしい」と言っているようなものじゃないか。本当に可愛らしい担任の先生である。学校で『クールビューティー』とか『数学姫』って呼ばれているけれど、そんな雰囲気が全く感じられないな。

 俺と同じようなことを考えたのか、結衣達は「可愛いね」と言いながらクスクスと笑っている。


「放課後になったらお見舞いに行きましょうか」

「そうだね。悠真君と胡桃ちゃんって今日はバイトある?」

「俺はないな」

「あたしもないよ。あと、杏樹先生の家がどんな感じがちょっと興味ある」

「あたしも興味あるのです」


 胡桃と伊集院さんは福王寺先生の自宅に行ったことがないんだよな。それなら、興味が湧くのも当然か。今からワクワクしているように見える。

 ちなみに、結衣と俺は先週末にクモ退治をするために、先生の自宅に行ったことがある。


『1年生4人は、用事がないので放課後にお見舞いに行きます。中野先輩も行きますか?』


 グループトークに俺はそんなメッセージを送る。確か、先輩もバイトがなかったはず。

 すると、すぐに中野先輩からメッセージが。


『今日はあたしもムーンバックスのバイトはないからね。先生の家も興味ありますし、あたしも一緒にお見舞いに行きます』


 俺の記憶通りだったか。

 今日の放課後は、いつもとは違った時間を過ごすことになりそうだ。俺達がお見舞いに行くときには少しでも元気になっているといいな。

 それから数分ほどして朝礼のチャイムが鳴り、教員が1年2組の教室に入ってくる。もちろん、その教員は福王寺先生とは別の先生なのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る