数学オタクの転生賢者~すべてはジェットコースターから始まった~

文壱文(ふーみん)

序章

第1話-ジェットコースターを積分する夢

 ──まず初めに、葛木一也かつらぎかずやは数学オタクである。

 数学の別解を探すことに喜びを感じ、高校三年生にして数学という学問をこよなく愛し、数学を全力で突き詰める男、それが葛木一也であった。

 数学Ⅲを数学Ⅰ・A、数学Ⅱ・Bの内容に変換して解こうとしたり、問題の結果から何かしらの別解をひらめいたり──たとえば、彼は分数関数などの難易度の高い不等式の証明において、敢えてピタゴラスの定理を持ち込んでそれを証明することで大小を比較したりと授業中はいつも別解を探すことに全力を注いでいる。

 数学を解く上で如何に楽に計算できるかというスキルは大変重要視されるものなのだが、一也はその能力が断トツに優れているのだ。そのため、一也は算数オリンピックに出たりすることもあったくらいだ。

 ──そして彼には幼いころからの夢があった。


「あぁ……ジェットコースターを積分してぇ……」


 『積分』とは、高校数学における計算法の一つであり、面積や体積を求めることが可能となる。

 6時限目の数学の授業中、窓の外を眺めながら一也はそう呟いた。

 一也にとってジェットコースターとは、『アトラクション』よりも“関数の宝箱”という認識が強く「いつか積分して次元を一つ上げてやる!」と息巻いていたくらいなのだ。

 『天才と馬鹿は紙一重』とも言うが、あながち間違ってはいなかった。


「ジェットコースターを積分って……頭いいのか悪いのか分からないわよ……?」

「あのなぁ……ジェットコースターは関数の宝箱なんだ。だからこそ積分したいんじゃねぇか。もし微分したら平面になるのは目に見えてるからなぁ……」

「何言ってるのよ……一也って本当は馬鹿なの!?」

「さぁな、自分でも馬鹿馬鹿しいこと言ってるのは自覚してるけどよ……。やっぱ積分してぇ!!」


 一也は声を張り上げてしまった。


「──そこ! うるさいぞ!!」

「は、はい……」


 当然のように数学の先生の叱責が飛んだ。すると一也の隣の席に座る女子生徒──水谷由香里みずたにゆかりが必死に笑い声をこらえて口元を両手で覆う。因みに由香里と一也は小学校時代からの顔なじみであるが、付き合うまでには至っていない。


「あとで覚えてろよ由香里……!」

「ぷぷっ……! 毎度のことながら、本当に馬鹿なの? ふふっ……」


 まだ笑っている由香里を横目で軽く睨んでから一也は黒板に書かれている内容を見た。

 一也は元々予習を済ませており、内容も当然理解できるのだが──黒板の解答を見るとやはりと言うべきか、「もっと楽に答えを求められないのだろうか?」と別解を探そうと、今するべき事とは全く違うことに全力を割いていた。


「やっぱりそれ、(やってることが)間違ってるわよ……?」

「は!? どこがだよ!?」

「何言ってるのよ! 『今するべきではないことをしてる』ところに決まってるじゃない!」

「いや、それはどうでもいいんだよ……。俺の解答に何か間違いがあったのかと思ったんだが?」

「そんな訳無いでしょ! 寧ろ私の頭がついていけないわよ!!」

「またうるさいぞ! そこ!!」


 一也と由香里は小声で会話していたのだが、一也と由香里の会話は全く噛み合っていなかった。

 一也の言葉に少なからず頭にきた由香里は大きな声を出してしまったのだ。

 そして当然のように先生の叱責が飛んだ。


「ざまぁみろ……由香里。プッ……!」

「っ……!? 一也のくせにぃ……!」

「まあ……これでお互い様だな……ヒーッ!」

「今、私を笑ったわね~ッ!!」

「言い加減にしろっ!! 葛木! 水谷!!」

「「は、はいっ!!」」


 今度は両者共に先生からの叱責が飛んだ。

 それに伴って一也と由香里以外の生徒が笑いを堪えながら両手で口を押さえていた。


 〝クスクスクスクスクスクス。〟

 〝ププッ! プッ……! ププッ!!〟

 〝またやってるぜ? よく飽きないよな、あいつら……。〟

 〝きっと痴話喧嘩ってやつなんだろうな。どっか別の場所でやれよ……。〟


「もう、やめようぜ?」

「そそ、そうね……!」


 周りの微かな笑い声と迷惑そうな視線に羞恥心が込み上げてきた二人は、互いに〝和平を結ぶ〟ことでこの何の利益にもならない会話に終止符を打ったのである。



 ***



「もう! 一也のせいで私まで怒られたじゃない!! はあ……どうしてくれるのよっ!」


 授業が終わってホームルームを終えると、由香里は羞恥と怒りで顔を真っ赤に染め上げて一也を怒鳴った。


「いや、ジェットコースターを積分云々のくだりに参加してきたの……お前だろうが」

「う、うるさい! 私まで怒られたんだから何かお詫びしてよ! 早く、さあ早く!!」


 少しばかり言葉が汚いが、由香里は一也にお詫びを強請り始めた。「早く!早く!」と催促してくる分、余計に質が悪い。


「いや、だからお前が──」

「……何か文句でもあるの? 無いなら別にいいじゃん」


 最後の方は尻すぼみになって一也の逃げ道を塞ぐ。


「しょうがねぇなぁ……分かったよ! って、分かったからこれ以上顔を近づけるな!! 顔近い……」

「っ……!? お、オホホホホホ、私としたことが」

「はあ……〝自分の願望込み〟だけど今度、遊園地に行くってのはどうだ?」

「え、ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!? ま、待って! 私の、私の心の準備が……」

「はあ……? 何言ってんだ由香里? ジェットコースターを積分しに行くんだよ!!」

「……どうせそんな事だろうと思ったわよ……。グスッ」


 何故か由香里は目を涙で潤ませて一也を睨んだ。

 それに対して、何故泣いているのか理解していない一也は頭の中にクエスチョンマークを浮かべた。首を傾げても理由が頭に浮かばない。


「もう知らないわよ! 一也の、馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 由香里は全力疾走でその場を後にした。

 ──それを見ていた一也の数少ない友達が彼の席の前に立って声をかけた。


「お前……それはないんじゃねぇの?」

「はあ? 何を言ってんだ……? というか由香里は?」

「水谷さんなら泣きながら全力疾走で帰ったわ! いくらなんでもお前酷すぎだろ!! こればかりはお前が悪いぞ!?」


 一也と話している生徒──荒木広夢は一也に軽い嫉妬半分、呆れ半分で「もう少しお前は人との接し方を覚えるべきだ! そんなだから友達も少ないんだよ!!」とかなり真剣な顔で言った。


「俺はただジェットコースターを積分したかっただけなんだが……?」

「お前頭いいのか悪いのかどっちかにしろよな!? マジで! はあ……水谷さんが可哀想だよっ! いや、どうして分からないんだ!? 普通に考えたらそれはデートの誘いに聞こえるだろうが!!」

「そうなのか……」

「そこ初めて知ったみたいな顔するところじゃねぇぞ!?」


 広夢のお説教は帰りの道中にも続き、道が別れる頃には両者共にぐったりとしていた。


「さっきはその、何と言うか……悪かった」


 家に帰ると一也は由香里にスマートフォンの通話アプリで謝った。

 何故悪かったのかは散々広夢の説教で理解したため非常に申し訳なく思ったのだ。

 小学校の頃からの顔なじみだからか、一也も少なからず由香里に好意を抱いていたので尚更罪悪感が募る。


『グスッ……何よ、もうほっといてよ』

「あれはちょっと自分でも申し訳なかったと思ってる。だから……本当に──」

『? 本当に……?』

「俺と由香里の二人で遊園地に行かないか? まあ……俺もお前のことは、嫌いじゃないし……」


 最後の言葉が一番重要なはずなのに、一也の言葉は小さくなり、「好き」ではなく「嫌いじゃない」というように言ってしまった。

 しかし、必ずしも「好き」と「嫌いじゃない」は同じではないのだから、一番言うべきではない言葉だ。

 ここで一也の数学オタク的な考え方をするならば、「嫌い」という集合感情の補集合が「好き」という集合感情と同値ではないことに等しい。


『それってどうせまた……』

「そ、そうじゃなくて! お、俺も好きかもしれないんだ、お前のこと……。だから、遊園地にデート? でも行かねぇか?」


 一也は焦り気味にそう捲し立てた。その言葉を聞いて由香里はどきりとして今、一也が言った言葉についてクスクス笑いながら言った。


『なんでデートの後にクエスチョンマークがつくのよ……ふふっ』

「まあ、こういうのは新鮮というか……初めてだしな」

『それじゃあ今週の日曜日に行きましょ』

「あ、おう……」


 こうして、一也と由香里は日曜日に遊園地に行くことになったのである。



 ***



 そして、日曜日が訪れた。一也はネズミの海の入場口で由香里を待っていた。


「お待たせー! で、どれくらい待ってた?」


 期待のこもった眼差しで由香里は一也を見つめた。


「ああ、だいたい15分早めに出たから20分くらい……いっ!?」

「本当に馬鹿なのっ!?」


 一也は期待を裏切らずに正直に答えたのだが、由香里の望まない返答に由香里は目に影を落として一也を非難した。


「いや、単純に楽しみで早めに寝たからなんだが……何かおかしかったか?」

「子供かっ!! ……まあ、いいわよ。楽しみにしててくれたのなら」


 正直に答えたのが一度は災いしたが、それが一周回ってプラスにはたらいていた。


「それじゃあ行くか! まずは……ジェットコースターだっ!!」

「やっぱりそれは曲げられないのね」


 そして中央の火山にあるジェットコースターの列に並ぶ。その間も二人の会話を楽しんで順番を待っていた。列が進むと地下に降りてスロープを伝って下へ下へ降りる。


「よし! ジェットコースターを積分してやるぜ!!」

「ここでもそれ、言うのね……」


 いよいよ搭乗するといったところで一也は〝その台詞〟を口に出した。

そして安全バーを倒すと、ジェットコースターが始まった。


「う、うおおおおおおおお!! すげっ……って、ちょっと待っ──」


 積分するにも積分を実行する前に先へと進み、一向に積分ができない。


「ど、どうすれば……!」

「一也もいい加減、楽しもうよ!!」


 由香里が楽しもうと言った瞬間、〝あること〟に気がついた。

 一也の席の安全バーががたついているのだ。


「え!? か、一也? 何やってんの……!?」

「え? 何って……俺は何もしてないぞ?」


 そして坂を上るところで一也の安全バーが持ち上がってしまった。


「か、一也!? 大丈夫!?」

「え? あー、うん。大丈、っええええええええええ!? 何じゃこりゃああああああああああ!!」


 そして、ジェットコースターは坂を下り始めてしまった。

 安全バーが外れていることで固定されるものがなく、揺れや重力加速度Gやらが直接、一也へ襲いかかる。


「うぐっ! ちょっと、待ってくれ──」

「一也! 一也……!! 大丈夫!? だ、誰か一也を助けてっ!!」


 ──〝その願い……聞き届けましょう……!〟


 由香里の鼓膜を風が震わせる。そして──悲劇は起こった。アトラクションの入口に書いてあった安全第一の看板はどこへやら。


「うわああああああああああああああああ!!」

「か、一也ぁあああああああああ!!」


 一也は勢いで外へと投げ出されてしまった。羽織っていた上着が風に靡き、大きく空を落下する。

 とてつもない浮遊感と吐き気が同時に一也を襲った。そして、遅れてやってくる熱としか表現のしようのない痛み。

 何やら叫び声が一也の耳を刺激するが、朦朧とする意識の中、僅かに由香里の声があることくらいしか認識できなかった。


(せめて、ジェットコースターを積分したかったな……!)


 そしてこの日。葛木一也は命を落とし、異世界に転生することとなる。

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