第一章:深紅の欠片、目覚めの刻は足音もなく忍び寄る/02

 その日の放課後、教室を出たセラはいつものようにアンジェと横並びになって、校門までの道を二人で歩いていた。

「で、今日も迎えに来てるワケ?」

「うん、いつもの時間にってカイトと約束してるから。多分もう来てる頃じゃないかな?」

 二人で並んで歩きながら、アンジェは右手首に巻いた細身な腕時計……手首の内側に向けた格好で巻いているそれに視線を落とし、小さく唸りながら隣のセラにそう言う。

「っと……居た居た。カイトーっ」

 そうして腕時計を見ながら二人で歩いていると、校門が近づいてきた頃にアンジェは校門の向こうにある道路……すぐ目の前の路肩に横付けして停まる、見慣れたオレンジ色のスポーツクーペの姿を見つけて。そうすれば、手を振りながらそちらの方に早足で歩いて行く。

「おう、おかえりアンジェ」

 そのオレンジ色のスポーツクーペ、Z33型の日産・フェアレディZのボディに寄りかかりながら待っていた青年――――戦部いくさべ戒斗かいとは小走りで駆け寄ってくるアンジェに軽く手を振り返しつつ、そう言って彼女を出迎えていた。

「相変わらずね、アンタたち」

 駆け寄るアンジェと、出迎える戒斗。完全に見慣れてしまったそんな光景を前に、セラは腰に手を当てながら呆れた様子で言う。

「今更だろ?」

 すると戒斗が皮肉げな調子でそう言い返してくるから、セラは「かもしれないわね」と言って、小さく肩を竦めてみせた。

「それじゃあ二人とも、アタシはお先に。アンジェ、また明日ね」

 とすればセラはそう言うと、二人と別れてさっさと別方向に歩いて行ってしまった。

「んー……?」

 軽く後ろ手なんか振りながら去って行くセラの、そんな彼女の後ろ姿を、アンジェはうーんと首を傾げながら見送る。

 そんな彼女の不思議そうな横顔を見て、戒斗が「どうした?」と問うと。するとアンジェはチラリと横目の視線を戒斗に向けながら、やはり不思議そうな面持ちでこう呟いた。

「なんだか今日のセラ、あんまり元気がなかったんだよね。さっきからなんか素っ気ない感じだったし……どうしちゃったんだろ?」

「風邪でも引いたんじゃないか?」

「そうは見えなかったよ?」

「じゃあ……なんだろうな」

「うーん……分かんないけど、心配といえば心配だな」

 実際、アンジェは彼女のことを心から案じていた。

 アンジェは知らないが故に、心からセラのことを案じられていたのだ。彼女が遥に対して……ウィスタリア・セイレーンに対して複雑な思いを抱いていることを。あの場に居合わせた自分を目撃していて、しかし昼休みに自分が嘘をついたのをセラが気に掛けていることを。セラが抱えている、そんな複雑な思いを知らぬが故に……アンジェはただ、純粋な気持ちでセラを案じていたのだった。

「まあいいさ、とにかく乗ってくれよアンジェ。疲れただろ?」

 戒斗はそんな風に首を傾げて唸るアンジェの傍ら、そう言いながらすぐ傍にあったZの助手席側のドアを開け、車に乗るよう彼女に促す。

 すると、アンジェは「ん、分かった」と言って助手席に乗り込むから、戒斗は彼女が乗り込んだのを確認してからバタンとドアを閉じ。自分も運転席に回るとシートに滑り込み、エンジンを掛けたまま置いていた愛機に乗り込む。

「んあー……っと。さあてと、んじゃま行くとするか」

 ドアを閉じた後、シートに収まったまま戒斗は軽く伸びをして。パキポキと身体の節々を鳴らした後でシートベルトを締めると、さてZを発進させようとしたのだが。

「痛っ……」

 そうした矢先、隣の助手席でスクールバッグを開き、中から取りだしたノートをペラペラと捲っていたアンジェがそんな、小さな痛みを堪えるような声を漏らす。

「大丈夫か?」

 アンジェが漏らした声に反応した戒斗がチラリと横目に見てみると、どうやらアンジェはノートの端、紙の端っこで左の人差し指の先を軽く切ってしまったようだった。

 よくある話だ。切った傷口から血の滲む、痛そうな傷口を軽く咥えながらアンジェは「えへへ……」と少し恥ずかしそうな笑みを見せ。そうした後で、案じる視線を向けてくる戒斗に対しこう言った。

「ここ最近、なんか不思議と傷の治りが早いからさ。これぐらいの、ちょっとした怪我なら二時間ぐらい経てば自然と綺麗に塞がっちゃってるんだ」

「……それでも、雑菌が入ったらマズいだろ? ちょっと待ってろ――――」

 左の人差し指を小さく咥えながら言うアンジェを横目に見つつ、戒斗はシートから身を乗り出して後方に振り向き、丁度真後ろにあるラゲッジスペースへと手を伸ばす。

 すると戒斗はそこに積んであった自分の小振りな鞄を手繰り寄せて、その中に放り込んでおいた応急処置キットを取り出した。

 まあ文字にすると些か大仰が過ぎるが、中身は大したものじゃない。小振りなポーチに消毒液やら絆創膏やら、後は軟膏やら虫刺され用の薬のチューブを入れてあるだけのものだ。

「アンジェ、傷見せてくれ」

「あ……うん」

「チョイと沁みるかもだが、我慢してくれよ」

 そんな応急処置キットを取り出した戒斗はアンジェの左手を取ると、人差し指の先にある真新しい切り傷を軽く消毒してやり、ほっそりとした真っ白い指先にサッと絆創膏を巻いてやる。

 本当に大した処置ではないが、やらないよりは絶対にいい。些か過保護気味かも知れないが……それでも相手がアンジェなら、やらない選択肢など戒斗には最初から無いも同然だった。

「えへへ、ありがとカイト」

 絆創膏を巻いてやると、アンジェは何処か照れくさそうにお礼を言う。

「これぐらい、礼を言われるまでもないさ」

 そんな風にお礼を言ってくれた彼女に、戒斗は普段と変わらぬ横顔でそう返す。

「ふふっ……」

 絆創膏の巻かれた、つい数秒前まで戒斗の手が触れていた左の指先。そんな指先と絆創膏を、何故だか嬉しそうに眺めるアンジェを横目に……戒斗もまたフッと柔らかく表情を綻ばせ。ハザードランプを消してギアを入れると、今度こそZを発進させた。

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