010.お燐燐=箸が転がる

 ~~さね!~~さね!

 さねさねとうるさい声にシニエは目を覚ました。


 横を見るとけたたましい声でお燐とメディアが口喧嘩していた。

 半分まだ眠りに落ちた頭で耳をそばだてていると。

「このバカ猫!お燐燐」

「鈴の音みたいにかわいく呼ぶんじゃないよ」

 お燐燐。お燐燐。かちりとシニエの中で何かがぴったりとツボにはまった。

「シシシシ・・・お燐燐・・・シシシ・・・・・」

 おかしくてしかたがないとばかりにシニエは笑い出す。

「シシ・・・お燐燐・・・シシシシ・・・・・」

 自分は寝なければいけないのだ。これはいけないと小さな手で口を塞ぐ。しかし堪えようとしても笑いが止まらない。掛け布団で口を覆うが意味を成さず声が漏れる。さすがにメディアもお燐も異常に気がついて言い争いが止まる。ベッドの側まで行き、笑いを堪えるシニエを心配そうに見下ろした。

「これは・・・」

「ああ。箸が転がるだけでもおかしい、ツボにはまった、というやつさね」

「シシ・・・お燐燐・・・シシシシ・・・・・」

 よりによって『お燐燐』が笑いのツボとは・・・・

 密かにお燐は頭を抱えたくなる。

「何が面白いのか分からんさね」

「きっとこの子の世界には大きなお燐がいるのさね」

 お燐がシニエの世界にいる証拠だ。人生経験や知識の乏しい幼子の世界は知らないことが多い分だけ狭く、身近なものがその大半を占める。その代わりたくさんの余裕があるからシニエは水を吸う乾いたスポンジのようにこれからたくさんのものを吸収していく。弟子にすればいい魔法使いになるだろう。シニエ本人が望むなら久々に弟子をとってもいいかもしれない。

「・・・シシシ・・・腹・・・痛い・・・シシシ・・・」

 とはいえこれは笑いすぎだ。目に涙を浮かべている。本当に痛いのだろう。さすがにここまでくると気の毒になってくる。焦ったお燐が布団を剥いで大丈夫かとシニエを抱き上げる。よしよし落ち着けと背中をさすった。

「え~と人間は驚かせばやむんだったかさね?」

「それはひゃっくりのとめ方さね!」


―― 一時間後

「・・・やっと止まったさね」

「まさか笑いを止めるだけであんなそんなこんなになるなんて思わなかったさね」

「そうさね。あんなことでまさかそんなことになってこんなふうに治るとは思ってもみなかったさね」

 お燐とメディアはお腹を押さえて横向きに寝転がるシニエを見下ろす。頭には生の葱が巻かれ、首周りには紐でつないだ玉葱の首飾り。手足には香薬が巻かれている。葱の刺激臭に香草の香りが混ざって臭い。刺激を与えて笑いを押さえ込むのに成功したが口目鼻から液が駄々漏れで何か大切の物を失った少女がベッドの上にいた。

「腹、痛い・・・」

 腹痛ではない理由で涙を流しながら弱弱しく呟くシニエ。お燐とメディアは慌てて刺激物を取り除く。メディアは目や鼻を洗うための薬水を用意する。

「ほら。これに顔を浸けるさね」

 メディアの声にシニエが起き上がり差し出された桶を前にする。

「水の中で瞬きするさね。あと鼻で吸い込んで口から出すさね。ちょっと痛いかもしれないけど楽になるさね」

 シニエはいわれるがままに薬水に顔をつける。薬水はメディアの気遣いで人肌に温められていて冷たくなかった。目をパチパチする。痛くはないが条件反射で薬水に目が触れると瞼がぎゅっと閉じてしまう。うまく開かない。息を吸うように鼻で薬水を吸い込むと鼻の奥でツーンと痛んで咽(のど)に落ちてきた水にゴホゴホと咽(むせ)る。

 がんばるシニエにお燐がいたたまれなくなって背中をさすった。

 ぷはあ。とシニエが顔を上げる。お燐は手に持ったタオルで顔をゴシゴシ拭いてやった。

「どうさね?」

 パチパチと瞬きをする。鼻で息もしてみる。涙も鼻水も止まっていた。笑いが止まって時間が経ってお腹の痛みも薄らいでいる。問題ないと手を上げる。

「治った」

「やり方はともかくよかったさね」

「落ち着いたようで何よりさね」

 シニエの元気な姿に一人と一匹が胸をなでおろす。

 シニエはそんな一人と一匹をジーと見る。

「なんさね?まだどこか痛いさね?」

「メディア、お燐と似てる」

『どこがさね!』

 お燐とメディアが声を重ねて怒った。でもお燐は語尾に『さね』を付けるときがある。話し方が似ていた。

「メディアもお燐も同じ」

 二人が顔を見合わせる。メディアがクスッと笑い。お燐がばつの悪い顔になる。

「まねっこはこっちの猫のほうさね」

 あ~とうなり声をあげてお燐が後頭部を右前足でガシガシ掻く。

「メディアは生前のあたし。つまりはただの猫だったときのあたしの飼い主なのさ」

 メディアがお燐の飼い主。シニエは首を傾げて考えて思うままに聞いてみる。

「お燐のお母さん?」

 その問いかけにメディアがどんな答えをするのかとお燐に熱い視線を向ける。

「そうだね・・・お母さんさね」

 ぷいっとメディアのいない方を向いて言う。お燐の横顔は真赤で耳がぺたりと閉じていた。

「さあさあ。話はこれくらいにしてもうみんなで寝るさね」

 パンパンとメディアが手を叩く。その顔はとてもうれしそうだった。

 シニエを再びベッドに寝かせて布団をかける。メディアもカーディガンをはずしてもう一つのベッドに横になる。

「お燐。火の後始末よろしくさね」

 お燐は頷いて灰をかけて暖炉やかまどの火を消した。辺りが暗くなると金色の星が宙に浮かんでいた。一度消えてまた姿を現して見覚えのあるお月様にシニエはそれがお燐の瞳であることに気がつく。ゆっくりとシニエに近づいてくるとポンポンとお燐が布団を叩いた。

「お燐。メディア。お休み」

『お休みさね』

 お月様が宙から消える。お燐も横になったのだろう。でも側にいるのを感じた。夜が寂しく冷たくないのは初めてだった。

 シニエは眠りに付いた。

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