こどくのシニエとお燐燐(リンリン)

漣職槍人

第1章 少女と化け猫

001.少女と化け猫

 今夜はあったかい。

 いつもより明るい。


 いつもの夜は真っ暗で寒い。

 真っ暗な部屋。硬く冷たい床の上で眠るだけの時間。

 暗いのは、夜は眠る時間だから。

 寒いのは、太陽が沈む夜だから。

 太陽が暖かいのは大きな火の塊だから。

 太陽が消えるから夜は寒い。

 白い人たちに教えられた。


 ああ。もしかしたら今夜は太陽が沈まなかったのかもしれない。


 火に囲まれた中でシニエはそう思った。ここから動こうとする素振りもなく。両足を開いて床にぺたりと尻を落として座っている。


 もうもうめらめら。

 火の勢いは止まることを知らず衰える兆しもない。


 ガラガラ。

 遠くで大きな音がした。


 パチパチ。

 弾ける火の粉が空に広がりただでさえ逃げ場のない空間を埋め尽くす。大きな大人火から飛び出した小さな火の子がひらひらと舞い落ちるのをシニエは眺めていた。

 時折肌に付いてはチクリと刺す痛みに体がピクッと跳ねる。

 火が痛いのは当たり前。火が暖かく、ものを燃やし、触れば痛いのは白い人に教わった。真っ赤に光る熱い火の棒を押し付けられたのを思い出して左腕のミミズ腫れ痕を手がなぞる。大丈夫。この痛いは――虫の針や蛇の牙の痛い――慣れた痛いと変わらない。我慢すればそのうち痛くなくなる小さい痛いだ。だから怖くはない。むしろ。

 もうもうめらめら。

 目の前の火をシニエは見る。千状万態の火は近づくだけでも覆いかぶさるように迫ってくる。大きい火の。大きい痛いはいやだ。我慢できないと思う。この腕の傷も痛くなくなるまで長くていやだった。だから大きい火には触らないし、近づかない。火に囲まれたまん中でじっとしていた。でも火の子のチクリに混じって肌がヒリヒリする。空気が熱い。口と鼻の中がカラカラ痛い。体の真ん中より上がグググと苦しい。体がシニエに異常を訴えていた。息苦しさから無意識に服を右手で握り締めて胸元の部分にクシャリとしわができる。そして、ああそうか、と自分がとんでもない勘違いをしていたことに気がついた。

 近くも何も。シニエは太陽の中。大きな火の中だ。

 シニエは燃えている途中なのだ。

 これから大きな痛い燃えるになる。

 シニエはまだ燃えていないだけ。


 ガラガラ。

 遠くでまた大きな音がした。


 いやだなあ。

 痛くないのがいい。

 自分が痛みから逃げ切れないのだと悟ったシニエは気持ちを吐露しつつ。困ったと虚ろにシシシシとかすれた声を出して笑う。太陽の中にいつから。どれだけいたかはわからない。目がさめたら火に囲まれて。歩くこともままならない足で彷徨い。ここで火に囲まれて動けなくなった。シニエにこの痛いから逃れるすべはない。これから大きな痛いの中にどれだけいることになるのかもわからない。白い人の実験やいじめのときのようにただ空っぽでいればみんなそのうち通り過ぎるだろうか?


 ガラガラ。

 一際大きい音だった。近い。音にひかれて斜め上を仰ぎ見ると目前の天井が崩れた。ドンと大きな火の塊が落ち。ドドドドと石やら砂やらの小物が雪崩落ちる音が続く。同時に火の粉と灰が辺りに舞って火柱と灰煙がシニエの視界を塞いだ。


「あ~もう」

 火柱と灰煙の向こうから声がした。いらだたしげなガラガラ声は甲高い。

「こう歩くたびにいちいち足場が崩れてちゃ堪ったもんじゃないよ!」

 我慢できないとばかりに怒気のこもった声が響いた。声と一緒にシニエを見えない波が突き抜けて体を震わされた。機嫌の悪い白い人のようだ。ひっ、と思わず悲鳴が口から漏れた。


「ん~?なんだい?」

 シニエの悲鳴に声の主が訝しげな声を上げる。気づかれた。シニエがそう思った時には床から伝わる振動でもう声の主がシニエに向かってきているのがわかった。

 火煙掻き分けてあらわになる姿。掻き分けから逃れた残余の火煙が所々を隠してはいるものの。あらわになったその姿にシニエは目を見開いた。

 火の色を移したようなオレンジ色の大きな毛玉。いや。輪郭をなぞれば動く毛玉は二山の曲線を描いて縦に二毛玉が重なった形をしていた。あの奇妙な人形に似ている。シニエはその色と形に白い人に見せてもらったダルマという人形を思い出す。何度突き蹴り倒そうが起き上がってくる偉い人形で、人形でありながらたいしたものだとシニエは感心したものだ。ただ顔が怖い。はじめのうちはダルマが起き上がる度に怖くてシニエは必死に後ろに逃げた。そして側でその姿を何が面白いのか白い人が指さして笑っていたのを覚えている。

 しかし残余の火煙も消えると毛玉の新しい部分が現れる。ぴんと立った三角形の耳。大きなアーモンド形の目が機嫌悪く眉間にしわを寄せてシニエを睨む。自分を写す宝石のような瞳を割って縦に入る黒い瞳孔が細くなる。

 そうしてシニエはようやく毛玉の正体がなんであるのかを理解した。

 猫だ。前に見たことがある。ただ前に見た猫はシニエよりも小さかった。こんなに大きくない。目の前の猫はシニエの三倍もあった。白い人は人間だって大きい小さいがあるといっていた。きっと大きい種類の猫なのだろうと納得する。


 オレンジ色の毛は火のように暖かく。

 黄金色に光る瞳は宝石のように美しい。

 毛で覆われた大きな体はふっくらで心地よさげ。


 とても素敵な猫だとシニエは思った。

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