第7話 宵宵


 未成年に酒を飲ませたとあっては、のこのこ帰すわけにはいかなかった。


 一気にゆでだこになったいっちゃんは、ヘラヘラと笑った。彼女は今年の秋で十九になると言っていた。これまでの人生で、酒なんて飲んだことないだろうに。僕は浮かんだまどかの後ろ姿に舌打ちした。


 祭りの喧騒を一気に抜け出して、僕はタクシーを拾う。行き先はもちろん僕の家。泊まっていいの?とゆでだこが訊ねるので、是非そうして、と返すと、たこはへへへと無邪気な笑みを見せた。


 家についてすぐ、いっちゃんをベッドへと寝かせて、冷蔵庫の飲み物を飲ませた。

 ところが本人に不調の兆しは一切なく、にこりとお礼を言って小一時間眠っただけであっさり目を覚ました。


「いやびっくりした…。」

「こっちの台詞…!!」


 グロッキーでしばらく看病が必要だという僕の予想は外れて、いっちゃんは近くのスーパーまだ空いてるよね?と確認する。頷けば、そばにあった籠バッグを引き寄せて、シャツとサルエルは貸してほしいと僕に言った。


「服売り場あったよね。下着だけ買ってくる。」

「一人にできないので俺も行きます。」

「大丈夫なのに。」


 体を起こすいっちゃんは気丈そのもの。けれど立ち上がる足がふらついて、僕は強制的に彼女の右手を取った。そのままスーパーまでずっと、手を繋いで歩いた。一日手を繋いで歩いていたからか、いっちゃんも僕も、照れるなんてそんな初々しい反応をしなかった。


 いっちゃんが買い物をしている間、隣の雑貨売り場で時間を潰した。合流したいっちゃんに、彼女用の歯磨きセットとか、フェイスタオルとかを見せると、彼女は屈託なく笑ってお礼を言った。そしてごく自然に、彼女の右手が僕の掌に収まった。酒で火照っている右手よりもずっと、僕の左手が熱いのを、いっちゃんが言及することはなかった。


 帰ってすぐ、代わりばんこにシャワーを浴びた。真新しいタオルは吸水性が良くなくて、いっちゃんは結局我が家のタオルで長い金髪を拭いていた。

 ふと手を止めて、いっちゃんは意地悪く、且つ興味深そうな笑みを浮かべて振り向く。僕はああ来るな、と思った。


「どうして別れちゃったの?」

「……スケッチブックを破られたんだ。」


 それは僕がまだ、いっちゃんのいうところの、ふわふわでポヤポヤの頃。好きなことと、やりたいことがイコールじゃなくて、周囲に易々と言いくるめられてしまうような、芯も熱もない子どもだった。

 

 円は高校の、所謂マドンナだった。

 男女比率が極端で、殆ど男子校みたいな高校。そんな場所の、人より垢抜けた先輩。僕も例に漏れず、彼女を目で追っていた。振り向かせようと躍起になる人たちより一歩引いた、遠い場所から。星でも眺めるみたいに。

 そんな彼女が、急に僕の元へ降ってきた。建築科に絵の上手い下級生がいる。そんな理由だった。


 急速に距離の縮まったマドンナと、気付けば付き合うことになっていた。二年と三年。押し切られる形ではあったけど。彼女の溌剌とした、ステージの上で魅せるような、綺麗な笑い方が好きだった。


「最初はそれで良かったんだ。どこか上っ面の付き合いでさ、お互いのこと良いね良いね、って、ニコニコ褒めていられたうちは。」


 そんな上辺の恋人ごっこ、長く続くわけが無い。僕はそのうち、些細な意見の食い違いに戸惑うようになった。ただ相手の波長に合わせていただけだと分かるまで、そう時間はかからなかった。それでも、関係を崩してしまうのは嫌で、なんとなく自分を押し殺したまま、譲れるところを譲る日々が続いていった。


「俺は就職で上京することになって、円は地元の専門学校に通ってたから遠距離になったんだけど、年下の彼氏が東京にいる、ってことが自慢だったみたいで。俺は結局、円のステータスだった。…それが発覚したのが、スケッチブックだったんだけど。」


 それまで円に見せていた絵は、単調な線と点で、万人ウケしそうに描いたイラストばかりだった。そっちの方が喜ぶから。それだけの理由。実際彼女も、すごいすごいと手を叩いて喜んだ。それがまるで、子どもの絵を褒める大人のようだと気付いた頃に、自分が本当に描きたいものってなんだろう、なんて考えるようになっていた。


「社員旅行で、先輩が佐々谷の地元巡りしようって言ってさ。そんな旅行の最終日、社長の運転で、道間違えて辿り着いた美術館に、一枚の絵があって。完全に予定外だったけど。でもそれを見た時、俺、やっと分かったんだ。」


 燃えるような赤が、鮮やかなピーコックグリーンと踊っていた。

 F50号に描かれた、天衣無縫の極彩色。

 

「その絵を飾るための建物を作りたいと思った。設計図も、内装も、全部ぜんぶ鮮明に浮かんで、帰りの足でスケッチブック買ってさ、全部描いたんだ。」


 一晩中、携帯の着信も無視して、僕の中に浮かんだ全てを描いた。設計図だけじゃない。あの絵に触発されて、自分自身が描きたいと思った絵画の下絵も、何もかも。やっとスイッチが入ったんだ。

 

「やればやるほど、たりないと思った。知識も、技術も、経験も。たった一晩、これまでにないくらい自分と向き合って、そしてやっぱり、学校に通いたいって思った。」


 親に反対されて捻じ曲げた進路。この夢も、それまでやってきたみたいに、譲れると思っていた。諦められないと分かったとき、自分が情けなくなった。その後悔で目が覚めた。


「結局、学費は自分で稼ぐとなっても、美大は反対されたんだ。そんなもん何になるんだって。でもデザインなら少しは理解された。コップにも建物にも町にも、人生にも、全てにデザインがあるってことを説明した。大学は建築科を選んで、まぁ、今はこじつけで絵を描いてるみたいな。」


 親の許可を得て、学費が貯まった数年後、仕事を辞めて学生になるってことを円に伝えると、彼女は心底理解できないという顔をした。それよりも、彼女の連絡を三日放置したことに怒っていたらしかった。追い討ちをかけるように見せたスケッチブックの絵は、彼女のボルテージを最高潮にした。


「こんなものが私より大事だって言うの!って、俺の描いた絵を破かれて。癇癪ついでに筆は折られるしパレットは割られるし…普段非力だったんだけど…火事場の馬鹿力というか…あの剣幕はすごかったなぁ。」


 そこから完全に歯車は噛み合わなくなって、円はすぐに別な人を捕まえた。わざわざツーショットの写真と共に、ばいばいの一言を加えたメールが届いた。僕は茹でていたパスタを鍋ごと駄目にした。


「……っていうことがあって。別れて何年か経つけど、忘れた頃に当て付けのように連絡寄越すからうんざりしてたところです。」


 ちら、といっちゃんに視線をやると、彼女は予想外にも共感の笑みを浮かべていた。


「私もね、お前の描く未来に俺は居ないだろ、って言われたことがある。高三の進路決める前、あの大学に行きたいだの、これやりたいだの、そういう夢を全部語ったんだけど。それがかえって寂しい思いさせたというか、相手を置いてけぼりにしたのかもしれない。私も結局振られた側。」


 いっちゃんは少し決まりが悪そうに笑って、胡座を掻いたサルエルパンツを眺めていた。


「こういう格好もね、可愛くないって。やりたいことも賛同しない。好みの服も気に入らない。じゃあ私のどこに惚れてたの?って、今でも疑問だよ。…私の一番は絵を描くことで、貴方は二の次ですって、突き放せないくらいには好きだったりして、決断が鈍くなるばっかりで。」


 静かな部屋に、彼女の声と、秒針の音が響いていた。時計だと思っていた拍子が自身の心音だって、僕はしばらく気付かなかった。無意識に頷いていた僕に、いっちゃんが改めて向き直る。


「私、ハルの絵が好きだよ。」


 酔っ払いの戯言にしては酷く聡明で、元恋人への対抗にしては恐ろしく真っ直ぐな瞳。心に熱を灯すような言葉。


「あなたに出会えて嬉しい。」

「………それは俺の台詞…。」


 この感情を、一夏の恋のように扱いたくなかった。今日の、たかが一日で灯った熱じゃないことを、彼女へ証明してみせたかった。


 あの美術館で見た絵は、題名をマユールといって、孔雀を描いたもの。

 作者は、瀬川伊月というひとだった。

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