第5話 金歯の男

 ルパンへの実質的な勝利を喧伝したエルロック・ショルメはフランスでの知名度を上げ、『ホームズが無理ならショームズで』と呼ばれる程度の名声を確立した。その為フランスでの仕事が増え、以前のように頻繁に精神科医の診療を受ける必要も無くなり、私たちは月に一度の定期診療で会うくらいの関係へと落ち着いていた。

 その日も多忙を気取るショルメのスケジュールに合わせてパーカー街219番地を訪問したのであったが、医師である私が心ここにあらずな状態である事はすぐに彼に見抜かれてしまった。

 「おいおい、ウィルソン! そんな様子ではどっちが患者なのか判らないじゃないか! 悩みがあるのならば〈名探偵ハーロック・ショームズ〉を頼ったらどうだい? もっとも今はレディ・フランシス・カーファクスと共に失踪した独身貴族に関する事件や、花婿の正体が唇のねじれた入院患者であった事件などを抱えていて多忙ではあるのだがね! とはいえ、親愛なる〈相棒〉の為に儂の貴重な時間を優先的に割くのは難しい事では無いよ」

 もうこの段階でこの男へ相談するのは辞めておきたい気分になったが背に腹は代えられない。困っているのは私ではないのだ。私情を挟むのは止めよう。

 「実は私の生家があるバヌーユ村の神父を助けて欲しいんだ」

 「ほう! 君のその神父さんは誰を殺したのだい? 信者でも殺したのかね?」

 「違うよ。デソル神父は誰かを殺すような人じゃない」

 「ということは神父が殺されたという事か。死んだ人間を助けるのは儂の守備範囲ではないぞ。別の神父か、コナン・ドイルでも呼んで来ればいい」

 「違うって! もういい!」

 さすがに私が本気で怒っているのを感じ取ったのか、ショルメは彼なりにかなり譲歩した提案をして来た。

 「やれやれ、解かったよ。黙って君の話を聴こう。バヌーユ村なら日帰り出来るだろう。君の為ならば、儂の鞄はいつだって準備万端さ!」


 バヌーユ村は緑豊かな山に囲まれた丘陵地帯を切り開いた土地にある。屋根の低い家屋が立ち並ぶ中、村の象徴であるかのようにそびえ立つ古いロマネスク様式の聖堂はいつ見ても異彩を放っていた。

 「十八世紀にはバヌーユにも城があったんだ。その頃の城主が奉納した九つの聖具がこの村にある一番のお宝なのさ。聖体顕示台と十字架像が二つずつ、燭台が四本、聖櫃が一つ。国内外から信者が遥々拝観しに来る程の宗教的価値がある代物だ」

 聖堂の前に車を停めると、私たちは爽やかな空気を胸一杯に吸いながら聖堂脇の司祭館へと歩いて行く。すると司祭館の前で村人に説教を垂れていた神父が私たちに気がついて体を揺すりながら近寄って来た。幼少の頃からお世話になって来たデソル神父は、すでに髪が真っ白になっているにも関わらず、肥満に近しい体躯から発せられる張りのある低音によって教区の住民たちを魅了する、特徴的な二重顎を持つ老人であった。

 「ああ、ウィルソン! 待っていたよ! そちらが噂の名探偵さんだね。なんでもフランスの怪盗ファントマを逮捕されたとか──」

 多分に勘違いしている神父は、半ば無理矢理にショルメの右手を取って握手を交わした。少し運動しただけで汗だくになっている神父の掌は湿っていたに違いない。ショルメは素早く手を引いて服で拭うと、挨拶もそこそこに言葉を続けた。

 「神父さん、このたびの事件に関して儂はまだ何も聞いていないのですよ。どうか簡潔に説明してはいただけませんかね?」

 初対面の人物に対する接し方としてはかなり失礼だと私は感じたが、重大な問題を抱えている神父はそんな些事など気にも留めなかった。私たちを司祭館の中へと促すと、二階にある寝室を兼ねた自室へと案内する。ドアから入ってすぐ左に暖炉、右手に寝台が置かれており、暖炉の奥には書き物机が置かれている。寝台の向こうには正面と右手に窓が有り、質素な部屋を爽やかな光で満たしていた。右手の窓は隣に建つ聖堂へと接し、正面の窓からはミント畑が広がる緑の農園とその先の美しい墓地を見渡すことが出来る。

 ショルメはそれが当然とばかりに机の前に置かれている椅子へと腰を下ろした。神父が彼の前に立った為、寝台に座る訳にもいかない私は農園に面する窓へと寄りかかった。すると、神父の向こうに位置する暖炉の上の大鏡が外からの光を反射して私の目を眩ませた。仕方なく聖堂側の窓へと身を移す。

 場が落ち着いたのを確認して、神父は説教をするかの様に流暢に話を始めた。

 「当教区代々の司祭はバヌーユの地に伝わる九つの聖具の守護者でもあるのです。聖堂にある聖具保管室は頑強な壁と樫の扉に囲まれており、私が持っているこの鍵だけでしか開けれません。日中は私がその鍵を使って拝観者を案内しております。鍵は夜眠る際には枕にある隠しポケットへ入れてますので誰も触れる事は出来ません。ところがあの晩──」

 神父はそこで一旦言葉を切って、うっすらと汗ばんで来た額を手の甲で拭った。

 「失礼。ところがあの晩、深夜一時頃。私は何かを感じ取って目を覚ましたのです。手元に置いてあります懐中電灯の明かりでドアの近くを照らすと──何と! 男が立っておったのです! つばを伏せた帽子と立てた襟、光を反射する眼鏡で顔は窺えませんでしたが、男は私を見てニヤリと笑いました。その口の中にハッキリと二本の金歯が見えました。私は懐中電灯を投げ捨てて男へと飛び掛かりましたが、奴が素早く避けた為、暖炉へとぶつかってしまいました。その痛みに悶絶している間に男は窓の外へと掛けられた長梯子を伝って逃げて行ったのです」

 神父の汗の玉は彼の興奮に伴って滝のように流れ落ちて行く。

 「するとあなたの寝ている枕の中から男は鍵を盗んだわけですか?」

 ショルメは神父の汗の量が気になるのか、事件現場へは見向きもせずに神父の全身を興味深げに観察している。

 「私もそう思いましたので痛みを堪えながら立ち上がると、枕へと手を伸ばして確認しました。ところが鍵は枕の中に無事に残っていましたので、私は戸締りを確認してまずは体を休める事を優先したのです。そして翌朝、聖堂へと赴き聖具保管室を開けたのですが──なんと、中は空っぽでした!」

 そこまで語り終えると、神父は一息ついて汗をハンカチで拭き始めた。

 「おいおい、ウィルソン! まさかこんな事件の為に儂を呼んだのかね?」

 私が当初より想定していた苦情がショルメから発せられる。

 「犯人は金歯の男。こいつを捕まえてどんなトリックを使ったか吐かせれば終わる事件じゃないか。村人が何百人もいる訳ではあるまい? 暫く事件に同行しなかった間に、ちょっとした聞き込みすら出来なくなったとでも言う気かね」

 「容疑者は確保しているんだ」

 私は渋々ながら白状した。

 「ほう! では自白が取れないとでも言うのかね? そんなのは探偵の仕事ではなく神父の仕事だろう? さあ、懺悔室へレッツゴーさ!」

 「確かに自白は取れていないんだがそれ以前の問題で、目撃された犯人像と決定的な相違があって困っているんだよ」

 「その通りです。私が目撃した男の金歯は左側です。ところがベルテインさんの金歯は右側にあるのです」

 私の告白に続けて、神父が至って真面目な表情で補足した。

 「左側ではなくて右側だって? そいつは大事件だ! そんな難問ならウィルソンに解決できるはずもない!」

 「茶化すなよ──デソル神父、やはりあなたの思い違いですよ」

 「いいや、はっきり覚えているのだ。神に誓って金歯は左側だった!」

 「暗闇でしたから見間違えたのですよ。正直に右側だったと認めて容疑者を警察へ引き渡して終わりにしましょう」

 「神の住処で虚偽を述べる訳にはいかん! まして無実の人物をただ金歯があるという理由だけで犯人に仕立て上げるなんて以ての外だ! 金歯は左側だ!」

 「いいえ、右側です!」

 「左だ!」

 相変わらず頑固な神父だ。まあこの実直さこそがこの人の良い所でもあるのだが。

 神父とそんなやり取りをしていると、ショルメは緩慢な動作で拍手をしながら私たちを嫌味たらしく褒め称えた。

 「素晴らしい! こんな謎なき謎で楽しめる君たちを本気で尊敬するよ。ねえ君、その右だか左だかに金歯のあるベルテインさんを呼んで来てくれないか?」


 「ベルテインというのは村人の間で呼ばれているあだ名で私も本名は知りません。不思議な事に毎年決まって五月一日にこの村を訪れるので、いつしかケルト民族の火祭りに因んで〈ベルテイン〉と呼ばれるようになったのです。私の知る限り、ベルテインさんは五月一日に村へと来ると、いつも同じルートを一周した後、一泊して翌日の二日に村から出て行きます。ですから今回は御本人にお願いして滞在を延長して貰っています。その代わりに彼が出して来た条件は〈バヌーユ村に居る事を家族に伝えないこと〉でした」

 ベルテインは聖堂の隣でミント畑を営んでいるグラヴィエール氏の家に宿泊している為、わざわざ私が連れに行く必要も無く、神父が電話一本で呼び出してくれた。そして彼を待つ間、私たちは謎の〈ベルテイン〉という人物に関して神父からの説明を聴いていたのであった。

 「なるほど。儂としてはこんな簡単な事件よりも、そのベルテインとやらに興味があるね。彼の謎を解き明かすことが出来たら、さぞかし面白いだろうよ!」

 ショルメの軽口を聴いて、神父は目を丸くした。

 「先程から気にはなっていたのですが、ショームズさんは何処まで謎を解かれたのです?」

 「何処まで、ですと? ベルテイン氏以外のほぼ全てを解かっておりますとも! 後はベルテイン氏に面会して彼が犯人ではないという確証を得られれば、神父さんに幾つか質問するだけで全てが解明しますよ」

 「では九つの聖具は全て戻って来るのですか?」

 「そこはまだ何とも言えませんがね。しかし事件からそれほど日も経っておりませんし、おそらくは大丈夫だと言っても間違いないでしょう」

 「おお、何て事だ! あなたに神の祝福がありますように!」

 神父から最大級の賛辞が送られ、ショルメは鼻高々となる。

 そうこうしている内に部屋のドアがノックされ、二人の男が入って来た。室内にミントの心地良い香りが広がる。

 元々は仕立てが良かったと思われる、くたびれた紳士服を身に付けた小柄な男性がベルテイン氏であろう。その顔には憂鬱な表情が浮かんでいる。そして背後には彼を逃がすまいと自ら見張りを買って出た肩幅の広い頑強な農夫が立っていた。この人物が聖堂の隣人であるグラヴィエール氏である。

 「さてベルテインさん──こう呼ばれているのは御存知でしたか? 御存知ない? では何とお呼びすれば良いでしょう? ああ、ベルテインでいいですか。では改めましてベルテインさん、あなたが何故毎年五月一日へバヌーユ村へといらっしゃるのかお答え願えますか?」

 ショルメは畳み掛けるように問いかけたが、ベルテインはそもそも自分が何故ここに呼ばれているのかすら解かっていない様子であった。

 「神父さん、それから刑事さん。最初にこれだけは言っておきたいのですが、私はどんな質問にも正直に答えますし、黙って村から立ち去ったりしないとお約束しますが、この村を訪れた理由と私の本名だけは明かすことができません。それは私自身だけの問題ではなく、ある人物の名誉にも関わって来るからです」

 「なるほど。そこまでおっしゃるのならば仕方ありません──」

 ショルメの断定的な口振りにその場の空気が一気に緊迫した。

 「口を開いて歯を剥き出しにして下さい」

 その間の抜けた命令に私は心の中でズッコケた。

 不審な表情を浮かべながらも、何故か勝手にショルメを刑事だと思い込んでいるベルテインはその指示に従った。

 「ほお、確かに金歯は右側ですね。御協力有難うございました、ベルテインさん。もう村から出て行って大丈夫ですよ。奥様へ宜しくお伝え下さい」

 私も神父もショルメの言葉に驚いたのは同様であったが、それよりもベルテインの示した動揺の方が激しかった。

 「あ、あんたは一体何処まで知ってるんだ!」

 「全てです。儂は全てを知る者ですよ」

 ショルメは書き物机の上にある羊皮紙へと素早く何事かを書き付けた。

 「もし御家族にこの事を黙っていて欲しいのならば、こちらの供述書に同意の署名をして下さい」

 ベルテインは差し出された書類を訝しげに受け取ってから目を通すと、迷いも見せずに一気にサインをした。

 「これで本当に家内にはバレないのでしょうな?」

 「神父様が証人です」

 ショルメの言葉に納得したのか、ベルテインは書類を返すとグラヴィエール氏の脇を抜けて部屋から出て行った。

 建物内に響いていた靴音が遠ざかって行くと、突然ショルメが大笑いを始めた。

 「どうだね、ウィルソン! 我ながら見事じゃないか!」

 私はショルメが差し出して来た書類を手に取ると、声に出して読み上げた。

 「私の金歯は右側にあると証言します──何だい、これは?」

 「そこじゃないよ、重要なのは」

 「他は署名しかないが──あっ! アレクサンドル・ヴェルニソン! これがベルテインの本名かい?」

 「供述書に偽名を書く人間はいないからな。ばれたくない相手が家族=配偶者だという可能性は推理など必要がないほど明白だろう? だから奴の本名を知る為にカマを掛けてみたのさ」

 「すると全てを知っているというのは──」

 神父が恐る恐る問いかける。

 「勿論大法螺ですよ」

 「ああ、主よ! あなたの家で言葉を偽った子羊をお許し下さい!」

 「それでベルテインの本名が判った処で、今から調査を始めると言う訳か」

 私が呆れたように嘆息すると、ショルメは悪びれる様子も見せずに言い返した。

 「勿論。幾ら儂とて誰について調べるのか解からなければ謎の解きようなど無いからな。もっとも君と神父さんの為に、儂の個人的興味は後回しにしてこのつまらない事件を先に解決しておこうじゃないか」

 「どういう意味だい? まるでベルテインの正体と聖具紛失が別の事件のような言い草じゃないか!」

 「どうもこうも君が言う通り、別々の事件だからね。儂としては何故毎年五月一日にベルテインがバヌーユ村へとやって来るのか、その理由が最も興味深いのだよ。とは言え、この二つの出来事が全く無関係とも言い切れない。何故なら聖堂から聖具を盗んだ犯人はベルテインが毎年同じ日にやって来る理由を知っているからこそ、彼に容疑を押し付けようと計画したのだ」

 「容疑を押し付ける──真犯人がいるのか? だから犯人の金歯は左側にあったのか!」

 興奮した私をショルメは指を立てて制止すると、突如机の上のインク壺を手に取って私の口元を片手でガッと掴んだ。

 「はひほふふ!」

 私は『何をする!』と訴えたのだが、ショルメは聞く耳を持たなかった。もう一方の手の指先をインク壺の中へと突っ込むと、そのインクまみれの指を今度は私の口内へと突っ込んで来た。

 余りの惨状に神父とその隣人が顔を背けたのを目の端で捉える。

 「これで良し!」

 「何をする!」

 ショルメから解放され、怒り心頭に発した私の姿を見て、神父たちは必死に笑いを堪えていた。

 「なんですか、デソル神父まで!」

 私の訴えを受けて、神父が黙って鏡を指差す。私は鏡の前に立ってニッと口角を上げてみた。右の歯が二本黒く塗られている!

 「エルロック・ショルメ!」

 私は怒りを込めて奴の本名を叫んだ。

 「おい、その名前で呼ぶなといつも言っているだろう? それよりもお歯黒はどっちの歯にあるか答えてくれ」

 「どっちって右側に決まって──ああ! そういう事か!」

 やっと私にも得心がいった。神父も同様であったようだ。

 「その通り。神父さんが見たのは鏡に映った犯人の姿だったのだ。犯人は金紙か何かを貼り付けて、ベルテインの金歯をそっくり真似したのさ! 直接見られては不自然に映るかも知れないので、鏡の反射を上手く使った。ところが間抜けな神父とその信者は──おっと失礼、そんな事すら気づかずに、右だ左だで言い争う。本当に困った物ですな、グラヴィエールさん」

 突然ショルメから同意を求められて農夫は困惑しながら曖昧に頷いた。

 「そもそも、このヘッポコ探偵たちは犯人の意図すら汲み取る事も出来ない。犯人が危険を冒してまでこの部屋へ侵入した目的は、金歯を目撃させる以外に何故この部屋へ入って来たのか想像させる為だった。目覚めた時、鍵は神父が隠した場所に残されている。それなのに聖具は盗まれていた。ちょっと推理を働かせれば、犯人は鍵を返して犯行を隠し逃走の時間を稼ごうとしたと考えるのが普通だ。ところが呑気な田舎神父は──おっと失礼、鍵が盗まれていないと判ると安心して眠ってしまう。儂は犯人が気の毒でならないよ。そうは思いませんか、グラヴィエールさん」

 ショルメは執拗に無関係な隣人へと同意を求める。

 「さて、ここで神父さんに二つ答えていただこう。一つめは以前、鍵を誰かに預けた事は無いか。もう一つは盗難があった日、何故目が覚めたのか?」

 「鍵を誰かに預けるなど、そんな事をするはずがありません」

 ショルメの質問に神父が困惑の表情を浮かべた。

 「確かに聖具が納められた聖具保管室の鍵は誰にも預けないでしょう。しかしながら聖具が納められていない時の鍵はどうでしたかな?」

 「聖具が無い時──ああ! そう言えば十数年前の話ですが、聖具と共に他の教区へ巡回した事があります。あの時、鍵を預けたのは──いや、しかしそんな」

 神父はショックを受けたかのように続く言葉を失った。

 「もう一つ想い出して下さい。事件の日、あなたは何かを感じて目を覚ましたはずです。言い方を変えれば目が覚めた時、五感の中で一番印象に残った物は何ですか?」

 「五感の中で? 風──いえ、匂いです! 強烈なミントの匂いがしました!」

 「はい、止まって」

 私がグラヴィエールの行く手を遮るのを見て、ショルメが彼へと呼び掛けた。

 「儂と一緒に居るとウィルソンも勘が働くようだな」

 あれだけ不自然に隣人の名前を強調されれば、さすがの私でも警戒するという物だ。

 「犯人は神父から鍵を預かった際にスペアキーを造っておいたのだ。初めからそこに悪意があったのか、単に紛失するのを恐れたのかは解からんが、後生大事に隠し持っていたのは間違いない。そして何らかの事情で金が必要となり、聖具を盗み出す決心を固める。しかし単に盗み出すだけでは神父が鍵を預けた事を想い出すかも知れない。そこで年一回村を訪れる〈金歯の男〉に罪を擦り付けることにしたのだ。犯人の失策は神父が探偵ではなかった事、そして呼ばれて来た探偵が〈ハーロック・ショームズ〉であったことだよ。残念だったね、グラヴィエール君」

 嬉々として犯人へと呼び掛けるショルメ。私は肩を落とすグラヴィエールへ少なからぬ同情を感じた──と、同時に何だか気分が悪くなってきた。

 クラッとしてその場へと倒れる。

 失われて行く意識の中、ショルメの声だけが耳に残った。

 「大変だ! やはり指にインクを付け過ぎたか! 神父さん、牛乳は有るかね? 急いで飲ませれば、まだ間に合うかも知れん──」


 「──まあ、そんな訳でベルテイン氏の謎は呆気なく解けたって訳さ。まさかベルテインが昔グラヴィエールの妹君と交際していたとはね。そして彼女の命日である五月一日に律儀に墓参りしていたなんて推理出来る訳がない! ベルテイン氏は三百六十五日の内の一日、妻を裏切っている事に罪悪感を覚えていたようだ。生真面目というか、もっと奥方の度量の大きさを信じれば良いのにな! 例えば君なんか、今回の事故で儂の事を恨むのは筋違いだと思っているだろう? やっぱりそうだ! 何も言わなくても解かるよ。これが愛だよ、友情さ! そんな君の友情に応える為に、イタリアはヴェネツィアからイカ墨スパゲッティを取り寄せたからな。回復したら存分に味わうがいいよ──いやいや、礼など水臭い! 君と儂との仲じゃないか。それじゃあ、儂はしばらくフランスへ行くからお大事にな」

 胃の洗浄を終えて回復の為に入院している私の病室へと見舞いに来たショルメは、一方的に捲し立てるとアッという間に居なくなった。後には黒いスパゲッティを残して──。

 エルロック・ショルメ──この腹黒野郎!


                                 つづく

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