第18話-ほんとに居た

 ヨルは月明かりの中を走りながら、目の前にそびえる岩山を見上げる。


「たぶんこの山の上の方からだよね」


 何度か継続的に聞こえる音だけが頼りだったが、少し前からは聞こえなくなっていた。しかし今度は低く唸るような音が時折聞こえる。


「この岩山の……あの窪地のあたりかな」


 場所にアタリつけ、ブーツの紐を結び直すとヨルは音を立てずに一気に岩肌の崖を走りあがって行った。


――――――――――――――――――――


(何あれ、見たことない魔法陣だけど)


 岩山の中腹にポカリと空いた洞窟の内部。そこには異様な光景が広がっていた。篝火が焚かれ、床には赤黒い何かで書かれた魔法陣。


 周囲には頭からすっぽりと先が尖った黒ローブをかぶった集団がぶつぶつと呟きながら祈りを捧げている。一つだけ白いローブをつけている奴がボスだろう。


 その数、見える範囲で三十人ほど。魔法陣の真ん中に布で包まれた何かが横たえられており、時折もぞもぞと動いている。


(ほんとに居るなんて……ふふっ)


 ドラマやアニメでしか見たことのない光景に、ヨルは吹き出しそうになるのをこらえる。そのまま暫くどうやって進めようかと悩んでいると、突如魔法陣が淡く赤い光を放ち、すぐに収まった。




「やはり別の場所に出てしまったようじゃの」


「では当初の予定どおり、一部陣を修正した後に贄の命を使い、本番ですな」


「そう、ついに我らの神に顕現いただく時が来たのだ!」




 その時、洞窟全体に大きな地響きが響き渡った。初めはゆっくりと振動し始め、徐々に揺れが激しくなる。まるで大きな地震のような揺れがしばらく続いた。


(――地震?さっき、別の場所に出たとかなんとか言っていたけれど……。この揺れに関係があるの?)


 身を潜めながら色々と推測するが結論に達するわけもなく、ヨルは飛び出すタイミングを見極めようとしていた。そうしているうちに、何人かが魔法陣に魔力を加え、呪文を紡いでゆくのが見えた。


(これは止めないとまずいわよね、やっぱり)


 岩場の影から飛び出そうとした瞬間、赤黒い靄が魔法陣を包み込み、連動するように真ん中の布に包まれているモノがビクビクと動き出す。


「――んんん――っ!!」


 そこから聞こえるくぐもった叫び声はやはり若い女性のものだった。ヨルは岩陰から覗き込んで黒ローブの位置を確認し、腰に付けた鉄弾が入った小袋を二つ取り出す。

 無詠唱で補助魔法を片腕に掛け、放り投げた二つの小袋を連続で殴りつけた。


「――ッ!!」


 拳からショットガンの如く発射された小さな鉄弾は次々と黒ロープに突き刺さり何人かが倒れ伏した。


「なっ!! 誰だっっ!?」


 ヨルのいる場所を振り返り、誰何の声を上げる白ローブ。


(今のを目で追ったの……?)


 ほぼ全力で打ち出した鉄弾の飛んできた方向を瞬時に把握され、ヨルは今までの盗賊たちのように簡単にはいかないと気合を入れなおす。


(仕方がない……!)


 そのまま無言で岩陰から飛び出し、一番近くにいた黒ローブに拳を叩きつける。


「グモッ…!」


 手っ取り早く一人片付け、残るは後五人。


「お、お前ら! 儀式を急げ!」


「――らぁっ!!」


 一番偉そうな白ローブに一気に接近し、間合いに入った瞬間に渾身の右ストレートで下から腹部を狙う。


「くそっ!」


 男は左足を上げ、脛でヨルの拳を受け止めた。その勢いで少しよろめいたが、それだけだ。


「何者かは知らんが我らの悲願、邪魔はさせん!」


 白ローブの後ろではまだ動ける状態の黒ローブたち詠唱を続けており、魔法陣から先ほどより濃い霧が発生し始める。


「これは急がなきゃ、ヤバそうね」


 ヨルは儀式を止めるべく目の前の男を片付けようとするが、思うようにいかない。時折行使される攻撃魔法を左右に避けながら攻撃する隙きを狙っているように動き回る。


氷槍アイスランス!』


 男が最初の一撃を足で防いだため、ヨルは男が接近戦タイプだと認識していたのだが、魔法も器用に織り交ぜながらヨルの接近を防ぎつつ立ち回る白ローブ。


「当たらないわよ!」


 飛来する氷の槍を身体をひねり飛び上がって避ける。そのまま魔法陣の周りで詠唱を続けている黒ローブたちに向かって空中でくるりと前転し、追加の鉄弾を打ちだした。

 しかし繰り出した腕が伸びきった瞬間、背後に殺気を感じヨルは咄嗟に身をひねる。


「ぐっぅ……っ!」


 背後から飛来した真っ黒な魔力の球体がヨルの脇腹を掠め、壁にぶつかり音も立てずに同じ大きさの穴を開けて消えた。


「驚いたな……避けるのかあれを」


「それ、は……こっちの……セリ……フよ」


 脇腹から少なくない血を流しつつヨルは、儀式を続けていた黒ローブをほとんど倒れているのを確認し、脇腹の激痛に顔を歪ませる。


(――ったぁ……痛いし、この傷はやばいそう)


 しかしポーションを取り出そうとするヨルの耳に、腹の底から響くような咆哮が響いた。




「ふっ、ふはは! ついに! 我らの神が!」


 先程までヨルの身体能力と反応速度に驚愕の声を上げていた白ローブの男が、頭からすっぽりとかぶっている三角帽子を脱ぎ捨て狂気に満ちた顔で歓喜の声を上げた。

 魔法陣が脈動し、最後まで魔法を詠唱していた黒ローブたちが突如燃え上がり、黒い霧を立ち上らせて消えてゆく。


 魔法陣から一際大きな衝撃が発生し、布で包まれた女性が吹き飛び壁に打ち付けられ「ぐっ!」という声が漏れる。


(まだ生きている! 間に合え……!)


 ヨルは血が止まらない脇腹を押さえながら、落ちてくる布包みを受け止めるべく壁際に向かい走り出し、ギリギリのところでキャッチする。


「ふん……まさか生きているとは、なかなか魔力が高かったらしい。感謝するぞ。お前のお陰で我らの神が顕現なさる!」


 両手を広げて高らかに笑う男を横目で見ながら、ヨルはポーションを傷口に振りかけ、残りを口に含みながら布を縛っている紐を解く。


「……まさか本当に」


 布の中から出てきたのは先日街中で絡まれていた魔法使いのカリスだった。辛うじて呼吸はしているが顔は真っ青で苦悶の表情を浮かべていた。




 その時、魔法陣があった場所に激しいスパークが走り黒い魔力が洞窟内に広がった。その黒い魔力に身体を侵食され始めたカリスが呻き声を上げる。

 しかし白ローブの男は顔を真っ青にし震えながらも膝で立って耐えていた。


(くっ……この……魔力……は)


 ヨルも歯をガチガチと震わせながら、そう多くない魔力を身体の表面に纏わせながらなんとか耐える。震える手で腰に巻いたベルトを外し、痙攣を始めた女の子の腰に巻き、ベルトに付与されている魔法を解放する。


自動継続回復リジェネレーション!』


 カリスの顔が少し落ち着いたものになり、ふぅと息をついた時、背後でヘドロのような低い声が響き渡る。




『自らを封印し、眠りについていた我を呼び起こしたのは誰だーー』




「おお神よ! わたくしめが贄を捧げ貴方様を――……ぐべらっ」


 哀れ白ローブの男は最後まで言い終わる前に、身体が四つに裂け崩れ落ちた。


(あいつは――ッ!?)


 禍々しい気配をその身から垂れ流しながら佇んでいたのは、ヨルの古い記憶にも残っている悪魔だった。




 [プート・サタナキア]

 バフォメットとも呼ばれ崇拝されている神であり悪魔。山羊のような頭部に筋肉質の体躯。背には黒い皮の翼を持ち、性格は残忍とされている。



――――――――――――――――――――



『ふむ……まだ二つほど命の匂いがするな……どれ……我が傷を癒すための食事になってもらおうか』


 その山羊の悪魔――サタナキアは周りを見回しながら鼻をクンクンと動かし、人の気配を探りだした。


(…今の私でアレにダメージを与えられるのっ!?)


 ヨルはすかさずグローブとイヤリング、チョーカーに付与された魔法を全て発動させる。


瞬間加速アッケレラーティオ』……『重量ポンドゥス』…『超加速アクセラレーション


 神や悪魔の本来の形である、神体・精神体の状態だと物理攻撃は確実に効かない。


(だけど、さっき詠唱していた黒ローブの身体が崩れてあいつに変形した。受肉して実態を持っているなら――)


 しかし物理攻撃が当たるからといって、あの筋肉の鎧にダメージを与えられるのか確証は全くなかったが、あの鼻の効くサタナキアに今見つかれば二人ともこの洞窟が墓場となる。




(いっちょ粉砕覚悟で、やりますか)



deusデウスbronteブロンテ――pactumパクトゥムhumusヒュムス! rupes ルペスdensデンスphenomenフェノメンhastaハスタ』――――『攻撃分裂インクルシオームルトゥム』!


deusデウスauraアウラ――pactumパクトゥムhumusヒュムス! adamasアダマス glansグランスfragoフラゴ!!』――『魔風弾ウェント クロブス』!!


deusデウスvorヴォルpactumパクトゥムhumusヒュムス! rupes ルペス corコルphenomenフェノメンarmaアルマ』――――『地壁テラ アーレア』!!



 目を閉じ、なるべく気配を消しながら攻撃力上昇と衝撃貫通、防御力上昇の補助魔法を行使する。


 ヨルは脇腹をキュッと締めて、目をすぅっと開け――


「くらえぇぇぇっっ!!」


 踏ん張った地面に大きな穴を穿ち、ヨル自身が弾丸ような猛スピードで黒霧の中から飛び出した。


『――おぶぉぉっっ!!』


 音速に近い形で飛び出したヨルは、ソニックブームを発生させながらサタナキアに突っ込み、その筋肉の塊のような腹部に拳を突き入れた。



 一方、餌を探して舌舐めずりをしていたサタナキアにとってはまさに衝撃だった。叫び声を上げ壁まで吹き飛ばされ、粗大ごみのように盛大に崩れ落ちたのだった。




――――――――――――――――――――



『な、何が飛んできたのだ……あだだだっ!!』


 その山羊の姿をした悪魔は、本来感じるはずのない痛みに困惑の声を上げ、倒れたまま首を起こす。


 目に入ったのは、穴が空いて黒い血が溢れている自身の腹だったのだが――その腹の傷に片足を突っ込み、グリグリとだった。

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