道案内
早起ハヤネ
第1話 田原夫妻
「ばあさんや、ここが日本百名山の一つ、霊が集まるとの噂の、オイソレ山の登山口みたいじゃぞ」
「霊が集まるというだけあって、夏なのに、なんだかひんやり寒いくらいだわね」
田原夫妻は、夫のたわしが仕事をリタイヤしてからというもの、夫婦で日本中をドライブしながら、百名山巡りをしていた。登山歴は、十年ほどになる。
AコースとBコースの二つがあった。
案内板によれば、Aコースが距離は短いが勾配がきつい。
Bコースは、距離は長いが勾配は比較的緩やか。初心者向けのコースらしい。
「どちらに行きます?」と妻のミチ。
「もちろんAコースに決まっておるじゃろう」
「勾配がきついって書いてありますよ」
「登山は、きついほど達成感があるものよ。ミチ、わしらはすでに登山歴十年のベテランじゃぞ」
ミチがリュックを下ろしたとき、
「ワッ!」とたわしが声を上げた。
「な、なに! いきなりびっくりさせないで下さいよ」
「で、出た! 幽霊じゃ!」
彼の視線の先には、登山届のポストがあり、その横に長い髪で顔を覆われた者が立っていた。
「じいさん、あ、脚があるわよ! 幽霊じゃないわ。人よ!」
「くっくっくっ」とその者はふざけたみたいに笑った。顔は見えないが口の形が明らかに笑みを刻んでいる。「脚があるかないかで幽霊か否か…ばかばかしい」
どうやら若い男の声のようである。
「お前さんは何じゃ!」
人と分かってたわしはやや強気に出る。
「俺は、登山ポストでーす」
「ふざけるな!」
「マジだって、じいさん。悪いことは言わない。Aコースだけはやめておいた方がいい」
「なんで行きずりのあんたにわしらのコースを決められなくちゃならないんだ。一流登山雑誌に、おそれい山はAコースがお勧め、って星三つで書いてあったんじゃぞ」
「アンタ方のために言ってるんだ。登山歴十年なんてまだまだおたまじゃくしに足が生えてきたようなものじゃないか」
「そういうお前さんはどうなのじゃ!」
「俺かい? 俺は五年くらいかな」
「わしらより短いではないか! 素人がふざけるんじゃない」
「では、お好きなようにどうぞ」と男が言った。
田原夫妻は、再びリュックを背負うとAコースへと進んでいった。ズズズ、と微かに地面が揺れた。
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