Pioggia

セナ

Storia principale

1.Inizio












初めて人を好きになった。


でも、その人には、もう、好きな人がいて……


実ることのない、私の想い。


どこに、持って行けばいいんだろう?






















社会に出てから、一人の時間を持て余すことが多くなったように思う。


学生のときみたいに連絡すれば遊べる友達がいるわけでもない。地元を離れて出てきた街で、そこまで親しい人もいない。だから、休日はわけもなく街を歩いてみたりしてみたけど、どうもしっくり来ない。


暫く、試行錯誤をして本屋で沢山の本を買い込んだ。


「大丈夫、そんなに持てる?」


「大丈夫ですよ。会社でも力仕事とかしてますから」


心配そうにしている店員さんを、笑いながら流した。


もっとも、後になってから思うことなんだけど、このとき、店員さんの心配を素直に受け容れていれば、あんなことにはならなかったんだと思う。


本を詰めてもらった袋を抱えて街に出た。


空は、曇り気味であまり、いい天気じゃなかった。


「…… 帰ろ」


このまま雨が降ってもらっても困る。


私は、帰途に着いた。


暫く先で、ポツ、と頬に冷たいものが触れた。空を見上げると、今にも泣き出しそうな空が「もう泣くぞ、泣いちゃうぞ?」と、脅してるようにも見えた。


拙い。本が濡れちゃう。


私は慌ててその辺の軒先に駆け込んだ。すると、すぐに雨が本降りになった。


よかった。いや、よくはないのか。


兎に角、まぁ、雨が過ぎるのを待たなきゃ。























どれくらい、待ったかな。


まだ、雨は止む気配を見せない。どうしよう。


別に、私だけなら濡れてもいいんだけど、折角買った本まで濡らしちゃうのは……


タクシーでも呼んでみればいいかもしれないけど、私がタクシーの番号を知らないし。


そんなことを思ってるときだった。


目の前で、車が止まった。


前園まえぞのじゃないか。どうしたんだ?」


車の主は、会社の先輩の桑畑くわはたさんだった。


「傘とか、持ってないんなら送っていこうか? 俺はもう用事もないしな」


「え」


意外だった。


会社でも、まだ入ったばかりというのも手伝って、浮いてる私を覚えてくれただけじゃなくてこうして気にかけてくれる。それが凄く意外だった。


それに、桑畑さんには彼女がいるって聞いたことがある。そんな人の車に乗ってもいいのかな?


「タクシーの、番号を教えてください。タクシーで、帰ります」


だから、私はタクシーの番号を教えてもらうことにした。


桑畑さんは少しだけ、考え込んだ。そして、


「駄目。教えてあげない」


こう言った。


「素直に送られてよ。じゃないと、俺も雨の中震える後輩を置き去りにした最低な奴になっちゃうし」


「桑畑さん」


卑怯です、とは、本人を前にしては言えなかった。


だって、本人は何も気にしてないよ、と言いたげな人畜無害な笑顔を浮かべてる。そんな笑顔に対して「卑怯」だなんて言えるわけがない。


「…… バス停まででいいですから」


私は、結局乗ることにした。


このままじゃ、いつまでも私は帰れないし、桑畑さんもいつまでもここにいることになっただろう。


「駄目。ちゃんと、送ってあげるよ」


「でも、桑畑さんの手をそこまで煩わせるわけにもいきません」


「いいから。謙遜したりするのはそこそこにいいことだけど、人の厚意くらい素直に受け取って。じゃないと、差し出した方は、どうしていいかわからなくなる。それで、何かあっても手を貸せなくなる」


桑畑さんは真剣だった。


後輩思いの人なんだ、とも思った。


「いいんです。私は、それでも」


でも、だからこそ私なんかに構っていて欲しくもない。


「よくないよ。一緒に働く、仲間じゃないか」


私は、仲間じゃない。仲間にはなれない。


仕事は出来ないし、人ともろくに話も出来ない。そんな人が仲間でいいわけがない。


「いいんです。私、きっと仲間になんて、なれませんから。いつまでも足を引っ張って、迷惑をかけてくことしかできませんから」


怒らせたら、下ろしてもらえたりするのかな?


「前園。時間ある?」


「…… はい」


「ちょっと、寄り道する」


言い方が硬かった。やっぱり、怒ってるんだろう。


でも、それでいいの。彼女がいる人と一緒にいて変な誤解は受けたくない。


車は、暫くどこかへ向けて走っていった。


「どこに、行くんですか?」


答えは返ってこない。


やっぱり、私と話してるのは苦痛でしかないのかな。


そして、何故かバッティングセンターに辿り着いた。


「ここ、ですか?」


「そ、降りて」


私は桑畑さんに言われるがままに車から降りた。


「着いて来て」


そして、彼に手を引かれてバッティングセンターへと入っていった。


気付けば、窓越しに彼がバットを振る姿を見ていた。その姿はあまり上手とは言えなかったけど、一生懸命だった。一度バットを振るのも全力で、ボールを逃してもただがむしゃらにバットを振り続けていた。


「俺、野球なんて真面目にやったことないけどっ!」


バットを振りながら、桑畑さんは口を開いた。


「でも、こうしてバットを振ることだけは好きなんだ」


バットを振る。外した。


「外れても、バットを全力で振り抜いて、嫌なこととか、全部、吐き出してしまえるから」


「私のこと、ですか?」


「違う。違うけど、悔しかったんだ」


桑畑さんはバットを窓越しの私に向かって差し出した。


「そうやって、諦めて、最初から…… それが、嫌だ」


「諦めてって」


そんなつもりはなかった。私は、当たり前のことを言っただけ。


高校を出て、大学に入ったとき、私は自分が見えなくなった。煌びやかに見える周りの皆。そこに紛れ込んだ私。誰も知ってる人のいない日常を、ただ無為に過ごして、諦めることの難しさは知ったけど、捨てることの簡単さは知った。


それから、ずっと、私はいろんなものを捨ててきた。


いや、気付いてなかっただけで、私はずっと捨ててきたんだ。


「社会人だろ? だったら、周りとうまくやってくことも覚えなきゃいけないし、息を抜くことだって覚えていかなきゃいけないだろ?」


「……」


何も言えなかった。


「意外と、すっきりするんだぞ」


言って、桑畑さんはもう一度私にバットを差し出した。


私はそれを、受け取った。


バッターボックスに入る。後ろで桑畑さんが何かしてる。でも、そんなことより、私に向かって飛んでくるであろうボールをどうするかだ。


ぎゅ、とバットを握り締めた。


来た!


勢いよく、バットを振る。当たった。


ボールは大きく上のネットの丸に向かって、バットはピッチングマシーンに向かって飛んでいく。


「あ」


やっちゃった。


ガシャン、と大きな音がして、ピッチングマシーンの表示が全て消えた。


「く、桑畑さん…… 私」


恐る恐る後ろを見る。


桑畑さんは笑いを堪えることに必死だった。その更に後ろからここのスタッフの方が駆け込んできた。


「大丈夫ですか!」


「あ、はい。すみません。壊して……」


「いえ。お怪我がなくてよかったです。でも、次からは気をつけてくださいね」


「はい……」


申し訳なくて、情けなくて。私は項垂れることしか出来なかった。


だから、桑畑さんがどんな顔をしていたかなんて、私は知らなかった。


























あの後、結局帰ることになった。


「ごめん。あまり、気晴らしにはならなかったかな」


「いえ、そういうことは」


「いいよ、別に。素直に言ってくれても」


できません。そんなこと。


でも、機械を壊してしまったことで忘れかけてたけど、私、打てた。あの瞬間の爽快感を、私はまだ覚えてる。


この手で、生まれて初めてバットを持って、打てたんだ。


「嬉しかったんです」


私は、自分の手を見ながら口を開いた。


「生まれて初めて、バットを握りました。それは、この街に来て初めて、外で名前を呼んでもらえたことから始まったことなんです。全部、初めてなんです。


 こうして、男性と二人っきりで車に乗っていることも、何もかも」


「初めて、なんだ?」


「はい。それで、いろいろなことも経験できて。私、こんなに嬉しいって思ったこと、今までありませんでした」


何、言ってるんだろう。


こんなに、こんなこと言って、誤解されたらどうする心算なの?


桑畑さんには、彼女がいる。そんな人相手に、こんなことばっかり言って……


でも、彼女なんていなければいいなんて、思い始めてる私がいる。それは、私が……


桑畑さんを、好きになり始めてる証拠。初めて、誰かを好きになろうとしてる。


私に初めてをくれる人は、本当に初めてになるんだ。


初めて好きになって、初めて…… 失恋する相手。


何も言えなくなった。


ただ、悲しくて。どうして、この人だったんだろうって。どうして、車に乗ってしまったんだろうって。


この人じゃなければ、車に乗らなければ、こんな想いをしなくても良かったのに。


「私、ここで降ります」


「駄目だって。雨は降ってるし、荷物もあるし、傘もないでしょ?そんな状態で、会社の後輩…… それも、女の子を放置できないよ」


優しくなんて、なければいいのに。


自分の彼女にだけ優しければいいのに。そうであれば、よかったのに。


「ねぇ」


一瞬の沈黙の後、桑畑さんは静かな声で、言った。


「俺のこと、嫌い? 嫌いだからそんなに車から降りたいの? 嫌いだから、離れようとするの?」


違います。その言葉を口には出来なかった。


好きだから。好きだから、離れるんです。これ以上、好きになっちゃ駄目だから。


「答えて」


「……」


何も言えなかった。


沈黙が、凄く苦しい。


今まで、静寂を苦痛に感じたことなんてなかったのに。


「答えなくてもいいよ。でも、最後まで送らせて」


「…… はい」


























結局、アパートの前まで送ってもらった。


「じゃ、また会社で」


「はい」


車で走り去っていく桑畑さんを見送って、私は部屋に戻った。


買った本を床に放り捨てて、部屋の隅に積んであった布団に飛び込んだ。


どうしようもなく、涙が溢れてきた。


桑畑さんを好きになってる自分がいる。でも、それは許されないことなんだ。


だから、私は桑畑さんに嫌われて、それで諦めるしかない。


何もしなければ、どんどん好きになっていってしまうから。だから、嫌われるしかない。


「こんなの、嫌だよぉ……」













後書き




現段階ではまだ下の名前を出してませんが、前園 樹まえぞの いつき桑畑 静季くわはた しずきです。


おそらく、後からまた記すと思いますが、この作品、タイナカサチさんの『cry』という曲がモチーフになっています。


因みに、タイトルのPioggiaはイタリア語で「雨」という意味です。


副題は単純に始まり、です。この作品、タイトルは全てイタリア語で統一されています。単語帳やweb翻訳頼りなので、誤訳、誤用もあると思いますので、ありましたらそっとご指摘ください。修正します。

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