020 理系女子の初観劇(その11)

 結論から言うと、『勇者』の役割に飲まれていたビングを正気に戻すことができた。

 役割という存在がある以上、今が正気に当たるのかは分からない。しかしそれでも、いつも通りに戻ったビングは、フェイやヤンジ達の元へと戻ってきた。

「あだだだ……!?」

「たく……無駄に苦労掛けやがって」

「ヤンジ、もう少し続けといて。私が歯磨き終わるまで」

 戦闘も終わり、タオが寝かされていた関所内にある仮眠室に戻って来ていた。フェイが魔力を打ち込んだ後、気を失ったビングをヤンジが担いで運びこみ、そのままベッドの上に寝かしつけた。

 少しすると、すぐに目を覚ましてきた。一応は事情を説明しようとしたのだが、

『ごめん……迷惑掛けた』

 と、意識を取り戻した直後にそう頭を下げてきたことで、この場にいる全員が理解した。ビングは今までのことを覚えていたと。そうなると後は、すぐにでも関係を改善するために普段通りの落とし前・・・・をつければいい。

 要するに……一回シメれば万事解決という内輪的手段に訴えかけているのだ。

「だからって! だからってなんで逆エビ固めボストンクラブっ!?」

「そりゃそうでしょ」

 必死になって床を叩くタップするビングの顔に自らのを近づけながら、フェイは歯ブラシを抜いた口で泡まみれの言葉を吐き捨てた。

「こちとらもう少しでファースト・キス初めてなくすところだったのよ。あんたがあっさり役割に飲まれたばっかりに。もうちょっと根性見せなさいよね」

「む、無茶振り……ガフッ」

 あまりの痛みに失神したのか、ビングから身体の力が抜け、床にべたりと倒れ込んでいる。それを見たヤンジも、もういいかと両手を手放して立ち上がっていた。

「ちょっと、まだ続けなさいよ。こっちはまだ歯磨き終わってないのに」

「いや、もういいだろ。話進まないから、さっさと終わらせて来い」

 フェイは軽く息を吐いてから、うがいのためか洗面台へと歩いて行く。その背中をながめながら、ヤンジは足元で倒れ込んでいる幼馴染に声を掛けた。

「……生きてるか?」

「なん、とか……」

 適当なタイミングで力を抜き、フェイの目を誤魔化せたビングは、目を閉じたまま床に聞き耳を立てていた。特に面白い音も聞こえないが、復活するまでの時間潰しにはなる。

「あなた方は、いつもこうなのですか?」

「まあ、そんなところだ……」

 タオの問いかけに適当に答えてから、ヤンジは煙草を口に咥えて、ゆっくりと火を点けた。




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「ようやくクライマックスか……」

「そう言えば部長、鈴谷先輩に本当に噛みつこうとか言ってませんでした?」

「あの人、演技になると結構無茶振りかますよな。自他問わず」

 最後に流すBGMを確認しながら、蒼葉は肩で息をした。ガクンと落ちる感覚を味わいながら、軽く首を鳴らしてから座り直し、雑談の種をつつき出す。

「あれ一応、他の部員が反対したんだよ。おまけに鈴谷も反対そっち側だから、どうにか直前で暗転させる、ってことに決まってな」

「でも暗転してすぐにプロレス技逆エビですよね……あれはOKなんですか?」

「あれはOK。加減してくれれば別にいいってさ」

 最後ということもあり、軽く打ち合わせをした二人は、クライマックスへの準備を余念なく行っている。そんな中でも、意識を演劇以外に途切れさせない程度に、雑談を続けていた。

「本当に好きな人いるんですね、鈴谷先輩。ファンの娘が聞いたら泣くんじゃないですか?」

「別にいいだろ。あいつ芸能人でもホストでもないんだし。むしろ……」

 後はタイミングを合わせて音響機器を操作するだけとなり、蒼葉はイスの背もたれに体重を掛けながら、天井を見上げた。

「……顔がいいのイケメンを理由にして女喰い散らかすよりかはましだろ。もしかしたら升水お前も狙われたかもな」

「童貞臭が酷い人とはごめんですよ」

「そこはせめて『人間は顔じゃないですよ』と言ってくれよ。若干絶望するだろうが」

「先輩こそ、そういうのは特徴のない顔つきの人フツメン以下が言うべき台詞セリフですよ。黒桐先輩微妙にイケメン寄りじゃないですか」

「その言葉は嬉しいが微妙・・は余計だ」

 多少は自覚がある分、蒼葉は内心、少し暗くなった。

 容姿は整っている方だが、軍配は稲穂の方に上がっている。せめて鈴谷くらいのイケメンであればもう少し堂々とできるのだが、今度は家庭の事情が邪魔をしてくる。関係が進まないことに、蒼葉は若干辟易へきえきしているのだ。

「結局さ……『顔で選べる余裕がない』のが正解だよな。世の中」

「むしろ『顔以外で選ばざるを得ない』というのが近いんじゃないですか?」

「それいいな。今度の脚本は『顔』を主題テーマにしてみるか」

 しかし時間は、残酷なまでに過ぎるのが早い。

 ゆえに、蒼葉が在学中に、その脚本を書ききることはなかった。




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 早死するのは、いつも善人だった。

「…………」

 衛兵長の葬儀は、国総出で行われた。

 規模の小さな国とはいえ、全員から好かれる程に誠実な彼の葬儀を、拒絶する者はいなかった。ヤンジですら、国民から見えない位置から、粛々と黙祷もくとうを捧げているくらいだ。

 そして葬儀も終わり、人もけてきた頃。

 墓場には四人の若者が集まっていた。いや一名、実年齢は不明だが。

「誠実ばかりが、正解じゃないのに……」

「だがそれをなくしたら……俺達はただのけだものだ」

 ビングが墓の前に座り込み、コップに酒を注ぎ入れている。その横から静かに、フェイは花束を、ヤンジは火の点いた煙草を供え置いた。

「タオとか言ったよな。悪いが付き合ってくれないか? 俺達のわる足掻あがきに」

 立ち上がり、後ろに控えていたタオに振り返ったヤンジは、そう言った。その言葉に付き従うように、フェイやビングも立ち上がってくる。

「……上手く、いくとは限りませんよ」

 タオも、すでに覚悟はできているはずだ。でなければ、『創世クリエイト』と記載された本なんて重要な物を抱えたまま、逃げ出したりはしていないだろう。逃げるだけなら、そんなものはとっくに捨てているはずだ。

「それこそいまさらだ」

「私達の先祖も、全員が失敗している」

「どうせ失敗するなら……成功する可能性が高い方を選ぶのは当然だよね」

 葬儀の前に、話はつけてある。

 全員が旅装をたずさえている時点で、タオもそうなることは、十分に予想できていた。

 旅の目的地はまだ決まっていない。

 本を全て読み解く手掛かりすら存在しない。

 だが、それでも彼らは、歩き出すのだろう。

 もとより生きるということは、命じられでもしない限りは、ほとんどない旅に出るのも同じこと。その命令すら、生きるために従うか、死んでも従わないかを選んでいるようなものだ。

 つまり、生きるということは、一生選び続けなければいけない定めであり、同時に……全てを正しく選べるとは限らない。

「だから私達は生きる。そのために……邪魔なものと戦う」

 そして彼らがどうなったのかを、知る者はいない。しかし、ノワール公国の衛兵長の立場にじゅんじた者の言葉は、今でも彼の墓石に刻まれている。




『生き方を間違えてもいい……歩みを止めない限りは』




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「……ふぅん」

 舞台が終わり、映画のスタッフロールみたいなものなのか、壇上に上がった役者やスタッフの紹介が読み上げられているのを、稲穂は静かに聞いていたた。

 別に感想がないわけではない。

 ストーリーも結局はありきたり。役者の名前や呪文もとりあえずは日本語以外を使っていればいいだろうなんて甘えも見える。しかも肝心なところは場面展開を繰り返して誤魔化ごまかす有様。これで入場料を取っていたら、迷わず『金返せ』コールが流れていただろう。

 なのに……稲穂の心には、今でも演劇内での言葉がしがみついている。

「『生き方を間違えてもいい……歩みを止めない限りは』か……」

 他にも色々とあるが、それでも稲穂には、今の言葉が妙にこびりついていた。

「…………」

 思い出すのは、自らの産みの親である女のことだ。

 あの女を許せない気持ちは、たしかにある。今でこそ人として真っ当には生きられているが、運がなければとっくにこの世にはいないはずだ。むしろ、今まで自分から死のうとしなかっただけでも、すごいほどなのに。

 そう、自ら命を絶つ理由がなかった。

 ……稲穂には。

「あの女……」

 舞台挨拶も終わり、幕が下りていく。気の早い人間は、すでに席を立っているほどだ。

 そんな中、稲穂も立ち上がって、舞台となった公民館から出ていった。

 その後は公民館の前にある、小さな休憩用の広場に来て、そこに設置されたベンチに腰掛けていた。

 蒼葉から来たメールに適当に返信した稲穂だが、考えているのは全く別のことだった。

「……なんで生きているんだろう?」

 本当は後悔していないのか? 死にたくなるほどの罪だとは思っていないのか?

 そんなことをぼんやりと考えながら、事前に公民館を後にしていた穂積や紗季達に会うこともなく、稲穂は帰路に着いている他の観客達をながめていた。

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