011 理系女子の初観劇(その2)

「やっぱ客いじりとか、いらなかったんじゃあ……」

「でも先輩、ナレーションとリーフレットだけで設定を理解してもらうのは無理がありますよ」

「おまけに原作も前作もない単発スポットの劇だしな……ただの愚痴ぐちだ。聞き流してくれると助かる」

 観客の笑い声を聞きながら、蒼葉はBGMの音量をしぼりつつ、照明担当の一年生、升水ますみず美織みおりと話していた。互いがタイミングを外さないように意思疎通をはかる目的での雑談のため、必然的に劇に関連した話題となっている。

「変な勘違いされると困る奴がいてな。客いじりなんて、あんまりやらないからなぁ……」

「一歩間違うと世界観が壊れますからね。私も途中で演技辞めて、相手にえられたことがありますし」

「あれ? 他でも演劇やってたのか?」

「いえ、ホテルで……」

 蒼葉の手が止まる。しかし時間は止まらない。

「先輩っ!」

 蒼葉は慌てて音響機器を操作し、BGMの切替を済ませる。『ホテル』という単語に一瞬反応してしまったが、升水が声を掛けたおかげでことなきを得たのだ。

「……先輩、彼女いるんでしょう? ホテルくらいで反応しないで下さいよ」

「悪かったな童貞で。後まだ彼女じゃねぇ!」

 今はここにいない他の部員に対して苛立ちながらも、蒼葉は音響担当の代役をまっとうしようと舞台に上がる鈴谷の方を注視した。

(くっそ、代役なんて引き受けるんじゃなかった……っ!)

 本来の音響担当は、この場にいない。数日前から盲腸で入院している。そのために代役を求めたのだが、劇の全体進行を把握している中で手が空いているのは、脚本家である蒼葉しかいない。

 そのために代役として駆り出されたというのが、蒼葉が音響を担当する理由だった。




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 ハア、と呆れた調子でヤンジはもう一本煙草を咥え、火を点けないまま煙草屋の窓口に向けて歩き出し、注文を告げた。

「おっちゃん。アーチャーの緑、カートンで」

「だから買うな未成年!」

「残念、魔族ダークでは合法だ」

 そして買い取った煙草のカートンを片手に、ヤンジは再び喫煙スペースに戻ってきて、改めて火を点けている。

「早く消しなさいよ。もうすぐ……」

「待たせたな、魔王!」

 その叫びに、この場にいた全員(他の喫煙者含む)が声のした方を振り向いた。そこにいたのはフェイ達と同年代の少年だった。この国では滅多に見ない上等な鎧を身に着け、簡素だが優雅な装飾を施された剣を抜き放ち、ヤンジの方に剣先を向ける。

「遅かったじゃない、ビング……勇者のくせに」

「言っておくが、俺はまだ王位を継いでいないから、正確には魔王じゃないぞ」

罵倒ばとうとツッコミ禁止!」

 叫ぶビングと呼ばれた男にヤンジはあきれながら、一度煙草を思い切り吸い、残ったフィルターを灰皿に投げ込んだ。喫煙スペースから少し距離を取り、ビング=レッドテイルに対して挑発するように指を動かす。

如何どうやら覚悟はできているようだな。くたばれぇえええ……!」

 ビングがヤンジ目掛けて駆け出した。

 しかしヤンジは、おくすることなく斬撃を回避。

「……フッ!」

 すれ違いざまビングに息を吐きかけてから、数歩歩いて立ち止まった。

「……いい加減学習しろよ」

 思わずつぶやくヤンジの背後で、ビングが地面にうつぶせになって倒れ込んだ。

「ビング!!」

 フェイが叫んで駆け寄るが、原因は分かっているのか慣れた調子で素早く蹴り上げて仰向あおむけにし、ハンカチを取り出して空中をき回し始めた。

「はい深呼吸。ゆっくり吸ってぇ、吐いてぇ……吸ってぇ、吐いてぇ……」




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『はい深呼吸。ゆっくり吸ってぇ、吐いてぇ……吸ってぇ、吐いてぇ……』

「演技とはいえ、よくやるわね……」

 舞台上で鈴谷が蹴り上げられるのを観て、稲穂は確信していた。

 あれは本気の蹴りだった、と。

「中に何か仕込んでいる? 後で黒桐に聞いてみようかしら」

 稲穂が変な興味を持ちながら鑑賞している間も、劇は続いていく。

「そういえば姫様役の先輩、どこかで見たような……」




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「はあ、はあ、おのれ、魔王め~」

「だからまだ王位継承してないって。現魔王はおふくろだっての」

 ビングを介抱するフェイを尻目に、ヤンジは本日三度目になる煙草を取り出して、喫煙スペースに戻ってから煙を楽しみ始めた。

「相変わらずだな、お前ら三人」

「このままでいいのかとも思うんですけどね」

 フェイはこの国の王族であり、ヤンジは魔族達の次期頂点である魔王。おまけに信じられないだろうが、地面に伸びているビングの父親はかつて、勇者としてその名を上げた猛者である。

 つまり、本来ならば信じられないだろうが、物語でよくある『『王』は『勇者』に、『魔王』を討てと命じる』等という英雄譚の登場人物が、子孫とはいえ一堂いちどうかいしているのだ。

 しかし現実は物語の通りに争うことなく、三人はいつも一緒にいた。いや、正確には二人の元に一人がよく遊びに来ているということなのだが。

「……っと、そろそろ帰るか」

 ヤンジが横目で見た先には、一人の老婆がいた。身なりは綺麗な方だが、しわだらけの手に片方ずつ握られたかしの杖とてのひら大の石はいただけない。

「何言ってるのよ。今夜もビングの家に集合よ」

「母さんも待ってるから、ちゃんと来いよな」

「……気が向いたらな」

 それだけ言い残して、ヤンジは煙草を灰皿に投げ入れた。

 ……老婆の視界から消えるために。




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「暗転します」

「音響も問題なし。……彼氏いるの?」

「いませんよ」

 暗転された舞台の上で、雪村と鈴谷が何か準備をしている中、蒼葉は先程の話を升水に聞いていた。

「え、元カレとかそういう話?」

「そもそも彼氏すらいたことないですから。太客パパは何人か押さえてますけど」

「お前、この年でパパ活してるの!?」

 未成年の淫行、その時点で完全に犯罪だった。普通に援助交際で児童買春罪に当たるのだから。しかし升水は茶髪のセミロングを揺らしながら首を振るだけで、蒼葉の発言をあっさり否定してくる。

「大丈夫ですよ。互いに合意の上で、お金取ってませんから」

「……いや、未成年の時点でアウトだろ?」

「私、早生まれだから、もう結婚できますよ?」

「それももうすぐ法律改正……いや、その頃には成人しているか」

 合図が送られてきたので、升水は再び舞台に照明をともした。




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 そして夜、になる前に。

「あ、煙草捨てないと」

「別に取り上げなくてもいいんじゃ……?」

 かかとで踏み消した吸い殻を灰皿に入れ、フェイとビングは舞台上で並び立つ。

「未成年の喫煙は心身の健康を害するだけでなく、成長にも大きく影響を与えます」

「また、喫煙した際に発生する副流煙は、周囲の人達にも影響を及ぼします」

『未成年の喫煙を止め、安全な電子煙草への切替を!』

『以上、永富商店電子煙草部門からでした』

「ちなみに劇で使われている煙草は、実際に煙が出るだけの、ただの玩具おもちゃです」




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「顧問め……部費だけだと足りないからって、よりにもよって煙草店にスポンサーになってもらうか普通? 俺達未成年の高校生だぞ」

「でも先輩、電子煙草なら普通の紙巻きよりも健康にいいんじゃあ……?」

「それも諸説あるけどな。ものによっては普通にニコチン混ざっているのもあるし」

 しかし、元喫煙者らしい稲穂が『また煙草を吸いたい』と言い出した時、代わりになるのではと一度考えたことのある蒼葉である。だから電子煙草について、多少の知識があったのだ。

「どっちにしろ、素人相手に変な興味を持たせるな、って話だよ。何もできないより、半端にできる方がかえって危険だからな」

「ああ分かります。私も抱かれるなら半端に童貞捨てきれていないやからより、経験豊富な中年男性の方がいいですし」

 再び暗転操作する升水を、蒼葉は横目でながめていた。その視線に気づいてか、一度視線を合わせてから元に戻している。

「……何が切っ掛けで経験者に?」

「いや、中学のグループで『処女だと恥ずかしい』なんて話になりましてね。その一人がめちゃくちゃうまい親戚のお兄さん連れて来て、初体験してからはまっちゃいました」

「そんないるんだ……」

「先輩、女に夢見過ぎですよ」

 あきれた調子で息を吐く後輩に、蒼葉は内心思わず、敬意を払ってしまいそうになっている。

「女だって動物なんですから、気に入れば誰にでも股を開くようになりますよ」

「やめて、あいつはそんなことしないからっ!?」

「あ、でも一つ訂正です」

 指を立てて言葉を繋げる升水。

「私最低でも百人切りかましたヤ○チ○以外は、下手すぎるからごめんですね」

「だからやめて下さい童貞には刺激が強すぎますっ!」

 あまりと言えばあまりの発言に、とうとう敬語になってしまう蒼葉であった。

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