006 理系女子の進路相談

 休日も明け、期末も近づいてきたある日の放課後、稲穂は進路指導室に男性教師と一緒にいた。二人きりで。

 別に教師と生徒の禁断の恋に発展する前でも、恐喝されて身体を要求されるでもなく、単に進路相談をしているだけなのだが。

「とりあえず簡単にでもいいから、将来の夢とか進路希望とか、言ってみ?」

「先生、適当過ぎます」

 稲穂の指摘もなんのその、と学年主任の森崎もりさき宗太そうたは三十半ばに不釣り合いな落ち着きのなさで、行儀悪く椅子の背もたれを脇で挟んでいた。若干投げやりかつ適当な物言いをする男だが、間違った指導は一切しないので人気が高く、比較的若い段階で既に学年主任の座を射止いとめている。しかし独身だ。

 噂では人妻以外に興味を持たないと言われているが、真偽しんぎは不明である。少なくとも、生徒を性的な目で見ることはなく、告白してきた生徒に対しても真摯しんしに受け止め、家庭訪問して性格矯正きょうせいに一役買ったという伝説もあるとか。

「いいんだよ。そもそも高校生のガキがまともな進路を考えられるわけないだろうが。そいつが持っている将来の夢叶える為に、どういう生き方すればいいのか答えてやれば、後は本気度合いに応じて勝手にやるだろう」

「……先生はどうして、問題発言しても解雇クビにならないんですか?」

「まともな教師の条件が、『間違った指導をしない』ことだからだよ。それに関して俺はプロだ。『とにかく金持ちになりたい』とほざいた生徒ガキにも、ちゃんとマグロ漁船の船長を紹介してやったぞ」

「うわぁ……」

 嘘か本当かは知らないが、あまり深く関わらない方がいい。稲穂はそう結論付け、さっさと進路指導を片付けようと話をうながした。

「とりあえず、将来は個人で投資ファンドを立ち上げたいと考えています。なので勉強の為に、経済学部への進学か銀行関係への就職を視野に入れています」

「金子みたいな奴は楽でいいわ~。ほとんど助言アドバイスすることないし……」

 教師としては微妙に最低な発言をしつつも、森崎は稲穂の話を特にけなすことなく、進路調査書の冊子にさらさらと書き込んでいる。

「個人でやりたいなら、税理士の資格も取ったらどうだ? 自他問わず経営状況を把握できるし、税収計算自分でやるだけでも結構違うぞ」

「税理士、ですか?」

 稲穂自身も、考えなかったわけではない。独立して生計を立てる以上、人を雇う必要も出てくるだろうが、規模が小さいならば可能な限り自分でこなした方が、節約にも自衛にもなる。

 ただし、それは時間に・・・余裕がある人間の話だ。

「今のところ、そんなに余裕はないんですけどね……」

「ああ、一人暮らしだったか? まあ別段急ぐ話じゃないから、時間に余裕がある時でいいぞ」

 その発言に、稲穂は軽く息を吐いた。

 別に親と不仲なわけでも、やんごとなき事情があるわけでもない。ただ、学校にも事情は伏せているが、稲穂は現在、高校近くのマンションで一人で暮らしていた。このことは蒼葉や他の生徒にも話しておらず、教師でも知っているのは学年主任以上の立場の者と担任だけだ。

「ちなみに……税理士の資格は、どうやって取ればいいんですか?」

「司法試験を受けるなら別だが……一定以上の学歴や特定科目の単位、後は簿記検定を取ったりして試験資格を得て合格すれば取れる。簿記検定だけでもとっといて損はないから、時間がある時に勉強してみろ。たしか……図書室に教本テキストも置いてあったはずだ」

「はあ……時間ができたら考えておきます」

 とはいえ、簿記検定を受けることは稲穂自身の中では、すでに確定事項となっていた。

 経営や財政を把握する上で、この先も重要となってくる知識だ。習得しておいて損はない。夏休みの用事が片付けば、時間もできるので取り掛かってもいいだろう、と考えている。

「とりあえずこんなものか……何か質問あるか?」

「いえ、特には……」

 本来ならば希望する大学も決めておきたいのだろうが、森崎は気にすることなく進路調査書の冊子を閉じた。どちらにしても期末試験の後に保護者をまじえた三者面談があるのだ。話はそこでいくらでもできる。

「じゃあ三者面談までに進学するか就職するか、親御おやごさんとしっかり相談しておくように。余裕があれば希望する大学や就職先とかを調べておくんだぞ」

「分かりました……」

 話は終わった、と稲穂は席を立ち、向かいに座る森崎に頭を下げた。

 そして稲穂が身体を起こすと同時に、まだ話したりないのか、森崎の口が開く。

「そういえば……黒桐と付き合ってるんだって?」

「まだ恋人未満ですよ……好きとか付き合うとか、よく分からないので」

 さすがに噂は聞いていたのか、蒼葉とのことが話題に出てきた。稲穂は特段気にすることもなく、適当に返していたが。

「火傷しない程度に清い交際している分には、学校側こっちも文句言わねえよ。頼むから身体の安売りだけはするなよ。いろいろと面倒臭いから」

「しませんよ。というか、セクハラでうったえますよ」

 よくある注意事項かと、さっさと進路指導室を出ようとする稲穂だが、次の発言はさすがに、無視することができなかった。




「黒桐の家庭事情は知っているのか?」




 丁度、扉の取っ手に手を掛けたところだった。その手を降ろさないまま、稲穂は森崎の方を向く。

「……一応、本人から」

「どこまで聞いているのかは知らないが、かなり面倒だぞ。あいつと付き合うのは」

「はい……」

 分かっている、つもりだった。

「分かっています……」

 まだ二十年も生きていないが、それでも、蒼葉からの話を聞き、稲穂なりに考えているつもりだった。

 しかし……森崎という教師から見れば、それでは不十分だったのだろう。話はまだ続く。

「人と一緒になるっていうのはな、そいつの人生にも干渉することになるんだよ。ただでさえ自分の人生でも忙しいってのに、他の奴の人生まで背負えるのか?」

「……自分が忙しい時に誰かと付き合っても、時間の無駄ってことですか?」

「時間じゃない、覚悟の話だ」

 森崎は稲穂の方を見ず、ただ天井を見上げている。

「いくら時間があってもな、相手の人生次第で全部御破算になっちまうなんてよくある話だ。それは相手にとっても例外じゃない。だから、人と付き合うことは『二人分の人生』を『二人の力』で乗り越えることだって覚えとけ」

「……共同作業、ということですか?」

「いや、言い方は悪いが共犯関係に近いな。一緒になって二人分の責任を背負うことになるから」

 森崎の言葉に、稲穂は少し考えてしまう。このまま『友達以上恋人未満』な関係を続けていいものか、と。しかし、助言アドバイスした当の本人は特に気にした風もなく、話を切り上げてきた。

「別に気にしなくていい。単に『相手はしっかり選べ』ってだけだ」

「本当に簡単ですね」

「というか、な……」

 次の生徒やつを呼んでこい、と森崎は告げてから、椅子の背もたれに体重を掛け、また頭上を見上げ始めた。




「人生何が役に立つか分からないんだから……なんでもかんでも『You can't buy a second with money.』って切り捨てるのはやめておけ」




 教室にて。

「……で、どうしたよ?」

「別に……」

 進路相談から戻ってきた稲穂は、次の生徒に順番を伝えてから蒼葉の隣の席に腰掛けた。他のクラスメイトは別日に行われるか時間まで別の予定をこなしているので、教室には二人しかいない。

「……の、割には不機嫌に見えるけど?」

「なんていうか、さ……」

 なんともなしに話したくなったのか、稲穂はぽつぽつとだが、蒼葉に心中を吐露とろし始めた。

「それが時間の無駄かそうじゃないかって、簡単には分からないって言われてきたんだけど……ピンとこないのよ」

「そりゃあ……簡単に分かれば、誰も苦労しないわ」

 蒼葉もその気持ちは分かる。彼自身も、自分の努力が本当に必要なのか、と悩む時はよくある。しかし、だからといって、簡単に助言アドバイスできる問題でもない。

「後、森崎が私の口癖知っていたのがキモかった」

「あの昼行燈ひるあんどん、変に油断ならないよな……」

 蒼葉も一時期、家庭の事情でよく相談を受けて貰っていたが、その時も稲穂と同じ感想を抱いていた。指導はまともだし、能力もあるとは分かっていても、あの性格から昼行燈ひるあんどん(意味:ぼんやりしている人)と内心で呼んでしまうのは仕方ない、だろう。多分、メイビー、プロバブリー。

「大した助言アドバイスじゃないが、実際にやってみて、自分で判断するしかないわな。こればっかりは」

「頭では分かっちゃいるんだけど、ね……」

 しかし気持ちの方は、未だに納得ができていないのだろう。眉間みけんにしわを寄せながら、何やらうなっている。

 それを見て蒼葉は、ふとあることを思いついた。

「……金子、この後暇?」

「期末の勉強以外の用事はないけれど……」

「どうせ気晴らしだ。一時間位あれば十分だよ」

 教室の外から、誰かが廊下を歩いてくる音がする。そろそろ面談の時間だろうと立ち上がりながら、蒼葉は稲穂の方を見て言った。




「ちょっと付き合えよ。身体動かしに行こうぜ」

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