003 文系男子と理系女子の初デート(前編)

 蒼葉と稲穂のデートは、予定通りに行われる運びとなった。

 しかし、自宅療養と停学処分がそれぞれ重なり、予定の日まで互いに会うことはなかった。具体的には停学による自宅謹慎で家から出られず、療養中の蒼葉の見舞いに行くことすらできなかったのだ。

「ちょっと早かったかな?」

 いまだに痛む身体をさすりながら、蒼葉は待ち合わせ場所に続く道を歩いていた。

 丁度商店街の中を突っ切る道筋ルートの為、ゆっくり歩けば退屈せずに済む。めぼしいものがないか眺めながら店を冷やかすのは、存外ぞんがい楽しいものだ。

 待ち合わせの時間は午前9時。

 合流してから移動すると、今回のデートの場所である小さな遊園地が開園する時間帯に丁度行き当たる。おまけに長期休暇とは重なっていないので、あまり混雑はしないという狙いもあった。元々フリーパスを用意せずに、いちいちチケットを購入してアトラクションに乗るタイプの遊園地なのであまり人気が出ないというのもあるが。

「まあ、適当に時間を潰していればいいか……」

 蒼葉はデート自体が初めての為、こういう時にどうすればいいのか、参考になる資料が漫画しかなかった。デートに慣れていそうなイケメン鈴谷に聞くという案もあるが、彼も彼女自体できたことはなく、誰かと出かける時も何故か勝手にプランを立ててくる肉食系が多い。なので『遅刻しない』以外に参考になる話を聞けなかったのだ。

「遅刻するよりかは……って!?」

 適当にぶらつきつつ、歩いていた蒼葉の視界に、あるものが映ったので慌てて駆け寄っていった。

「なんでまた……?」

 そこは喫茶店だった。

 チェーン店が跋扈ばっこする昨今では珍しい、個人経営の小さな喫茶店である。実質、常連でっていると言っても過言ではない。何故なら、蒼葉もその常連の一人だからだ。

 蒼葉はその喫茶店『珈琲こぉひぃ手製めぇかぁ』に入り、馴染なじみの店長に挨拶してから、目当ての席にいる彼女へと声を掛けた。

「……よう、何をしているんだ?」

「見て分かんないの? ど、く、しょ」

 窓際の席に着く稲穂は、雑誌をめくりながらコーヒーカップに口を付けていた。

 外から覗いた時に偶々見つけて店の中に入った蒼葉だが、稲穂の方は声を掛けられるまでは気付かなかったらしく、一度顔を上げてから視線で向かいの席を指した。

 座れ、という指示だと判断した蒼葉は、おとなしく席に着いた。

 カウンターに向けて注文を出し、何気なくテーブルの上にある伝票を眺めてみると、コーヒーの他にも軽食を取っていたようだ。しかし、軽食類の食器は見当たらない。食べ終えて、既に回収されたのだろう。

「待ち合わせまでの時間潰し、にしては長居しているみたいだが……」

「ついでに朝食ってたのよ。一回帰るには時間も半端だし」

 どうやら目当ては、手に持っている雑誌らしい。近くのコンビニで買ってきたのだろうが、見ているのはファッション誌ではなく、ガチのビジネス系経済雑誌だった。

「……どこのキャリアウーマン?」

「株やってるのよ。将来投資ファンドを立ち上げたいから、その練習でね」

 その話は蒼葉にとっては、まさに寝耳に水だった。

「初めて聞いたわ。そんな話」

「そりゃそうでしょう」

 読み終わったのか、それとも蒼葉と話す為なのか、稲穂は雑誌を閉じてテーブルの上に置いた。

「小学生じゃあるまいし。いちいち将来の夢語るとか、そんな機会でもないと普通話さないわよ」

「いや、そのうち話さないと駄目だろ。進路相談とかで」

 蒼葉の耳に舌打ちみたいなのが聞こえてきたが、おそらく空耳じゃないだろうが流すことに。何故なら、音の発生源が目の前にいるのだから。

「……そん時は適当に誤魔化すわよ。銀行とか金融関係にきたいとか言って」

「むしろ、一回就職した方がいいんじゃないか? 勉強する意味で」

「父親が金融関係だから、今更必要とは思えないのよね……」

 またもや、蒼葉にとっては初めて聞く話だった。

 いや、実家のことは蒼葉も話したことがないから、普段話すような事柄ではないか、とかぶりを振る。

「ということは親の影響か? 株を始めたのは」

「そんなところね。最初に相談した時は監視兼予算の制限を掛けられたけど」

「大損くよりはマシだろ。いい親御さんじゃないか」

 稲穂はその言葉に、軽く肩をすくめただけだった。

 家族仲にまで踏み込む訳にはいかないが、こうやって休日に態々わざわざデートしに出てきてくれたのだ。束縛や放置がなければ、そこまで酷いことはないだろうと蒼葉は内心で結論付け、話をそのデートに戻すことに。

「それで、こうやって合流できたわけだけど、時間までここにいるか?」

 蒼葉が注文したコーヒーを受け取り、適当に砂糖を入れている中、稲葉は雑誌を片付けただけで特に動く気配はない。アップルフォンの画面を確認しただけで、席を立つ様子はなかった。

「電車の時間になったら行きましょう。特に遅延とかは発生してないみたいだし」

「はいよ。まだ余裕はあるしな……」

 コーヒーを口にしながら、蒼葉は稲穂を眺めた。

 バギーパンツというダボッとしたボトムで長袖と薄めの上着を羽織り、露出度を下げている。おまけに飾り気のないデザインで可愛さを捨てているが、自らの容姿を理解しているのだろう。美形だと相手に思わせることが可能な着こなしをしていた。

 特に目立つのが、女性らしさを際立たせる母性の塊……

「……視線でバレバレ。今度は上?」

「すまん。だが俺も男だ、見たいものは見たい」

 ここでデコピンとかが来れば可愛い方だろう。ついでに優しくけなされれば優しいお姉さんと年下男子という年の差カップルの完成だ。

 逆に手を回して視線から外し、機嫌を損ねる仕草をするのもかえって有りかも知れない。カップル仲は悪くなるだろうが、傍目はためから見れば可愛い喧嘩だ。

 しかし残念ながら、相手は人に平気で手を上げる輩。つまり結論はもう出ていた。

 稲穂の手が伸び、蒼葉のものを掴むが、決して握手や気紛きまぐれに母性の塊に触れさせるとかでは決してない。

「痛っ!? いたたた……っ!?」

「ほんとなんで、こんなの好きになったことやら……」

 呆れ口調の稲穂だが、蒼葉に掛けているのは手首固めリストロック。例え練習でも関節を痛めやすい危険な技である。

注:本当に危険なので、絶対に真似をしないで下さい。

「……これ、空手の技じゃないだろ」

「合気術。顧問が趣味でやってたのを覚えたのよ」

 蒼葉の手を離しながら、稲穂はそう答えた。

注:稲穂はこの技を正しく身に付けています。

「趣味でやってた技掛けてくるんじゃねえよ! 危ねえな!」

「じゃあ胸見るな」

 蒼葉はひたいをテーブルにぶつけない位置まで頭を下げた。すごい勢いで。

「せめてつねる程度でお願いします……」

「……そこまでして見たいの?」

 男子という生物に呆れて溜息ためいきらす稲穂。テーブルの上に肘を置いてひたいに拳を当てるも、視線が胸の方に行くのは、今後も避けられないだろう。

「だったら……金取られるのとどつかれるのと、どっちがマシ?」

「だからつねる程度で。できれば可愛く怒ってくれればなお良し」

不埒ふらち者に贅沢ぜいたくさせるわけないでしょう」

 そんなこんなで話し込んでいると、時計の長針が真上を指そうとしていた。

「ほら、ちゃんと相手の顔を見る。じゃないと次は本当に金取るわよ」

「はい、気をつけます……」

 別々に会計を済ませ、店を出た二人はその足で駅へと向かい始めた。

 並んで歩いていると、ふと蒼葉はあることに気付き、稲穂の方を向いて話しかけた。

「そういえば、ってあるのか?」

「付き合うことになればあるんじゃない?」

 至極しごくとうな返しに、蒼葉は思わず天をあおいだ。商店街をおおう屋根元から出たので、晴天が視界を占領してしまう。

「……まあ、どちらにしても人間関係が切れるわけじゃないし、何かでおごる機会とかはあるでしょう」

「それもそうだな……」

 短い青春だが、別にすぐ終わるわけではない。例え卒業しても、その後も交遊する場合もある。人付き合いとは、そう簡単に割り切れるものではない。

 だから蒼葉と稲穂が付き合うことはなくとも、交流が途切れるかまでは誰にも分からないのだ。

「……ところで、どう判断するんだ? 付き合うかどうか」

「言ったら意味ないでしょうが」

「それは……それもそうか」

 駅に着き、丁度来た電車に乗り込みながらも話は続く。

「といっても、いちいち見栄みえったり、何かを誤魔化ごまかしたりはしないと思うぞ。俺って結構けっこう面倒めんどうくさがりだし」

「……あっそ」

 蒼葉の発言に、稲穂の目が若干細くなる。




どうだか・・・・……」




 蒼葉に勧められてシートに座る稲穂。彼女の言葉は、誰にも聞かれることなく雑多な車内にき消されていった。

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