ワニュウドウ

 トンネルの向こうから、飛ぶようなスピードでやってきたのは、彼岸町役場の送迎車だった。運転手は竜の血筋だと言われていたあの女性で、血相を変えている。後部座席から下車した人影に目を向けると、その人は僕に反応せず、まっすぐ赤井さんの方へ歩いていくのだった。

「ご無事ですか!」

 あの世課の事務員さんが運転席から転がり出てきて僕を心配する。

「ど、どうしたんですか、そんなに慌てて……それに、あの人は一体?」

「半田さんから、ご連絡を頂いたんです。暴行事件の犯人に出くわしてしまったから、戦力を連れてきてほしいと」

 戦力。

 事務員さんの言葉を受けて、黒いセミロングの髪に茶色のメッシュが一房入っている女性の姿を、目で追った。キャミソールの上から革ジャンを羽織った、季節感が分からない女性だ。

黒須くろす、お前もあれの足止めを頼む。俺は上から叩く」

 茶髪をオールバックにした白田さんが、ウォレットチェーンを腰からジャラリと下げた女性、黒須さんに声をかけていた。

「半田は一般市民じゃないの。何手伝わせてんのよ、だらしないわ」

「半田は自主的に協力してくれているだけだ」

「あらそう、じゃあ私たちに責任はないわけね」

 気だるげに言葉を放つ黒須さんは、ホットパンツから覗く長い足で駆け出す。

 巨大な犯人の足元まで距離を詰める彼女を見て、潰されはしないかとハラハラしながら見守る僕に、事務員さんは言った。

「あなたは人間です、ここから逃げましょう。さあ、車に乗ってください!」

 黒須さんの細い指先から、白い糸が無数に出てくる。粘り気のある糸は、鬼と狸と塗り壁と一反木綿が混ざった大男の足に纏わりつき、片足の動きを鈍くさせていた。

 白い糸が絡まった足を目がけて、赤井さんが叫ぶ。

「置いてけ!」

 ドボン、と勢いよく沈んだ足。バランスを崩した犯人。白田さんが空高く飛び上がる。彼の背中から黒い翼が生えてくる。

 黒須さんは、女郎蜘蛛。

 そして白田さんが、烏天狗の半人なのだと、事務員さんが言っていた。

 うたたね課と半田さんの猛攻にたじろぐ犯人が、勢いよく布を放つ。四方八方に飛び出した長い長い布は、半田さんを払いのけ、白田さんを追い払い、そして幽霊柘榴に向かって伸ばされていた。

「いけない! さらに食べるつもりなんだ!」

 幽霊柘榴の農園は広い。犯人の動きを止めるなんて、とてもできはしない。

 乱暴にもがれた幽霊柘榴が、毛むくじゃらの空飛ぶ巨人の口へ放り込まれてしまうのを、僕は呆然と見ていた。


 完全に理性を失ったのだろう、大きな咆哮を上げた怪物が、炎に包まれた。


 どこからともなく燃え盛る車輪が飛んでくる。

 車輪は半田さんの雷を物ともせずに突っ込んでいき、炎を撒き散らしながら半田さんを弾き飛ばし、怪物の足に絡みついた糸を燃やし尽くし、幽霊柘榴の農園を焼いていった。

 半田さんが地面に叩きつけられる。

 怪物の足が、灰色の作業着を踏みにじる。

「半田さん!」

「駄目です、行かないで、危ない!」

 事務員さんの制止を振り切って僕は走っていた。

 何かがあると思わず走り出す気質なのだと、他人事のように自分を見ていた。

 怪物はうたたね課の三人を叩き潰そうと、燃える車輪を飛ばす。その隙に僕は倒れている半田さんを抱き起こした。

「逃げろって、言ったのに……」

 雷獣の姿を保っている半田さんが、肩で息をしながら言う。事務員さんが駆けてくる。僕の肩に手を添えて、彼女は言った。

「逃げましょう、半田さんを連れて。ごろね課もひるね課も呼びますから、どうか怪我をしないうちに、ここから離れてください、一年ヒトトセさん」

 怪物が、こちらを向いた。

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