第十三章「犯行可能な人物」

   

「ふむ。何か事情ワケありのようですな」

 硬直した俺たちに対して、芝崎しばざき警部が呟いた。誰か説明しろと言わんばかりの目で、俺たちの顔を見回している。

 こういう場合、この家とは無関係な――たまたま旅館に泊まっているだけに過ぎない――俺たち宿泊客ではなく、蛇心へびごころ家の者が話すべきだろう。そう思って俺は、『蛇神様じゃしんさま』こと蛇心雄太郎ゆうたろうや、最年長者の蛇心美枝みえに、期待の目を向けた。

 それは俺だけではなかったらしい。一同の視線を感じて、蛇心雄太郎が口を開く。

「四階の赤いチャイナドレスの女性ですか……。そうですね、かなりの長話になりますが……」

 という前置きに続いて。

 彼は、まず『白蛇村はくじゃむらの蛇神伝説』から語り始めた。


 しばらくの後。

「ふむ。すると私が見たのは、生身の人間ではなく、亡霊か化け物のたぐいだというわけですかな?」

 話を聞き終わった芝崎警部の声には、まるで面白がっているかのような響きが含まれていた。

「はい、そういうことになります」

 と、応じる蛇心雄太郎。

 少し疲れたようにも見えるが、まあ、無理もないだろう。『白蛇村の蛇神伝説』に続いて、『邪神城』という悪名の由来から、その後の赤羽あかばね夕子ゆうこ目撃談まで、まくし立てるように一気に話したのだから。

 もちろん内容は、一昨日に俺たちが聞かされたのと全く同じだった。

 俺が心の中で「ご苦労様です」と、いたわりの言葉をかけていると、

「では、また赤羽夕子が現れたのですね。事件の後にも姿を見せたということは、これで終わりではなく、これからも何か起きるということ……。そうでしょう?」

 阪木さかき正一しょういちが、誰に問いかけるでもなく、そう述べ立てた。

 俺は「わざわざ言わなくてもいいのに」と思いながら、蛇心家の三人の様子に目を配る。

 感情を顔に出さずに、ただ黙って頷く蛇心美枝。堂々としているのは、さすが年の功というべきか。

 まだ若い蛇心安江は、今日も不安がっていた。横に座っている夫の雄太郎が、彼女の手をギュッと握りしめている。妻の気持ちを和らげたいのだろう。

 一方、芝崎警部が阪木正一の言葉に対して、彼なりの――警察官としての――反応を示す。

「阪木さん。どうやらあなたは、赤羽夕子の亡霊が江美子えみこさんを殺したと考えているようですな?」

 警察の者から名指しで呼びかけられて、阪木正一は一瞬、ひるんだような表情になった。だが、それでも大きく頷いてみせる。

「もちろんです。僕たち人間は、閉ざされた部屋に出入りすることなんて出来やしない。でも邪神ならば――いや妖魔と呼んでも構いませんが――、それも可能ですからね!」


 部屋には鍵が掛かっていたこと。鍵の一つは部屋の中にあったこと。他の鍵は完全に管理されていたこと。事前に合鍵を作っておくのも不可能であること。

 そうした状況は、すでに朝食の席で、蛇心雄太郎が全員に説明済みだった。おそらく朝食の後、阪木正一は色々と考えて、その結果『赤羽夕子犯人説』が頭の中で形作られたのだろう。

「ふむ。しかし『犯人は化け物です』などと報告書に書いたら、私がクビになってしまいますな」

 芝崎警部は、わざとらしく苦笑いしてから、俺の方に向き直った。

「推理小説では、こういう状況も珍しくないのでしょう? しかも犯人は、人智を超えた魔物とも違う。人間には不可能と思われた犯罪も、最後にはトリックだったと解き明かされる……。日尾木ひびきさん、この事件を推理小説にするとしたら、密室の謎、どう解決させますかな?」

 その場の全員が、一斉に俺の方を向く。

 中でも特に、隣にいる珠美たまみさんの視線を、俺は強く感じてしまった。

 彼女は『日尾木一郎いちろう』の中身が、俺という未来人の魂であることを知らない。だから『日尾木一郎』の人生経験に基づいて、俺のことを「名探偵の素質がある」と思い込んでいる。

 それが過大評価なのだとしても、できる限り俺は、彼女の期待を裏切りたくなかった。ちょうど今が、その場面なのだが……。


 幸か不幸か、俺は死体発見の現場に立ち会っている。いわば第一発見者の一人だ。

 しかも死体を前にして、蛇心雄太郎と二人で、密室状態について考察し、状況を整理していた。

 今にして思えば、あの時の蛇心雄太郎は――いつも穏やかな笑顔を浮かべている印象の彼なのに――、親族の死体を前にして、冷酷とさえ思えるほどの落ち着きを示していたわけだが……。

 いや、この際それは問題ではない。とにかく俺は、他の者たちより深く事件に関わっているし、色々と考えているとも言えるのだ。

 だから。

 俺は俺なりに、おぼろげながら、考えていることがあった。まだ珠美さんにも話していないのだが、それをここで披露してみようか。


「もしも、これが小説ならば……。そうですね、一人だけ、犯行可能な人物がいると考えられます」

 その場の空気が変わった。緊張しながら、次の言葉を待っているようだ。

 だが俺は、敢えて『犯行可能な人物』の名前をすぐには挙げず、もったいぶった態度で、ゆっくりと説明し始めた。

「まず、あらためて状況を整理してみましょう。第一に、部屋には鍵が掛かっていたこと。これは間違いないですね。私だけでなく、大神おおがみさんも確かめていますから」

 右手を軽く前へ突き出して、人差し指を立ててみせた。これだけ注目を浴びている状況ならば、芝居がかった身振り手振りこそが、むしろ相応しいと思えたのだ。

 続いて、中指も立てる。

「第二に、一階で合鍵が、しっかりと管理されていたこと。これも間違いないでしょう。茂平もへいさんは身命を賭して、鍵の番人をしているそうですし、昨日も間違いなく見張っていたと聞いています」

 頷いている正田しょうだ茂平が、視界の片隅に入ってくる。

 最後に俺は、三本目の指、つまり薬指も突き立てた。

「第三に、江美子さん自身の鍵は部屋の中にあったこと。これも一見、間違いないように思えますが……。はたして、本当にそうでしょうか?」

 前提条件の整理を問題提起の形で終わらせて、右手をダラリと下ろす。その代わりであるかのように、今度は左手を突き出したのだが、先ほどとは違って最初から三本の指を立てた状態だった。

「大神さんが鍵を開けた後、警察の方々が現場を封印するまでの間、警察以外で部屋に入ったのは三人。私と大神さんと雄太郎さんです。このうち、大神さんが部屋にいる時は常に私も一緒だったので、大神さんの行動は私が目撃しています。特に怪しい動きはありませんでした」

 と言って、薬指を曲げる俺。

 そう、今度の――左手の――三本の指は、三人の容疑者を示しているのだ。

「雄太郎さんに関しても同じです。一人だけで部屋にいた時間はなく、犯人とは考えられない」

 俺は、さらに指を折った。これで、残っているのは人差し指一本。

「ところが、私に関しては、少し事情が違う。空白の時間がありました。大神さんが雄太郎さんを呼びに行き、雄太郎さんが来るまでの間……。このかん、私は一人でしたからね。机の引き出しに鍵をしまうことが可能です」

 ここで言葉を区切って、一同の顔を見渡すが……。

 俺の説明の仕方が悪かったらしい。彼らの表情を見ると、理解した顔もあれば、わかっていないという顔もある。そこで俺は、もう少し具体的な言葉を加えることにした。

「こう考えてはどうでしょうか? まず江美子さんを殺して、彼女の鍵を使って、ドアの外から鍵を掛けておく。その後、何気ない顔で現場に戻って、大神さんと共に部屋へ突入。それから一人になったタイミングで、鍵は机に戻しておく。『ずっと部屋の中にあったから、犯人は鍵を使えなかった』と思わせるために……。私ならば、そんな芸当も可能となるわけです」

   

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