第五話 夏がはじまる
次の日から本当に、きっちりメールが届いた。
―おはよう 今日は暑くなりそう。
―昼ごはん今東棟の屋上で食べてる。
好きとか愛しているとか、そんなメールがくるのかと思っていたら、日々の挨拶? 日記? みたいなメールだった。
別に愛のメールを期待していたわけじゃないけど、そこには先生の日常があった。でも、私は返信をしなかった。
あの日、家に帰ると、母が血相を変えてリビングから飛び出してきた。
「どうしたん、こんな遅くまで。先生と会ってたん?」
その時初めて、先生のコートを着たままなのに気付いた。
「そうや、お母さんのお望み通り、別れてきたわ。それでいいんやろ?」
母は何も言わなかった。
でも、その日から、母は私の行動を監視するようになった。どこに行くのか、誰と行くのか。すべてを聞いてくる。
その束縛も私には他人事だった。気のすむまでやればいい。
夜、部屋で絵も描かずに、外の闇夜を見ていたら突然、スマホがなった。
―明日の弁当の仕込み中。メニューは豚の生姜焼き。
先生って弁当男子だったのか、知らなかった。メールをもらうたび、先生の知らない部分が見えてくる。知りたいような、知りたくないような。
私は、本棚にしまってあるスケッチブックをひきぬいた。誕生日に描いてもらった絵を見る。
今の私は、こんな顔をしていないだろう。きっと卑しくて、みじめな顔をしている。目をつむり、スケッチブックを閉じた。
*
明後日から夏休み、長い休みを待ちわびている生徒達の浮かれた気持ちが、学校中をそわそわさせる。でも、受験生の私のクラスは、期末試験の結果が出て、皆一様に沈んでいた。
今学期最後の進路相談が昼休みの職員室であり、木谷先生の前に座わった。窓の外からは今年一番の蝉が鳴き始めているけれど、室内はクーラーがきいていて涼しい。
「有賀さん、予備校でがんばってるみたいだから、自分が相談に乗らなくてもいいって真壁先生が言うのよね」
私の目をちらっと見て言う。
「はい、予備校の進路指導の先生には第二、第三希望はほぼ大丈夫だろうって。京美大は今の所五分五分で、後は夏休みにどれだけがんばるかだそうです」
それは、六月末までの話で。今は危ういかも。
期末試験の結果は、英語が思いのほか下がり、他の科目はなんとか現状維持。
「そっか、私からはがんばってとしか、言いようがないな。うちから美術系の大学進学した子少ないから期待してます。ところで、真壁先生となんかあったの?」
木谷先生は探るような目つきで、私の顔を覗き込む。顔色が変わるのを必死でおさえた。
「なんでそんな事聞くんですか? なんかってなんですか?」
「えー有賀さんの話ふっただけで、真壁先生うろたえてたのよね。ぶっちゃけ付き合ってるとか?」
先生なんで、うろたえるのよ! 何時ものポーカーフェイスは生徒限定?
「そんな訳ないやないですか。相手は先生ですよ」
「昔は、よくあったらしいわよ。元教え子と結婚してる先生意外と多いし。でも、教師と生徒なんて、しばり恋愛の王道でしょ、だから面白い話聞けるかなと思って」
目をキラキラさせて、何考えているんだろう、木谷先生。
「先生まだ若いんだから、生徒のコイバナ聞いてるより、ご自分が恋愛されたらどうですか?」
私は顔をひきつらせつつ、失礼を承知で言った。
「ひどい、有賀さん! 三五で、女子高教師よ。どこに出会いがあるって言うのよ」
「そうだ佳代ちゃん、今度結婚が決まったんです。お相手の方の友達を紹介してもらうとか」
木谷先生と佳代ちゃんは大学時代の友達なのだ。
「うそ……佳代が結婚するなんて、ついに同級生で私だけになっちゃったじゃない。独身は!」
かなりな衝撃だったらしく、机につっぷした。先生の心の琴線にふれる、やばい事を言ったみたい。さっさと退出しようとしたら、先生はがばっと起き上った。
「そうだ、有賀さんに聞きたかった事があったんだ。最近吉津さんから何か悩みとか聞いてない? 彼女今回の成績かなり悪かったのよね」
何も聞いてないどころか、砂羽ちゃんを避けていた。
「何も聞いてません」
「そっか彼女自分の弱い所なかなか他人に見せるタイプじゃないから、有賀さんになら言えるかなと思ったのよ」
教室に帰るまで、砂羽ちゃんの事が頭からはなれなかった。
たまたま体調が悪かったとか? 新しい彼氏ができたとか? でも、よっぽどの事がないと、勉強に身が入らないなんて砂羽ちゃんに限ってありえない。
教室にもどり、机につっぷして寝ている砂羽ちゃんをみつけ、近付こうとしたら、スマホがなった。
―春日先生に弁当の玉子焼きとられた。
思わず笑みがこぼれる。さっき、職員室にはいなかったから、今日も屋上で食べているのだろう。暑いのに大丈夫かな? 自然と目線が東棟にいき、ハッとした。
待って。なに先生のペースにのせられているの。もう先生の事は消したのに。
「こないだから、昼休みにスマホ見てにやついてるな、彼氏でもできたん?」
何時もの、五人組みの一人、林さんに声をかけられた。あわてて、スマホをかくす。
「違うよ、メル友みたいな人」
「ふーん、出会い系で知り合った人は気をつけや。有賀さんしっかりしてそうで、どっかぬけてるし」
「出会い系じゃないよ、予備校の人」
「昼休みの進路相談どうやった?」
「木谷先生、美術系はわからんから予備校に丸投げって感じかな」
「あーあの先生なら、そんな感じやな。私は昨日やってんけど、もうちょっと英語がんばらんとって言われた。英文科めざしてるのに」
「英語好きなんや。知らんかった」
「留学したいねん。それが夢」
みんな、それぞれ夢があるんだ。上辺だけしか見てなかったのは、私?
砂羽ちゃんに話しかける前に、始業のチャイムがなった。
*
女学院のある、東山は蝉の声につつまれ、京都特有の蒸し風呂のような湿った暑さが、のしかかっている。終業式が、行われている体育館も窓をすべて開け放っても、熱気がぬけず暑い事このうえない。その熱気の中、綺麗に整列させられた生徒の列を、俺はながめていた。
前から後ろ、順番に視線を流す。何人かの生徒と目が会い、手をふられた。
前向いて、校長の話を聞きなさい。自分も聞いてないくせに、心の中で叱責する。
視線を前方に固定し、こちらを見ようともしない彼女をみつけた。見つめ続けたい気持ちを抑え、視線をはずす。
吉津砂羽の姿を探したが、みつからない。
何があっても美月からはなれるな。
あの生徒は、彼女の事を知っていたのだろうか? こうなる事を予見していたような言葉。その言葉を忠実に守ろうと思う。
メールの返信はこない。それでも、送り続ける。
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