第二話 美術室で突然に

 始業式の次の日、私は学校へ続く坂道を歩いていた。


 鴨川の東側、京滋電車の六条駅から東山に向かってのびる坂道は,通称女坂と呼ばれている。坂の突き当たりには、小学校から大学までの一貫校、京都女学院が鎮座している。そこの女子生徒達が毎朝何千人と通る事からついた名称。


 おまけに、学院の制服のカラーがこげ茶色。小学生の制服からこげ茶色。ついたあだ名は、ゴキ女、もしくはイモ女。

 お嬢様学校というレッテルがはられているので、多少のやっかみもはいっているだろう。なかなかシュールなネーミングだ。


 ゴキブリの集団が向かう先はゴミ箱か、はたまたイモが大安売りされる市場か。

 私もゴキブリの一員として、小学校から、この女だらけの坂道を上っている。


                *


 昨日発表された、新しいクラスに入る。ここは外部進学希望生のクラス。

 朝なのに、もう机に突っ伏して寝ている人影に近付く。


「おはよう、砂羽ちゃん」

 私が声をかけると、顔をめんどくさそうに上げ私をにらんだ。


「なんや美月か、もうちょっと寝かせて」

「昨日遅くまで勉強してたん?」

 砂羽ちゃんは医大に進学希望なのだ。


「そんな訳ないやん」

 私のツインテールにした髪を、グイっとひっぱりながら起き上り、おもいっきり伸びをして、ニヤリと笑った。


 砂羽ちゃんは、色が白くてちょっとぽっちゃり気味だけど、目がクリクリしている。黙って座っていたらアンティーク人形のようだ。


「昨日お昼から、予備校に行ってその後あいつに会っててん。で、その後ふってやった」


「えーまた別れたん」

 砂羽ちゃんの何人目かわからない、彼氏の顔を思い出そうとしたが、無理だった。


「あいつ、夜景を見にいこうって言うから、将軍塚までドライブして。着いたら夜景見るどころか、私の事押し倒してきたんやで」

 将軍塚とは、東山の山頂にある夜のデートスポット。


「大丈夫やったん?」

 一応、心配するふりをしてみた。砂羽ちゃんは、見た目からは想像できないけど空手の有段者なのだ。


「ふん、急所けりあげて車の外に出た」

「どうやって帰ってきたん? まさか歩いて?」


「なわけないやん。そのあたりに停まってた車のフロントガラスを思いっきりたたいて、泣きそうな顔して、助けて下さいって言ったら、同情して乗せてくれたわ」


 まさか、目の前の可憐な少女がついさっき、男の急所を蹴り上げたなんて、だれも想像できないだろう。

 砂羽ちゃんは、いつも医大生とつきあっている。


 昨日は始業式であわただしく一日が終了。上賀茂神社での出来事を、砂羽ちゃんに報告するタイミングをのがしてしまった。今日こそ聞いてもらおうと思ったら、始業のチャイムがなった。


                 *


 昼休み、中庭の八重桜の下でお弁当を広げる。早春の冷たい風に少しふるえながら、私はやっと話を聞いてもらった。


「えーそれってナンパやろ。美月、気をつけなあかんで。知らん男に声かけるなんて」


 砂羽ちゃんに言われたくないと思ったけど、だまっていた。砂羽ちゃんは私の事を、常に気にかけてくれる。

 小学生の時からずっと。


「だって、絵が見たかったんやもん」

「絵で思い出したけど」


 急に話を変えて、砂羽ちゃんは、

「新任の美術の先生がかっこいいって、みんなSNSで騒いでた。昨日誰かが職員室で見かけたんやって」

 とスマホをいじりながら言った。


「へーそうなん」

「美月が興味ないんはわかるけど、今日クラブあるんやろ? 感想聞かせて」


 そうだった。今日の放課後、新任のクラブ顧問との顔合わせだった。みんなが騒いでいるという美術教師が、今度美術部の顧問になる。なんだか気が重い。


 三月で退職した、前任の顧問の先生はのんびりしたおじいちゃん先生で、お話がおもしろくて大好きだった。最後にクラブ全員で涙ながらに送り出したのが、もうすでになつかしい。


 その時、新しい顧問が新卒の若い男性教師だと聞かされて、がっかりしたのは私だけだった。

 美大受験を控えた私は、これからの進路をその美術教師に相談しなければならない。


「嫌やなーって思ってるやろ?」

「うん、前の先生がよかった」


 気落ちしている私の肩をだいて言う。

「ほんま、枯れ専やな。美月はもうちょっと、若い男になれとかな。美大いったら男なんてうようよしてんで」


「さっきは、男の人に気をつけろって言ったやん」

「あれは、下心のある男に気をつけろって言ったの。教師に下心なんてあるわけないやろ。いい機会やから今度の先生でなれとき」

 言い方は乱暴だけど、砂羽ちゃんの言う事はいつも正しい。


「でも、桜の下でナンパしてきた男とは普通に話せたんやろ。なんで?」

「わからへん。その人あんまり男っぽくなかったしかな?」


「ふーん、まっそういう事にしとこか」

 砂羽ちゃんのおっさん的発言を最後に、私たちは教室にもどった。


                *


 放課後、美術室はいつもの時間よりはやく生徒が集まっている。私は島田さんに声をかけた。


「なんか、人多くない?」

「幽霊部員の人たちも集まったみたいや。有賀さんのために席とっといたから、座り」

 ありがとうと、言いつつ最前列の席に座った。


「私、新しい先生を目の前で見たかったから、一番に来てん。かっこえーらしいわ」


 なるほど、この美術室の何時にはない熱気は、そう言う事か。美術部ってこんなに部員がいたんだ。


 美術部とは、どこの学校でも同じかもしれないが、ほとんど帰宅部と同義である。絵が好きで、まじめにクラブに出てくる生徒は数人。その数人に、私や島田さんがふくまれる。

 大部分の生徒は幽霊部員と化し、年数回顔を出す程度。その部員たちにまで、先生の情報がまわっているようだ。


 女子高に若い男性教師が赴任という噂だけで、毎年生徒達は狼系女子に変身する。大抵がガセネタで、みんな落胆するのが、四月の恒例行事と化している。

 それにしても、目をぎらつかせた狼系女子の群に、もうすぐ入ってくる値踏みされる子羊の先生が、気の毒でならない。


 ガラッと教室の前方にある引き戸が開いた。迷える子羊の登場だ。狼系女子達は、どよめき一斉に先生に注目した。先生の顔にと言った方が正解かな。私もつられて、先生の顔に視線を移す。


 ガシャン!

 妙な緊張感がはしる教室に、耳を覆いたくなる、けたたましい音が鳴り響いた。私が思わず、机の上においた筆箱を落としたのだ。


 先生は私の前に来て、筆箱を拾ってくれた。

「はい」


 鳶色の目が私を真っすぐ見据えた。見覚えのある端正な顔立ち。桜の下の絵描きさんが私の前に立っていた。少女マンガ的に表現するなら、桜を背負って立っていた。

 私はお礼もろくに言えず、うつむいた。頭の中では先生の顔と絵描きさんの顔が、ぐるぐる回っている。


 顔をあげてもう一度確認。だいぶ絵描きさんと印象が違う。先生は髪が短く、メタルフレームの眼鏡をかけていた。その眼鏡の印象が強くてクールな印象をうける。服装も、よれよれのカーゴパンツなどはいている訳もなく、紺色のスーツをビシッと着こなしている。


 でも、顔立ちやあの印象的な目は絶対絵描きさんだ。

 おいおい、これじゃまるっきりパンを加えてぶつかったのは、転校生(この場合新任教師)のパターンそのまま。


 先生は、私を見ても表情一つ変えない。まったく気付いていないようだ。なんだか悔しい。なんで、悔しいと思うのか、また頭の中がぐるぐる回って顔をふせた。


 そんな、挙動不審な私をよそに、先生は自分の名前を板書して自己紹介を始めた。


「四月から、美術教師として赴任しました、真壁颯人まかべはやとです。美術部の顧問を担当します。クラブの活動日は前年度通り、火曜と木曜の週二日。校外写生を六月の上旬に予定しています。秋の文化祭についてはまた二学期に話し合いをしたいと思います。私からは以上です。何か質問がある人はいますか」


 狼系女子達は待ってましたと、手を上げ質問をあびせた。

「先生、年齢はいくつですか?」

「九月で、二十三歳になります」


「出身地はどこですか?」

「山口です」


「兄弟はいますか?」

「いません」


「今一人暮らしですか?」

「はい」


「どこに住んでるんですか?」

「植物園の近くです」


 生徒たちの熱い視線を受けながら、あけすけな質問に対して冷静に答える先生。

「今、彼女いますか?」

 みんなが一番聞きたかった質問が出て、教室内は子羊の競り市に早変わりした。


「そういうかなり、個人的な質問には答えられません」

 どこからか、教えてーや、かわいいーなどの黄色い声がしたが、先生は無視を決め込む。


「他に質問がないようなら、今日はこれで終了です。また火曜日に」

 風のように美術室から去って行った。ピシャリと戸が閉まった瞬間、教室中大騒ぎとなった。


「ほんとに、かっこよかったな」

 うっとり夢見心地で島田さんが言った。


「そうかな?」

 私は、島田さんの気分に水をさすように、そっけなく言った。


「えークールで大人な感じ、かなりなイケメンやん。有賀さん、気をひこうとわざと筆箱落としたんと違うの?」

「違うよ!」


 そんな訳あるかい! 島田さんは、いい人なんだけどこういうなんでも、恋愛に結び付けようとする所が私には、ついていけない。


 なんだか、気分がささくれている。桜の精とか女神とか人の事さんざん持ちあげといて、気付かないなんて最低だ。


 んっ? なんで最低と思うんだろう?

 私はため息とともに、思考を停止した。

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