カムロヌムの街と十人の女たち
「昨日の夜はたくさん恥ずかしいこと言っちゃいましたけど……わ、忘れてくださいね、おかしかったんです、なんか」
初めて一緒に夜を過ごした次の朝、エリウは恥じらいのあまり頬を真っ赤に染めながら、そう言い残して俺の部屋を後にした。
忘れろったって、そう簡単に忘れられるかよ……。
唇にはまだエリウの柔らかい感触がはっきりと残っているし、一晩共に過ごしたベッドにもすっかりエリウの体臭が染み付いてしまったように感じる。
まあ、それはそれとして、エリウとの約束通り、あの十人の奴隷の女たちは、一部の例外を除いて、家事だけにその用途を限定して使役することになった。
一部の例外とは、娼婦だった女と、ゴーマ軍カムロヌム駐屯部隊司令官の妻である。
娼婦の女は名をカルラと言った。短く縮れた橙の髪と褐色の肌。透けるように薄い白い布を体に巻き、脚は大胆に露出している。
物心ついてすぐ人売りに出されたというカルラは、家事なんて面倒なことをするよりなら今のままでいいや、と言い、自ら夜伽を願い出たのだ。別に強制してるわけじゃないから、人道的な問題はない。それにこのカルラという女は、水商売同士馬が合うのか、ヒトミのいい話し相手になっているらしい。
エリウにそう伝えると、さすがに追い出すわけにもいかないと思ったのか、カルラを夜伽専門の女として屋敷に置くことを了承した。
そして、この屋敷の以前からの住人である軍司令官元夫人、その名はイリーナ。ウェーブのかかったダークブラウンの髪、緑色の瞳と豊満な肉体を持つイリーナは、あの一晩で完全に快楽堕ちし、奴隷としての仕事とは別に、自ら望んで体を差し出してきた。
カムロヌム駐屯部隊司令官の妻というだけあって、イリーナはこの屋敷や街のことを熟知している。そのため、手近に置いておくと色々と便利なのである。
というわけで、イリーナは夜伽ありの奴隷、そしてゴーマ人の奴隷たちのリーダー的存在として屋敷に置くことになった。かつての司令官の妻が俺の愛妾になっているという事実が、ゴーマの奴隷たちの反抗心を萎えさせる効果を齎すのではないか――エリウにはそんな尤もらしい理由をつけて納得させたが、実際の理由は言わずもがなである。イリーナ本人が喜んでるんだからセーフセーフ!
他の八人は、イリーナの指示の下で家事に勤しんでいる。名前はそれぞれ、人妻のシルヴィア、彼氏持ちのモニカ、姉妹丼の二人は姉がカーラで妹がリーザ、母子丼の二人は母の方がレジーナで娘がフローラ。女戦士のアナスタシアと、TE〇GA級の名器を持つプリシラ。八人もいるが、今のところ大した重要人物でもないので、読者諸君は無理に全部覚えなくて結構だ。
あんな酷いことをしたゴーマ人の女たちを奴隷にして大丈夫か、復讐される恐れがあるんじゃないかって?
まあそれは当然の疑問だ。しかし、女たちは既に俺の自己治癒能力と、それによる不死身っぷりを知っている。腹に据えかねるものは当然あるだろうが、少なくとも表面上は大人しく従っていたほうが女たちにとっても身のためなのだ。事実、あれから数日、あれだけ威勢のよかった女戦士ですらも、今では大人しく家事に精を出している。
力 is パワー。単純な真理である。
カムロヌムの街を奪還したことによって、色々な変化があった。
元々サンガリア人の民が暮らす町だったカムロヌムだが、ゴーマに占領されていた数年の間に街はすっかりゴーマの生活様式に作り替えられていた。
科学、文化、芸術とあらゆる分野においてサンガリアより遥かに進んでいるゴーマ人の生活は、サンガリアの民にとって学ぶところが多かったようだ。特に、ゴーマ軍の兵舎にはオナガーだけでなく最先端(この世界では)の技術が用いられた装備の数々が残されており、サンガリアの民が見たこともなかったボウガンなどの兵器については、その仕組みを俺が説明してやったりもした。
向こうの世界では社会の底辺だった俺だけど、この世界では数千年先の知識を持った未来人。ボウガンとかそんぐらいだったら、見れば何となくわかるじゃん?
ボウガンの仕組みを教えてやったことで、俺はまたまたサンガリアの民たちに崇められた。つーか、今更こんなもん使わなくても、俺とエリウさえいればゴーマ軍に負けることはないと思うんだけどな。
ゴーマ支配下ではカムロヌム駐屯軍司令官の邸宅だった我が新居は、サンガリアの集落で暮らしていたボロ小屋とは比べ物にならないほど大きく、贅沢なつくりになっていた。
俺とヒトミに専用の部屋があるのはもちろんだが、用途の定まっていない部屋が複数あり、何人か相部屋にすれば、十人いる女奴隷たちにも寝室をあてがうことができた。それ以外にも、台所や食堂、執務室などそれぞれの用途に合わせた部屋があり、奥には中庭まで設えられている。
だが、この屋敷の中で最も驚かされたのは、広間の天井の中央部に開けられた大きな穴、そしてその下がプールのように掘り下げてあることだった。向こうの世界のように上水道が整備されていないこの世界では、ここに溜まった雨水が貴重な生活用水となっているのだ。
生活用水として溜められている水とはいえ、見た目はプールそのものである。もし都内にプール付きの家を建てようと思ったら、きっと俺の一生分の収入を費やしてもまだ足りないに違いない。その上メイド十人雇って愛人も家に住まわせるとなると、宝くじの一等前後賞が当たってもまだ到底足りないだろう。いやあ、異世界に来て本当によかった。異世界って、いいモンですね!www
街には公衆浴場もあった。日本では銭湯と呼んでいるものだ。念のために言っておくが、自由恋愛ができるタイプの公衆浴場ではないぞ?
サンガリアには公衆浴場どころかそもそも風呂という文化がないらしく、街にあった施設の中でサンガリアの民に最も喜ばれたのがこの公衆浴場だった。こっちの世界に来てからまだ一度も体を洗っていなかった俺とヒトミは当然一番風呂に浸かり、旅の疲れをゆっくりと洗い流すことができた。
カムロヌム奪還から数日経ち、放浪生活を余儀なくされていたサンガリアの民たちが皆ひと風呂浴びて小綺麗な風体になったある日のこと。俺の部屋に、珍しく昼間のうちから、ヒトミとカルラが連れだってやってきた。
「ねえ~運転手さぁ~ん」
相変わらず間の抜けたヒトミの声。夜に話す分には大して気にならないのだが、日中に聞くとイライラしてくる喋り方だ。まあしかし、わざわざそんな余計なことを言って気分を損ねたくはないので、俺はにこやかに答えた。
「お? 昼間っからなんだい、二人揃ってお出ましとは」
こいつらの仕事は専ら夜中だし、昨晩から今朝までずっと俺の部屋でよろしくやっていたのだから、本来ならばまだ活動時間ではないはずだ。俺も眠いし。ヒトミもやはり眠いらしく、人目も憚らず大きな口を開けて欠伸をした。
「ふぁ~あ……ねむねむ……。そういえばこんな早い時間に運転手さんの部屋に来るのは久しぶりだな~ぁ。あ、そうそう。運転手さんにちょっと相談があるんだけど」
「なんだ?」
「カルラちゃんがさ、読み書きを習いたいって言ってるの」
「は? 読み書きだと?」
すると、隣にいたカルラが一歩前に進み出た。
「うん。あたしさあ、ずっとこういう仕事してきたから、字の読み書きができないんだ。ゴーマ人って、読み書きできる人が結構多かったんだけど、あたしは習わせてもらえなかったの。でも、ヒトミや救世主さまが暮らしていた国では、ほとんど皆文字を書いたり読んだりできるんでしょ? それを聞いたら、なんだかうらやましくってさ」
「はあ……まあ、たしかに日本の識字率は大体100%だな。よし、じゃあ今度エリウに会ったら、読み書きを教えてもらえるように伝えといてやろう。さすがにゴーマの文字は無理だから、サンガリアの文字を教えることになるだろうけどな」
「ほんと? やった~!」
カルラとヒトミはその場でハイタッチをして見せた……のだが。
数時間後、屋敷にやってきたエリウにその旨を伝えると、エリウは困惑した表情を浮かべながらこう答えた。
「文字……ですか。参りましたね……いえ、その……私たちサンガリアの民は、文字というものを使わないのです」
「は?」
「我々は、あらゆる知識を全て口伝で語り継いできました。ですから、そもそも文字にして何かを書き表すという文化がないのです。ゴーマ人の社会には文字の読み書きの文化もあるそうですが、我々には……」
えええええ、文字がないとか、マジかよ。ゴーマとサンガリアにここまで大きな差があったとは。
「じ、じゃあ、読み書きを教えるとなるとゴーマの文字を教えるしかないってことか?」
「そうなります……しかし、ゴーマの文字を広めるというのは、どうも気が進みませんね」
それな。
カルラの件に限らず、これからサンガリアが発展していくために、文字の普及は欠かせない。知識を伝えるには口伝より書物のほうが遥かに正確で効率がいいからだ。だが、そもそも文字の元型になるものすら持たないサンガリアのために一から文字を作るとすれば、それは気が遠くなるほど大変な作業になるだろう。
そうかといって、サンガリアにとっては憎き敵であるゴーマの文字をパクって広めていくのは気が引けるし、サンガリアの民衆だってゴーマの文字なんか学びたくはないはずだ。文字ってのはある意味精神性にも関わるものだから、風呂に入って喜ぶのとはわけが違うのである。
ところで今更ではあるが、こんなに文字も文化も違う人間達がどうして同じ言語で会話しているのか、なんていうツッコミを俺にされても困るから、クレームなら作者のほうに入れてくれよ。ファンタジーのお約束ってことでどうかひとつ。
はて、どうしたものか。
その日の夜、俺の部屋にやってきたヒトミとカルラにそれを伝えると、ヒトミはケロリとした顔で答えた。
「じゃあさあ、あたしと運転手さんとで、日本語の読み書きを教えればいいんじゃない? 別にゴーマの文字じゃなくったって、書き表せればそれでいいわけでしょ?」
「に、日本語を……教える……?」
「そうそう。サンガリアの救世主が暮らしてきた国の文字だったらさ、みんな喜んで勉強するんじゃないの? あ、あたしって天才じゃない?」
目から鱗が落ちる思いだった。
ヒトミの言う通りである。これまで全く文字を使ってこなかった文明に新しく読み書きを広めるのだから、その文字がこの世界に存在する文字である必要はまったくないのだ。
「そうか……その手があったか!」
「ね? 一緒に教えようよ、日本語!」
「……いや、面倒臭いからヒトミに任せるわ」
「何それー。ねね、カルラちゃんもそれでいい?」
ヒトミが尋ねると、カルラは満面の笑みを浮かべながら大きく頷いた。
「うん。あたしだって、別にゴーマに愛着があるわけじゃないし、どっちかっていうと嫌な思い出ばっかりだよ。ヒトミちゃんの国の文字を教えてもらえるなら、そっちのほうがいいや」
「よーし、決まりだね!」
かくして、翌日からヒトミの日本語読み書き講座が始まった。
最初の生徒はもちろんカルラ一人だったが、生徒の数は日を追うごとに増えていき、その月のうちに百人を超える規模にまで拡大した。昼間はいつも退屈そうにしていたヒトミも、自分の仕事ができて嬉しいらしく、これまでよりずっといきいきとしているように見える。
物覚えの悪い生徒にも丁寧に教えるので、生徒たちからの評判は上々なようだ。これなら、文字の普及にそう時間はかからないかもしれない。
カムロヌムの街を奪還し、ゴーマの知識と技術、そして文化を吸収し、新たに文字という最強の武器を手に入れたサンガリアは今、大きな発展へと続く礎を築こうとしていた。
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