第53話 異世界カレーと謎の肉

「うえーん、うえーん!」

「うわーん、うわーん!」


 フィナンシェのおかげで上手く敵をあしらったかに見えた香織が、なぜかそのブーシカと共に去ってしまい、小屋に残されたルビロルとリビナナはひたすらわんわん泣き続けていた。


「カオリさんすごくいい人そうだったのにぃ~うえ~ん!」

「なんでついて行っちゃったの~うわ~ん!」


 小さな部屋の中が、小さな子供たちの涙と嘆きでパンパンに膨らんで爆発しそうになったその時。


 トントントンッ。


「ひぃ!」

「ひゃっ!」


 突然、扉をノックする音がして心臓が止まりかける2人。


「まさか、あの人だけじゃ物足りなかったとか……」

「ちょっとお兄ちゃん! 変なこといわないでよもう!! さすがのブーシカだって、カオリさんを食べきるには早すぎるでしょっ!」


 さりげなく世にも恐ろしい会話を交わす幼い兄妹は恐る恐る木の扉のほうに近寄っていく。


「ほらお兄ちゃん」

「お、おう……」


 少しだけ背の高い兄ルビロルが扉に両手を当てて、ゆっくり背伸びしてのぞき穴から外の様子を覗く。


「……うわっ!! で、で、出たぁぁぁぁ!!」


 悲鳴を上げながら床に尻餅をつくルビロル。


「ちょっとお兄ちゃん大丈夫!? 出たってなにが??」


 おびえる兄を心配そうに見下ろすリビナナ。


「い……いるっ……そこに……!!」


 ルビロルは床にしゃがみ込んだまま、震える手でのぞき穴の方を指さした。


「やだなにそれこわいよ~! でも……」


 リビナナは扉の前で思い切り背伸びをして、恐怖と好奇心が入り交じった目でのぞき穴をのぞき込んだ。


「……えっ? カオリさん! お兄ちゃん、出たってカオリさんのこと??」

「そ、そうだよ!! ユーレイだよユーレイ!!」

「違うよ! ぜんぜん透けてないし!! もう、怖がりなんだから」


 あきれながら扉の鍵を開けるリビナナ。


「えっ……? いや、でも……」


 戸惑う兄を尻目に、リビナナは迷わずドアを開けた。

 そこに立っていたのは紛れもなく生きた生身の香織。

 その両腕には、何かをいっぱいに抱えている。


「ふふっ、大丈夫だった? なんか泣き声やら叫び声やら聞こえたような気がしたけど」

「あっ、全然大丈夫です! お兄ちゃんが1人で慌てちゃってて」


 いひひ、と笑いながら足下の兄にチラッと視線を送るリビナナ。


「ちょ、ちょっと待てよ! それじゃボクだけかっこ悪いみたいじゃんか!!」


 ルビロルは香織が幽霊じゃないことを確認しつつ、恥ずかしそうにすくっと立ち上がった。


「ホントのことだもん!」


 妹のリビナナは腰に手を当てて胸を張り、あくまでも強気の表情で兄に言い放つ。


「ぐ……ぐぐぐぐぐ……」


 ギリギリと歯を噛みしめるルビロルの顔がどんどん赤く染まっていく。


「あらあら」


 香織がどうにかしなきゃと動き出す直前。 


「わかったよ! はいはい、怖かったですよ~だ!! でも今はもう大丈夫だし! この人が生きて帰ってきてホッとしたし!!」


 ルビロルは香織の顔をチラッとみながら、破裂寸前の風船から空気が抜けるように妹へ向けて一気に言葉を吐き出した。


「……うん! それはあたしも同じだよっ!」


 にひひと笑うリビナナ。

 その様子を見守っていた香織の顔は驚きに満ちていた。

 小さな兄妹に歩斗と優衣の面影を重ねるように笑いながら、


「お待たせしちゃったけど、食事作らせて貰っていいかしら?」


 と、2人に向かって優しく声をかけた。


「わーいわーい!」

「よっしゃー!」


 2人がどれだけ腹を空かせていたのかは、跳びはねるようにして喜ぶ姿を見れば明らかだった。


「ねえねえカオリさん、なに作るの?」

「フフフ、それは出来てからのお楽しみ……ね!」


 香織はニコニコしながら「お邪魔しまーす」と小屋の中に入った。




「いっただきまーす!」

「いただきまーす! って、あーずるい! お兄ちゃんもう食べてるし!!」

「へへへ、早いもん勝ち!」


 大きめの椅子に座る小さな兄妹は争うようにして、ギュッと握ったスプーンを皿の上に走らせた。

 香ばしい匂いが漂う部屋の中に、カチャカチャという音が響く。

 香織が持ち帰ってきたのは、ジャガイモ(みたいな野菜)、タマネギ(みたいな野菜)、ニンジン(みたいな野菜)。


「やっぱりカレーにして正解だったわね!」


 香織は2人の向かいに座り、満足げにウンウンと頷いた。

 フィナンシェをあげたブシーカの後を付いていった香織はそのお礼として、両手いっぱいの食材を貰って帰ってきた。

 見知らぬ土地……どころか異世界の食材ではあるものの、見た目はどれも馴染みの野菜に似た形状で、真っ先に思いついたのがカレー。

 小屋のキッチンを借りて、ガスコンロならぬ〈魔法陣型調理器具〉をなんとなくで使いこなし、棚に置いてあったスパイスなどを駆使して見事完成までこぎ着けた。

 毎日、家族のために料理を作り続けている“主婦スキル”のたまものである。


「あっ、お兄ちゃんお肉ばかり食べて野菜全然食べてないじゃん!」

「ち、ちげーよ! あとでちゃんと食べるし!」

「うっそだ~。どうせ残すんでしょ?」

「だかちゃんと食べるっつーの! っていうかこの肉おいしすぎるんだけど!」

「うん。それはあたしも思った! ねえカオリさん、これってなんのお肉なんですかぁ?」


 ルビロルとリビナナはスプーンを持つ手を止めて、じーっと香織の顔を見た。


「うん、それはね──」


 香織が答えようとすると、ルビロルが「えーもしかして!?」と叫んだ。


「ま、まさか……!?」


 リビナナも顔を青ざめる。

 ほどよく脂がのっていて、赤身の部分は引き締まっていてかみ応えのある美味しい肉。

 小屋へ戻ってくる前に香織を最後に見たのは、ブシーカに付いていく後ろ姿。


「もしかしてこれ……ブシーカなの!?」

「ブブー!」


 リビナナの質問に香織が答えた途端、

 

「……ひぃ!!」

「……きゃー!!」


 小さな兄妹は揃って悲鳴を上げた。


「フフッ、今のは『ハズレ~』のブブーよ。この肉は、キッチンにあった〈冷蔵宝箱〉に入ってたものを使わせて貰ったの」

「なーんだ!」

「そっかーよかった~」


 香織から真実を聞いた2人は安堵の表情を浮かべながら、またパクパクと食べ出した。

 よっぽど美味しいのね、と香織はリビナナとルビロルの様子をニコニコしながら見つめる。

 自分で使ったものの、その肉の正体は分からない。

 そもそも、ここは一体どこなのか?

 我が家のリビングが転移したあの場所からどれぐらい離れているのか?

 この世界にも学校はあるのか?

 ブシーカ以外にどんな魔物が生息してるのか……等々、香織の頭の中に次々と疑問が浮かぶ。


「ねえ、おふたりさん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど──」


 香織が言いかけたその時。


「……うわっ!」

「……えっ!?」


 突然、香織の体がキラキラと輝き始め、リビナナとルビロルが驚きの声を上げた。


「あら、何かしらこれ?」


 のんきに小首をかしげる香織。


「すげー! なにその魔法!?」


 ルビロルも負けじとその目をキラキラさせた。


「魔法?? すごーい! ねえカオリさん、もしかしてそれでブシーカを倒したの?」

「フフッ、ブシーカは倒したわけじゃないのよ。でも、これってどういう事なのかしら?」


 香織がキョトンとさせてる間も、その体の輝きはどんどん増していく。

 小さな兄妹はポカンと口を開けたままその様子を見守っていた。


「あっ……もしかして」


 テーブルに並ぶ2つの皿の中身がほとんど無くなっていることに気付いた香織。

 それはつまり、魔法陣鍵ミッションをクリアしたことの証。


「そっか。ねえリビちゃん、ルビちゃん。そろそろ私、帰らなくちゃいけないみたい」


 香織が言うと、2人は「えーうそー?」「やだー!」と抵抗の色を見せた。


「フフッ、ごめんね。私にも2人みたいな子供がいるの。そのお兄ちゃんの方が塔の中で待ってて──」


 悠長に説明し始める香織だったが時既に遅し。

 その体は輝き過ぎてもはや真っ白。


「びえ~ん」


 突然の別れが悲しすぎるのか、ルビロルが顔を真っ赤にして泣き出した。


「お、お兄ちゃん、しょうがないよ。カオリさんにもカオリさんのリユウが……ううう……ぐすん」


 リビナナの目からも涙がこぼれる。


「2人も泣かないでフフッ……」


 出会ったばかりの自分との別れをそんなに惜しんでくれるなんてと、香織は笑ってみせるが、その目は少しだけ涙で滲んでいた。


「きっとまた会えるから──」


 そう言いかけた香織だったが、真剣に悲しんでくれている2人にいい加減なことを言ってはいけないと思い直す。

 輝きが弱まるのと同時に透けていく両手。

 それはあの魔法陣の仕業。

 仕組みはさっぱり分からないが、似たような魔法陣があればきっとまた来ることができるはず。


「……ううん。たとえ魔法陣が見つからなくても、絶対なんとかして戻ってくる! 戻ってくるから!!」


 香織は力強く言い切った。


「……う、うん! 待ってる!」

「きっとだよ!! またね!!」


 もう後ろの壁が見えちゃってるぐらい透け透けの香織に向かって、健気に手を振るリビナナとルビロル。


「またね──」


 手を振りながらそう言った瞬間、香織の体がスーッと消えた。




「……おおっ、戻ってきた!!」


 薄暗い塔の中。

 無事帰ってきた香織の姿を見て、歩斗が嬉しそうに叫ぶ。


「う……うん、またね」


 寝ぼけた顔で歩斗に向かって手を振る香織。


「ちょっと何言ってんの? って、そんなことよりヤバいんだって! 早く外に出ないと!!」


 焦りに満ちた表情の歩斗は、魔法陣鍵のロックが外れた塔の扉を押して外に出る。

 暗い部屋の中に差し込む日差し。


「あっ……そっか。ちゃんと戻ってこれたのね」


 ようやく現状を把握し始めてきた香織、歩斗の後を追って外に出る。

 するとそこには……。


「ククク、やっと出てきたか」


 薄ら笑いを浮かべながら2人に向かって言い放ったのは、黒いマントに身を包んだ蒼白い顔の少年。

 そして、少年の足下には、ロープで縛られたユセリの姿があった……。

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