やっと買ったマイホームの半分だけ異世界に転移してしまった

ぽてゆき

第1章 ロフミリアの3つの国

初めての異世界

第1話 からあげの匂いとスライム

「おかえりなさ~い。ねえねえあなた、ちょっと聞いてよ。今日ね、庭でスライムを見たんだけど」


 涼坂直樹すずさかなおきは仕事から帰ってきて早々、妻の口から飛び出した言葉に耳を疑った。


「えっ、スライム?」

  

 家族4人分の靴が綺麗に整頓された玄関で、直樹は革靴を脱ぎながら聞き返す。

 

「そうそう、スライムスライム。いかにもって感じのやつだったわ」


 なるほどね。

 妻の香織かおりは自分と同じくゲーム好きなので、スマホで新しく始めたアプリの話でもしてるのかな、なんて勝手に納得しつつ、直樹はワックスでピカピカに輝くフローリングの床を踏みしめた。

 廊下に上がってすぐ右手に2階へ上がる階段。

 そして、左手にある小窓からは、ついさっき直樹が駐車したばかりの青い車の横顔が家の中の明かりに照らされていた。

 36歳にして買ったマイホーム。

 直樹にとって作りたてほやほやの新居から漂う香りは幸せと同時に35年ローンと言う名の重責も含んでいたが、可愛い妻そして2人の子供と過ごすかけがえのない生活を考えれば、トレードオフどころか黒字も黒字、大黒字だ。


「──何か動いたような気がしたから最初は猫かなぁぐらいに思ってたんだけど、よく見てみるとどう考えてもスライムなの。っていうか、そもそもウチってこんな庭だったっけ……って、ちょっと聞いてる?」

「……えっ、あっ、ごめんごめん。スライムに出くわしたんだよな。で、倒せたの?」


 直樹は廊下を歩きながら、完全にゲームの話として軽く返事した。

 それよりとにかく、真っ直ぐ行った先にあるリビングのソファに座って落ち着きたかった。

 直樹がマイホームの中でも一番気に入っている大きなリビングに合うように、色々なお店に足を運んで実際に座り心地を確かめながら選んだ極上のソファに。


「倒すってどうやって? 剣とか槍とかも無いのに!」


 香織はボーダー柄のエプロンのポケットに両手を突っ込み、頬をプーッと膨らませた。

 その様子に気付いた直樹は一旦足を止めた。

 何かの雑誌で見た『妻が夫に切れる瞬間ワースト5』の1位か2位に『話をちゃんと聞いてくれない時』というのが入っていたのを思い出したからである。

 

「ごめんごめん。えっとじゃあ、武器を持って無かったってことは、まだ序盤なの?」

「……序盤? ってどういうこと?」


 香織は直樹の顔を見上げてながら小首を傾げた。

 直樹は、この会話の噛み合わなさからすると、もしかして彼女がしてるのはゲームの話ではないんじゃないか……と思い始めていた。

 だとすると一体何の話をしてるんだろうか?

 その間もジーッと見つめ続ける妻の大きな瞳には、何て答えたらいいのか分からずに困った表情を浮かべる自分の顔が映っているのが見えて、直樹は焦りを募らせた。

 ファンタジー世界を舞台にした小説やマンガなんかでもスライムは出てくるだろうけど、香織が言ってた『庭でスライムを見かけた』という言葉とは合わない気がするし……と、夫婦の会話と言う名の"簡単そうで実はやっかいなミッション"に直樹が手こずっていたその時。


「ママー、お腹すいた~!」

「ボクもすいた~。ペコペコで死にそう~」


 元気な足音と共に、2人の子供の声が階段を降りてきた。

 そして、廊下に立っている香織と直樹……特に直樹の存在に気付くなり、2人揃ってハッとした表情を浮かべた。

 

「あっパパだ!」


 と、娘の優衣ゆいがまるでレアなモンスターでも見つけたかの如く、直樹に向かって指差した。


「あっホントだ! 今日早くね? リストラされた?」

「えっ、リストラって会社やめさせられちゃったってこと? パパかわいそ~」


 兄の歩斗あゆとによる勝手な憶測をそのまま受け入れた優衣は、タッタッタと廊下に足音を響かせながら直樹に駆け寄ると、トンッとつま先でジャンプして抱きついた。


「うわっ、いきなりどした!? っていうか、アユ勝手なこと言うなよ! パパがリストラされるわけないだろ!?」


 直樹は右腕で娘の体を支えつつ、息子に向かってビシッと言ってやった。

 もっとも、「ははっ、バレたか」ぐらいな冗談を返す余裕が無いというのも事実だった。

 このマイホームを買った直後という絶妙に悪いタイミングで、人事異動によって慣れ親しんだ部署を離れていた。

 直樹が勤めている会社はIT系の中でもお堅い部類だったのだが、今年になって突然、昨今の時流に乗るかの如く<スマホゲーム事業>を新規に立ち上げた。

 そして、直樹の異動先がまさにそのスマホゲーム事業部。

 部長以外ほぼ若手で構成されたその部署で、唯一の中堅──いやもうベテランのステージに片足を乗せつつあった直樹は、自動的にリーダー的責務を負うこととなった。

 確かに、直樹はゲーム自体はとても大好きで、それこそ一番の趣味と言っても良いぐらいだったのだが、趣味だからこそ仕事にはしたくないという月並みな心理状態に陥り、元の地味な部署への未練を吹っ切れずにいた。

 まあ、月並みなソレ以外にも、学生時代から使いこなしている<スマホ世代>たる若手に対する引け目なんかもなきにしもあらずで──


「ぎゅー!」

「……いててて! 何すんのユイ!?」


 抱きついたままの娘の小さい手に思いきり両頬をつねられた直樹。

 ふいの攻撃と、思いのほか高めの攻撃力のせいで思わず涙ぐみそうになった。


「へへへ、なんかパパ、ボケッとしてるから!」


 そう言って、優衣は父親にはにかんで見せた。

 直樹は、その理不尽な理由といい、細腕なのに妙な力強さを発揮するところといい、どんどん母親の香織に似てきてるな、と思った。

 

「ねー、お腹すいたんだけどー。ねーねー」


 と、今度は息子の歩斗が、なぜか直樹の脇腹に右手のグーでグリグリしながら訴えかけてきた。

 いや、食事が欲しいならパパじゃなくてママに訴えたほうが……って、そんな事を口にした日には、妻から本気のグリグリを食らい兼ねないことを重々承知している直樹は結局笑いながら、


「ははっ。そうだなぁ。パパもお腹すいたなぁ、ははは」


 と言ってお茶を濁した。


「はいはい。腹ぺこが3人も現れたら退治しないわけにはいかないわね。すぐ作ってあげるから、しばしお待ちあれ」


 香織は両手でエプロンの裾を広げ、3人に向かってニコッと笑った。

 

「晩飯なに?」


 興味津々さで光沢が増した瞳の歩斗が聞く。


「そうねえ、みんなすぐ食べたそうな顔してるから……鶏のからあげにしよっかな?」

「よっしゃ!」


 歩斗は両手でガッツポーズ。


「やったー!」


 優衣は抱きついていた直樹の体からピョンと床に降りながら両手を大きく広げた。


「おいおい、ユイ。パパとからあげどっちが好きなんだ?」

「えっ? もちろんからげだけど?」


 と、間髪入れずに答える優衣を見て、香織と歩斗はプッと吹きだした。

 

「ったく……まあ、ママのからあげは死ぬほど美味いから仕方無いか。……って、そういえば、途中になっちゃってたけどスライムがどうって件──」

「いいのいいの。とりあえずからあげ揚げてこなくちゃ。またあとでね」


 意外とあっさり切り上げられて、直樹は逆にスライムの件が気になって来たが、正直それよりもからあげが勝ってしまっていた。


「ママ~、お手伝いする~」


 優衣がキッチンに向かう母の背中を追って駆け寄る。


「おっ、助かる! じゃあ、切った鶏肉に片栗粉付けるところを……」


 と、女子チームが居なくなり、廊下に残された父と息子。


「よし、じゃあ俺たちは待ってる間、アレで勝負するかアレで?」

「うん! 今日も負けないぜ!」

「いやいや、パパには秘策があるからな。今日から連勝だ」


 と、男子チームは涼坂家で絶賛流行中のレースゲームで対決することになった。

 廊下からゲーム機の置いてあるリビングに入る時、直樹は一瞬さっき香織が言っていた言葉を思い出し、庭に面した窓の方をチラッと見たが、オレンジ色のカーテンに遮られて外の様子は見えなかった。

 直樹はフッと小さく息を吐き出し、そしてローボードからゲーム機を取り出してスイッチを入れた。




「うまぁ!!」

「おいしー!!」

「相変わらず最高だ!」


 サクラだとしたら下手すぎて雇い主から怒られそうなぐらい、香織の作ったからあげをべた褒めする3人。

 キッチンとリビングに挟まれたダイニングのテーブルの上に、4人分のお皿やコップが所狭しと並んでいた。

 レースゲームで連敗を喫してショックを受けていた直樹だったが、からあげの美味しさがその傷を癒やしてくれるような気がしていた。

 ちなみに直樹はずっと、年を食ったら自然と食の好みがさっぱりなものに変わっていくと思っていたが、36歳になった今でもからあげやハンバーグ、カレーライスなどが好きなままで、少し恥ずかしく思っていたりなんかしていた。

 大人のくせに、何百回と食べてきたくせに、からあげの乗ったお皿が目の前に置かれているだけで、そこはかとない幸福感が心の中を支配する。

 救いなのは……と、直樹は目の前に座っている香織を見やった。

 自分と同じように、幸せそうな顔でからあげを頬張っている。

 そう。妻の香織の好みがほとんど直樹と同じなのである。

 違いがあるとすれば、直樹が好きなトマトを香織が苦手としている事ぐらい。


「ん? どうかした?」

「えっ、いや別に……って、そうそう。スライムの件。あれ結局なんだったの?」


 と、直樹はごまかそうとしてつい口走ってしまったが、子ども達の前で話すと無駄に脱線しそうだな……と後悔したが時すでに遅し。


「なになに!? スライム!? スライムがどうしたの!?」


 直樹の隣でからあげを夢中で食べていた歩斗だったが、まんまと聞き逃すこと無くまくし立てた。

 

「スライム? って、ゲームに出てくるアレ?」


 香織の隣でからあげを夢中で食べていた優衣も、まんまと食いついた。

 食卓でからあげを食べながらスライムを話題にする家族ってどんだけ……と、お堅い人間には思われてしまうかもしれないが、これはこれでちょっと幸せ感じじゃったりするんだよな、と直樹は内心思っていた。

 直樹自身が子どもの頃、両親が共働きだったため、家族揃って食卓を囲むといった事があまり無かったことが影響しているのかも知れない。

 が、しかし、まさか妻の言うスライムがとは夢にも思っていなかった。


「なあ、さっき『庭でスライムを見た』って言ってたけど、庭ってソコのこと?」


 直樹は箸を茶碗の上に置き、空いた右手で窓の方を指差した。

 その手の動きに合わせるかのように、歩斗と優衣がその指が差す方に顔を向ける。

 ……と、その時。


 バタンッ!!


 突然、けたたましい音が部屋の中に響き渡った。


「えっ、なに!?」

 

 叫ぶ歩斗。


「ひぃ~」


 怖がる優衣。


「もしかして……泥棒?」


 縁起でも無いことを呟く香織。


「か、風で飛ばされた何かが窓に当たっただけじゃないかな? はは、ははは……」


 と、直樹は家族のみんな……というよりは自分を納得させるために理由をあてはめようとした。

 

「そっか。そうよね。こんな人気ひとけのあるタイミングで泥棒が来るわけ無いわよね」

「そうそうそう。そうだよ! 何かだよ! 泥棒以外の何かに違いない」

「よかった~。ねえパパ。なにかってなに? ねえ、見てみて!」

「……えっ?」


 無邪気な娘の残酷な言葉が直樹の心を突き刺した。

 何かは何かなんだから、別にわざわざ確認する必要無いでしょ……もし何かじゃなくて泥棒だったらどうするんだよ……とは言えず。

 

「よ、よし。じゃあ、ちょっくら確認してみようか……」


 直樹は、一家の主として覚悟を決めた。

 スッと椅子から立ち上がり、ゆっくりとリビングを横切ってオレンジ色のカーテンの目の前までやってきた。

 ふと振り向くと、ダイニングテーブルに座った3人がジッと直樹の方を見つめていた。

 再び視線をカーテンに戻す。

 フーッ、と大きく息を吐き出す。

 よし。

 ここでダラダラしてたら、父としての威厳が──


 バタンッ!!


 さっきと全く同じ音が再び鳴り響く。


「うわっ!」


 直樹は驚き余って、無意識に両手でカーテンを掴んで思いきり開いた。

 すると、窓の外には夜の闇。

 そして、視線を地面の方に落としていくと、部屋の明かりに照らされた青い何かが佇んでいた。


「ス、スライム……!?」


 それはまさしく、スライムだった……!

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