第29話~30話

       29


 四本目は静かな立ち上がりだった。男子Cのプレーは慎重なものになっており、女子Aは、いつものコーチングの声が蘇り始めていた。俺の電撃移籍で、双方とも気持ちがリセットされた印象である。

 数分が経過し、男子の35番が、コートの中央でパスを受けた。

 釜本さんを密着マークする俺の傍ではあおいちゃんが、後方の佐々とボールとの間でしきりに視線を往復させている。細めた目からは、佐々が編み出したオフサイド・トラップ破りへの不安がひしひしと伝わってきていた。

 俺はあおいちゃんの恐慌を和らげるべく、早口かつソフトに指示を飛ばす。

「そんな頻繁に首を振る必要ないよ! 人間の視野は、左右に百八十度以上あるんだからさ! 佐々が引いてきてる時は、ボールと佐々、両方、視界に入れられるはず!」

 あおいちゃんは、「う、うん。了解です」と、自信なさげに答えて、視線の往復の頻度を減らした。

 35番が右足を振り被った。瞬時にアイ・コンタクトを交わした俺たちは、すっと一歩、前に出た。

 オフサイド・ラインまで戻ってきていた佐々だったが、あおいちゃんの急な動きに対応できない。ボールを受けるも、線審の旗が上がった。待ち伏せ禁止、オフサイドである。

 後ろにいるマーカーに目を遣り過ぎず、意思疎通をしっかりしたらこんなもんだ。

 それに佐々は、まったく経験が足りてないからね。警戒のあまり、パニックになるほうがよっぽど怖いんだよ。

 俺は手をパンパンと叩いて、コート中に聞こえる音量であおいちゃんを勇気付ける。

「あおいちゃん、ナイス判断! 冴えてる、冴えてる! 永久凍土並に冴え渡ってるよ!」

「うん、ありがとう。とっても助かったよ。永久凍土とかはよくわからないけどね」

 あおいちゃんから、拍子抜けしたようなお礼の言葉が来た。お顔も落ち着いた笑顔で、俺は胸を撫で下ろす。

 前の選手からも、「あおいー、サンキュー」「綺麗、綺麗」のように、次々と賞賛の声が聞こえ始めた。嬉しそうなあおいちゃんは、花が咲くように微笑んで、肩まで挙げた右手を小さく振った。

 うん、やっぱり美しいよね。スポーツ女子たちの連帯感って。退部を賭けてまで、チームを移った甲斐があったよ。


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 その後もあおいちゃんは、余裕を持って佐々を止め続けた。オフサイド・トラップやポジショニングの良さで相手を抑える姿は、まさにクレバーさの権化、って感じだったね。

 ディフェンスが落ち着いて、本来の力を出し始めた女子Aは、終始、攻勢で試合を進めた。ただシュートがバーにはじかれたりと、得点は取れていなかった。

 残り時間も五分を切った。女子の11番に寄せられた45番は、苦し紛れのハイ・ボールを放ってきた。俺は、マーク相手の釜本さんと、手を使ったポジション争いを繰り広げる。

 ボールが落下してきた。俺は釜本さんの肩に腕を乗せて、思いっきりジャンプ。釜本さんの勢いを利用してなんとか競り勝った。このゲームで三勝二敗。まあまあの勝率である。

 俺のヘディングは、右にいる女子の13番へのパスとなった。プレッシャーを躱すため後ろにトラップした13番は、中の7番にパスする。

 7番のワン・トラップ後の楔から、密集地帯でのショート・パスの嵐が始まった。全国に轟く竜神女子サッカー部の、ポゼッション・サッカーの本領発揮である。

「星芝くん!」

「了解!」

 あおいちゃんとの、短くもエネルギッシュな遣り取りの後、俺は、再びボールを持った13番に接近した。

 13番からパスが出た。軽く身体のフェイントを入れた俺は、低い弾道で大きく逆に蹴り出す。狙いは、細かいパス回しに吊られて手薄になった左サイドである。

 オーバー・ラップした6番は、ダイレクトで中に落とした。素早い動きでマーカーを振り切った7番がシュート。ボールはゴールの右隅へと飛んでいく。

 だが壁谷さんが、右手一本でコート外へと弾き出した。女子Aのコーナー・キックである。

「星芝くん、上がっちゃって大丈夫よ」

 面映ゆい表情で俺を見つめるあおいちゃんが、ゆっくりと告げた。

 不思議に感じた俺は、やんわりと聞き返す。

「マジで良いの? いや、そりゃあ俺も、チャンスがあったら点、取る気でいたけどさ」

「わたしはへっちゃらだよ。なんか、相手が誰でも負ける気がしないもん。それにさ、星芝くんが上がったら、誰かが星芝くんにマークに付くでしょ? 敵の攻撃の枚数を、一枚、減らせるよ」

 指を一本、立てるあおいちゃんは、未奈ちゃんの威勢が感染うつったかのような、力強い言い草だった。

「そんじゃあお言葉に甘えて。遠慮なく行かせてもらいますか」

 軽く答えた俺は、爆速ダッシュでコーナー・アークへと近づいた。高校初の、ショート・コーナーである。

 出されたボールを身体を開いてトラップすると、ゴールとの間に沖原が立ちはだかった。面持ちは固く、半身になった姿勢には隙がなかった。

 沖原よ。まだゾーン状態じゃなかったけど、お前も、未奈ちゃんを止めたりしてたね。ちょっとは、自信を付けたかい? 悪いけど俺がその自信、素粒子よりも細かく粉砕しちゃうよ。

 俺は一瞬、溜めを作って、右で小さく外に跨ぐ。沖原が吊られた様を見て、右インで突破。だが、すぐさま後続がフォローに来る。

 中に目を遣った俺は、マイナス(相手ゴールでなく自ゴールに向かう軌道》の速いボールを転がした。

 ペナルティ・アークのやや後ろ、どフリーのあおいちゃんが走り込んでいた。ゴールをちらりと見て、右足で、ミートの瞬間に止めるインフロント・キック。

 壁谷さんが飛び込むも届かず、何度かバウンドしたボールが、ゴールの左、ぎりぎりに決まる。

 五対三。技ありシュートで、女子Aのダメ押し。

 すぐにあおいちゃんはくるりと向きを変えて、自陣にジョグを始めた。派手なパフォーマンスこそないけど、おっとりした顔の全パーツに喜びが見て取れた。

 以後も流れは女子Aで、五対三のままホイッスルが鳴った。

 女の子たちもいろんな意味で蘇って、未奈ちゃんの帰ってくる場所を作れた。俺も充分、活躍したし。未奈ちゃんの一件を除いたら、文句なしの大団円だね。

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