第4章
第7話 同じ街
待ち合わせ場所で数分待っていると、制服姿の彼女が小走りでこちらに向かってくるのが見えた。短いスカートがひらひら揺れて、彼女と私は違う世界の人間なんだと気づかされる。
「凪子ちゃん、制服、珍しいね」
「家では着ないですからね」
「学校帰り?」
「センセイもそうでしょう?」
「うん。そうだね」
そんな他愛ない会話が、妙に立体的に聞こえる。にぎやかな街の雑踏、宣伝カーが騒ぎながら走る音、どこの国の言葉かわからない話し声、色んな所から聞こえる音。それに混じって、東間凪子の声が隣で響く。
「センセイって、一人暮らし長いんですか」
「大学一年からだから、一年ちょっとだね」
「頼りにしてますからね、センセイ」
私たちはふらふらと街中を歩いた。気になった店に入って、彼女が知るVtuber仲間のイメージに合うものがないか二人で探す。
「その人、どういう人なの?」
「人気あるし、ちゃんと配信始めれば面白いんですけどね」
「どういうこと?」
「よく寝坊したり、明らかに眠たそうな声で配信やってるんで、リスナーに突っ込まれてますよ。“起きて!”って」
「へえー。面白いね」
普段なら、大学の友人と遊びに来たり、一人で買い物に来る街だ。その景色を、制服姿の東間凪子と歩くのは、ふわふわと浮足立った心地になる。
「凪子ちゃんと二人でいるの、なんか不思議な感じ」
「いつも二人で会ってるじゃないですか」
「でもほら。いつもは座ってるし、制服じゃないし。凪子ちゃんって、意外と背が小さいんだね」
そうやって言えば、東間凪子は幾分下の方からぎろりと私を睨みつける。
「ごめんごめん、怒らないで」
「センセイが大きいだけです。私は平均身長ですよ」
「ごめんってば。可愛いって言いたかったの」
「はあ?」
また、彼女は大きく口を開けて顔を歪めた。もしかしたら、この表情をする時の彼女は、照れているのかもしれない。不貞腐れたように言い返してくる。
「別に、生身のわたしなんて可愛くないですよ。センセイ、“東間凪子”見ておかしくなったんじゃないですか」
「凪子ちゃんは可愛いよ。“東間凪子”よりも、今の凪子ちゃんの方が、私は好きだよ」
「ちょ……」
カエルの泣き声みたいな声を上げて、今度は黙り込んでしまう。
対面での会話は、配信とは事情が違うらしい。有象無象の言葉から、返答しやすいコメントを拾い上げるのは、あんなに上手なのに。
二時間ほど歩き回って、彼女は私が案を出した、卓上のアロマディフューザーと“お目覚め”という名前のアロマオイル、それに目覚まし時計を買った。
「凪子ちゃん、本当にそれでよかったの?」
「はい。これでもう、寝坊で配信すっぽかすのもなくなるはずです」
「寝坊してすっぽかすとか、あるんだね」
「配信者なんて、変人の集まりですからね。センセイみたいなまともな人の常識は、通用しないんです」
私との間に、東間凪子が線を引く。それがなんだか寂しくて、でも、近寄れるわけではないと知っていたから、私は引かれた線を手に取った。
「でも、変な人がいっぱいだから、面白いんでしょ?」
「……まあ、そうですね。楽しいですよ」
「そっか。それならよかったよ」
すると、彼女は鞄からスマートフォンを取り出した。着信があったらしい。路上に立ち止まって、彼女は画面を覗き込む。
「事務所の先輩だ。明日のことかもしれないんで、出てもいいですか?」
「いいよ。じゃあ、私トイレ行ってくるね」
「すみません」
軽く手を振って、私は彼女と別れた。自分が、少しだけ浮かれているのが分かる。目の前のファッションビルのトイレで一人になった時、力の抜けた表情筋の様子で気づいてしまった。多分、私の口角はずっと上がりっぱなしだった。
でも、どうしてだろう。
確かに、家庭教師と生徒という立場で、もう少し話してみたいなと思っていたのは本当のことだ。だけど、彼女が隣にいると、普段の街の見え方が変わる。
街は少しだけ、楽しく見える。
なにそれ。変なの。
きっと、彼女に言ったら、眉をひそめてそう答えられて終わるだろう。
私は、夢心地の頬を両手で軽く叩いて、トイレから出た。
その時。
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