たまにはのんびり母さんと話をしたり、みんなと遊んだりするのもいいか
さて、谷津遊園をどうするかをみんなで話し合った時に言われた”仕事狂い”というみんなの言葉は結構俺のハートに突き刺さった。
そういうこともあって翌日の朝、俺は母さんにちょっと話を聞いてみることにしてみた。
「ねえ、お母さん、俺って仕事狂いだってみんなに言われたんだけど、母さんから見てもそうかな?」
母さんはちょっと苦笑した後に言った。
「そうね、あなたは一つのことに集中しすぎるところはあるわね。
実際に中学生の時は三年生の夏まではサッカー一筋だったでしょう?
そのあたりお父さんに似たのかもしれないわね」
そう言われてみればたしかにそんな気がする。
もともと一つのことに夢中で、のめり込んじまうタイプなんだよな俺。
「あー、言われてみるとそうかもしれないな。
お父さんも毎日朝早くから夜遅くまで仕事してるもんな」
「そうよ、中学校の頃は毎日毎日泥だらけで帰ってきたから毎日のお洗濯が大変だったわ。
でも、今みたいに手がかからなくなりすぎても寂しいものだけど」
「あ、うんごめん。
お盆も全部お父さんお母さんに任せちゃったし」
「まあ、それはいいのよ。
クイズにでて優勝するって今しかできないことでしょう?。
でも何なら斉藤さんのお家の娘さんとデートでもしてきたらどうかしら?」
「うーん、夏休みには買い物にも旅行にも温泉にもプールにも海にも遊園地にもその他諸々行ったしなぁ」
「それじゃあ、花火大会とかお祭りとか盆踊りとかボウリングとかは?」
「あ、それは今年はやってない」
「カラオケとか公園で一緒にすごすとか、もっと普通の楽しみ方でもいいんじゃ無いのかしら?」
母さんがそう言うので俺は頷いた。
「あ、うん、そうだよな。
みんなを誘ってカラオケとか花火大会とか行ってくるよ」
俺は母さんに感謝して部室へ向かうことにした。
「………そういう”みんなで”とかを無自覚にやっちゃうところが駄目なのよねえ。
そのあたりは全然お父さんに似てないんだけど。
周りの女の子たちも苦労しそうよね」
お母さんがなんか苦笑しながら言ってるけどよく聞こえなかった。
「え、なに?」
「女の子には優しくするより誠実なのが大事よ?」
「あ、うんわかった。
ありがとうな、お母さん」
出来が良ければ良いなりに、悪ければ悪いなりに息子のことは心配が絶えないのが母親というものらしい。
「中華レストランとゲーセンとボウリング場とビリヤード場とカラオケが一緒になってる所にみんなで行くのもいいか。
後は夏まつりと花火大会だよな」
というわけで俺は部室に顔を出すと、みんななんだかんだで部室に来ている。
「なあ、みんな、これからカラオケとかゲーセンとかボウリング場が全部はいってるビルへみんなで遊びに行かない?
あと夏祭りとか花火大会にも行きたいんだけどどうかな」
俺がそう言うと浅倉さんが言う。
「いきなりなにをいってるですか?
部長は熱でもあるんです?」
それを聞いた斉藤さんが笑いながら言った。
「きっとお母さんにアドバイスされたのよ」
「げ、斉藤さんはなんでわかんの?」
「まあ、母親の同士の横のつながりを舐めないことね」
「ああ、そういうことか。
きっと俺をネタにして長電話してるんだろうな。
それはともかくたまには仕事とか関係なくみんなで遊ぼうぜ」
俺がそう言うと明智さんは賛成のようだ。
「部長にしてはいい考えっす。
折角の夏休みを仕事や勉強だけじゃもったいないっす」
明智さんがそう言うと会長も頷いた。
「そうですわね。
たまには息抜きも必要ですわ」
というわけで先生を含めて、いつものみんなで遊びにくことになったんだけど、今日は何故か11人いる。
一人は斉藤さんが誘ったらしい千葉さん。
「なんかみんなで夏休み中、あちこち旅行したりして遊び呆けていたらしいじゃない?
ずるいよ?」
「いや、基本的には仕事なんだけど」
俺がそういうと朝倉さんが頷いていった。
「そうです、たまには仕事以外でなにかしやがれと母親に言われて、ようやく遊ぶ気になったらしいです」
「あーそうなんだ。
でも仕事? バイトじゃなくて?」
千葉さんが首を傾げながら言った。
ちなみにうちの学校はバイトは許可さえ得れば基本的は問題ない。
「ええ、私達はゲーム作ってるのは知ってるでしょう?
それの取材とかも兼ねてるの」
斉藤さんが千葉さんにそう説明している。
「なるほどそうなんだ」
んで俺は会長に聞いた。
「ええと、この二人は?」
会長と一緒にいる知らない二人の女の子は誰だろう?
「ああ、私の仕事の補佐をしてくださってる芦名さんと佐竹さんですわ」
浅井さんが嬉しそうに言う。
「あ、芦名ちゃんと佐竹ちゃんも一緒に遊べるなんて嬉しいです」
「うん、僕もそう思う。
たまには息抜きも必要ですわって、いきなり言われたから最初はなに事かと思ったけど。」
「ああ、俺もたまには書類から離れたいと思ってたし、本当に助かったよ」
ああ、また女の子が増えるのか、しかも僕っ娘と俺っ娘なんだ。
まあ、会長と一緒に仕事してる女の子の可能性も高いだろうとは思ったけど。
ともかく西千葉から総武線各駅停車で西船橋まで移動して、長次郎飯店という一階には中華レストランがはいっているビルへみんなで向かった。
ここは昔ボウリングが大ブームだったときは上は全部ボーリング場だったらしいけど、いまは2階と3階はゲームセンター、4階5階がボウリング場、6階がビリヤードやダーツ場で、7階と8階がカラオケボックスという総合アミューズメント施設みたいな場所。
現在だと割と珍しいんだよなこういうの。
「まずはみんなで飯にしようか。
ここは本場の中国人シェフの中華料理じゃないけど日本人の好みに合わせた中華料理メニューでうまいぜ」
俺がそう言うと会長が頷いた。
「なるほど。
では、みんなで食べてみましょうか」
「せっかくだから食べ放題にしてみよう。
バイキングじゃなくって注文方式だけど」
俺がそう言うと斉藤さんも頷いた。
「その方がいいかもしれないわね」
というわけで俺たち11人で円形の回転テーブルで食べ放題を食べることにした。
ここは結構でかい宴会もできるようになってるから、このくらいの人数なら一つのテーブルでも食べられるようになってる、
料金は中学生以上の大人が食べ飲み放題で2000円、中学生と小学生の子どもが1000円でそれ以下の幼児は無料で、時間は2時間。
食べ放題メニューは結構多くて全部で57種類。
焼餃子、揚げ餃子、水餃子、焼売、春巻き、小龍包、胡麻団子なんかは一皿3個で全体的な量は少なめだけどな。
飲み物はビール・日本酒・老酒・紹興酒・ウィスキー・ワイン・焼酎・ソフトドリンクが飲み放題
点心は春巻、小龍包、焼餃子、揚げ餃子、水餃子、中華ちまきを頼み、副菜はトンポーロー、マーボー豆腐、北京ダック、フカヒレスープ、棒々鳥、ピータン、エビチリ、チンジャオロースー、回鍋肉、豚肉と青菜の炒め、牛肉とブロッコリーの炒め、酢豚、鶏肉唐揚げ香味たれかけ、鶏肉とカシューナッツ炒め、花切りイカといろいろ野菜炒め、エビのすり身まきカニ爪の揚げ物、白身魚の甘酢あんかけ、牛肉と季節野菜のXO醤炒め、エビと蟹肉の炒め、豚肉とイカのXOソース炒め大正海老の塩炒めと蟹あんかけ炒飯、アワビのクリーム煮、アワビのオイスターソース煮、特大ホタテ貝と季節野菜の炒め、豆苗の炒めものを頼み、主菜は五目焼きそばにあんかけかにチャーハン、スープはトウモロコシのとろみスープと卵スープ、デザートは胡麻団子、ココナッツ団子、杏仁豆腐なんかだ。
「さて食べようぜ、いただきます」
「いただきます」
それぞれは大した量じゃないけど、取り分けて食べるくらいはできるから、上の回転する円形テーブルを回しながらみんなでちょこちょこつまんでいく。
ちなみに俺の左は斉藤さん、右は浅井さんで会長の左右には芦名さんと佐竹さんが座ってる
「浅井さん、どれが食べたい?」
「え、ええと、私こういうの食べるの初めてで……」
「じゃあ適当に取るよ」
俺がそう言うと斉藤さんが苦笑しながら言った。
「適当はいいけど、あんまり適当すぎないほうがいいわよ。
あなたの場合”本当に適当”だったりするから」
「うぐ、そ、そうかな?」
せっかくなんで、まずは北京ダックをとってあげた。
「多分美味しいと思うから食べてみて」
「あ、あ、はい。
あ、本当に美味しいです」
ここは酢豚にパイナップルがはいっているが、あえてとりわけるときにパイナップルは入れないようにした。
俺は別に嫌いじゃないが、酢豚にパイナップルは駄目な場合が結構多いみたいだしな。
酢豚にパイナップルを入れたのは日本人じゃなくて清の時代の中国で、イギリス領だった香港やフランス租界のあった上海のレストランで、欧米人たちに高級感を演出するために当時は貴重だったパイナップルを酢豚に入れるようになったそうだが、欧米ではフルーツが料理にはいってることも珍しくないし、甘酸っぱさが増して、豚肉とも相性が良いということで、その後も定着してそれがそのまま日本にはいってきたらしい。
日本の場合は果物は果物だけ食べて加熱して食べることは殆どないこともあって、嫌いな人間も多いんだけど、中国ではりんごなどを入れる場合もあるらしい。
会長のそばの二人も初めて食べるらくて、戸惑いながらも美味しそうに食べてる。
「あー食った食った。
これで二千円なら安いよな」
俺に頷いたのは上杉先生。
「酒も飲み放題でこの価格なら断然安いな」
しかし他の女の子たちは微妙な表情。
「私達は男ほど食べられないし、お酒も飲めないから微妙です」
朝倉さんがそう言うと明智さんも頷いた。
「そおっすよね。
高そうなものはほんのちょっぴりだったっす」
「うーん、女の子には微妙な値段なのか」
「ああ、でもデザートはおいしいしそれで十分元はとったよねー」
最上さんがそう言うと斉藤さんも頷いている。
「ええ、デザートだけで十分元は取れるのではないかしら」
女性陣は、料理よりデザートの方を食べまくってたもんな。
「少し休んでからボウリングに行くか」
「そうね」
というわけでボウリング場へ移動。
昭和のボウリングのブームは機械化が進み始め、美人プロボウラーがテレビに出演するようになった、60年代後半から70年代前半で、土日にテレビを点ければどこかのチャンネルでは何かしらのボウリングの番組をやってたし、大会もいろいろ開かれてたし、ボウリング場がそれこそそこかしこにできて合計で3697ヵ所にもなった。
しかし昭和47年(1972年)には既にブームに陰りを見せ始め、翌年の昭和48年(1973年)のオイルショックをきっかけにブームは終焉を迎え、客足は急激に減ってボウリング場は完全な供給過多の状況に陥ったことで、その後のたった4年で879ヵ所にまで激減した。
そういった潰れたボウリング場のほとんどは廃墟と化していたり、ファミレスや焼肉屋、ゲームセンターやパチンコになったりしていたが、マスコミが見向きもしなくなったその後もプロボウラーは地道に活動を続けていて、昭和53年(1978年)には以前ほどではないにせよボウリングはそこそこ人気を取り戻して今現在に至る。
先を読む力のある経営者は、ピークにはその他への業態への転向を考えるらしいが、ここのオーナーは結構先を読める人らしい。
「あ、あの、私達はボウリングってやったことなくって」
浅井さん達はボウリングもやったことがないらしいので俺が教えることになった。
「あ、ああ、じゃあ教えるよ。
まずはシューズを借りてきて」
「あ、あ、はいわかりました」
シューズをレンタルしたら次はボールの重さ選び。
「で、ここにあるボールからまずは自分にあった重さのボールを選んで。
体重の十分の一くらいがいいらしいけどそのあたりは好みでいいけどあんまり重くないほうがいいかも?
ある程度重いほうが倒れやすくもあるけど」
「え、ええと……どうすればいいんでしょう」
「とりあえずこうやって指をこの3つの穴に入れて持ってみて」
「あ、あ、はい、わかりました」
「じゃあ僕も」
「俺も選んでみるか」
「で、こんな感じで……」
とボールを投げてピンをパカーンと倒す。
「ピンをいっぱい倒せばいいってわけ」
「あ、は、はいわかりました」
「よし! 僕も負けないよ」
「ふむ、大体はわかった。
俺に任せろ」
というわけで”パッカーン””かっしゃーん””どごごっ”などストライクを取っては喜び、ガーターになっては悔しがるというよくある光景だが、初めてにしてはみんな結構うまかった。
あ、ちなみにストライクを取りまくった会長と一緒にゲームした人たちはご愁傷様だった。
「………どうすればパーフェクトなんて取れるのかしら?」
「センスの問題ですわね」
「そういう問題じゃないです。
会長もやっぱおかしいです」
「そうっすよねぇ」
ちなみに先生も結構うまかった。
「先生がこんなにうまいなんて意外」
千葉さんが驚いてるな。
「まあ、昔取った杵柄ってやつだな」
でその後はカラオケにみんなで行く。
カラオケのみを専門的に提供するカラオケボックスという事業形態はまだ新しいものだが、スナックなどで酒のついでにカラオケを楽しむのではなく、純粋にカラオケで歌を歌うというのは結構画期的だったりする。
通常の飲食店やホテルなんかの宴会場でカラオケを行う場合、知人以外の客もいる場所で歌うことになることが多いので酒の勢いも必要だったりするが、カラオケボックスの個室内は友人知人しかいないから、下手でも歌うことを楽しめるわけだ。
カラオケボックスは、学生やサラリーマンなどの飲み会の二次会やコンパの会場としてよく利用されるようになり、90年代の日本でシングルCDのミリオンセラーが多発した背景の一つとしては、カラオケボックスで歌うために曲を聞くというカラオケの普及もあるだろう。
無論いつでもどこでも音楽を聞けるポータブルカセットプレイヤーとCDからテープに落とすのが安く簡単にできるようになったCDラジカセの普及も大きいが。
そしてはたと、気がついた。
「あ、よく考えたら俺、今流行りの男性アイドルの歌とかほとんど知らないわ」
「………そんなことだろうと思ったです」
「まあ、部長は期待を裏切らないっすよね」
「アニソンならある程度わかるんだが」
「それも仕事の関係で、です?」
「まあそうだけどさ」
「っていうか、このメンバーだから別に部長がそんなでも、まったくおどろかないっすけど、普通の女の子ならドン引きっすよ」
「そうか、ドン引きか……」
まあ、言いたいことはわかる。
このころはまだアニソンはかなり特殊な趣味だと思われてるしな。
で、トップバッターは千葉さん。
「はいはーい、一番最初は私から行くね!
にゃんにゃんくらぶの”学校制服を脱がさないで”だよ!」
この頃にはテレビ番組の『夕方ニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループの”にゃんにゃんくらぶ”の人気はかなりのものになっていたりする。
番組のなかでメンバー選定のオーディション・コーナーがあって、それに合格した新メンバーが続々と加入していくが、番組コンセプトが“放課後”というもののため、メンバーはほとんど現役の女子高生で、「どこにでもいそうだけど、ちょっと気になる可愛い同級生」というコンセプトは後にAKIBA48にも踏襲されていったし、人気メンバーのソロデビューやグループ内ユニットというやり方もその後に大きな影響を与えた。
またこれによってレコード店のシングル盤コーナーを訪れる客が増え、貸しレコードの普及などにより数年来低迷していたシングル盤市場が再び盛り上がりを見せたという話もあるがその多くは女子高生など若い女の子だったりもする。
ただしあまりにもメンバーの加入と脱退の速度が早すぎて顔と名前が一致しないと言われるようになって2年で解散となり活動停止するのも早かったのだが、渡辺満里子や工藤静のようにその後も活動を続けるメンバーもいた。
ただ、岡畑有希子や外森明菜のように自殺してしまったり、自殺未遂で人気アイドルから転落したりするパターンもあったりするのだが。
できればこの二人も救いたいけどな。
80年代はアイドルブームの時代でもあって、今年の年末の歌合戦でも女性はアイドル歌手の比重が高くなっていった。
もっとも松本聖子はGO!ひろみと破局して神畑正輝と結婚して芸能界を引退もするんで入れ替わりも激しい。
「無難にチェッカーフラッグスの”涙でリクエスト”でも入れておくか」
「あら、それくらいはわかるのね」
「年末の紅白で見たからね」
「一度見ただけで覚えてしまうとかどうなのかしら?
何となく覚えるものではないと思うわよ。
こういう歌って」
まあ今回は人数も多かったのでGO!ひろみの“2兆4千万の瞳も”入れて、なんとか済ませたけどなんだかんだで面白かったぜ。
ちなみに浅井さんは朝倉さんから色々テープを借りて聞いていたり、色々トレーニングを受けた結果、かなり上手に歌ってたし、浅倉さんも会長もうまかった。
俺は? いや聞かないでほしい。
「浅井さんなら声優兼歌手デビューはいけそうだな」
「そ、そうでしょうか?」
「ああ、大丈夫だと思うぞ」
同年代で集まると演歌とアイドルの歌が混じったりもしないし、いいよな。
会社の宴会の二次会とかほんとにあれだし。
「夏祭りと花火大会は夏休みの最後に取っておくとして、その前にみんなで富士五湖の西湖にキャンプに行きたいんだけど、どうかな?」
俺がそう言うと最初に賛成してくれたのは明智さん。
「キャンプっすか、自分は賛成っすよ」
「でも、テントでは寝られないという人もいるでしょうから、コテージも借りておいたほうが良いかもしれませんわね」
会長がそう言うが会長自体そんな感じだよな。
「ああ、たしかにそうだな」
それから上杉先生が言う。
「あの辺りだと買い出しや移動に苦労するだろうから、また学校のマイクロバスを借りるか?」
「そうしてもらえると助かります」
「まあ、これも遊びの一貫と言うのなら良いのではないかしら」
「バーベキューはとてもいいと思うです」
と反対意見は特に出なかったので皆で西湖へキャンプをしに行くことになった。
西湖は自然が一杯で、湖畔でのバーベキューや湖でカヌー、ウインドサーフィン、水遊びなども楽しめるし、釣りも楽しめる。
その際にクロマスこと絶滅したと思われてるクニマスがかかったらそれを発表したいし、富士五湖の中では一番自然も残っているいい場所なので、旅館を買い取って、キャンプ場を一緒に経営してもいいと思うんだ。
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