第22話 幸運

 ジーナはシモン達に迷いのある横目で視線を送った。出来る事ならすぐにでもこの男をぶちのめして仇の居所を聞き出したいところであったが、今それをやってしまえば、彼らに多大な迷惑をかけるという事は分かり切っていた。踏ん切りがつかない彼女をじれったそうに見ていたサッチは閃いたように指を鳴らす。


「よし、こうしよう。勝負せずに逃げようとする場合、またはタイマンでやる気がない場合は今からでもすぐに応援を呼ぶ。だけどもし…お前が喧嘩してくれるって言うなら勝ち負け関係なしに逃がしてやるぜ?勝てば欲しい情報を知ってる限り教えてやる。負けても…まあ体はどうなるか知らんが損は無いんだぜ。どうだ?」


 一体なぜそこまでして決闘を望んでいるのかは分からないが、サッチはさらに条件を追加してジーナの様子を伺った。


「ジーナ、相手にするな。都合の良い事しか言わないってのは詐欺師の常套手段だ」


 そんな声に反応して振り返ると、シモンが片手にアルタイルを携えながらサッチを睨んでいた。


「人を詐欺師呼ばわりかよ。分かった…じゃあ俺も本気だっていう証拠を見せてやる」


 あっけらかんとした顔でサッチはそう言うといきなり無線に手を掛けた。やはり嘘だったかとシモンが攻撃しようとしたが、それを手で静止させながら彼らにも聞こえるように大声で喋り始めた。


「俺だよ。頼みがある…例の奴らを見つけたんで二十分ぐらい時間をくれ。もし二十分経って俺から連絡が無かったり、建物から出てこなかった時は突入しろ。いいな?」


 無線の向こうで返事が聞こえると、サッチはジーナ達をしたり顔で見ながら無線を切った。


「これでしばらく邪魔は来ない。話をする時間を差し引いて十分ってとこだ…その間本気でやろうぜ」


 承諾した覚えは全くないというのに勝手にお膳立てを始めたサッチのせいで、次第に断れなくなり始めてきた。


 シモンも段々と面倒くさくなって来たのか、こっそりとジーナに「適当に相手してやれ」と伝えた。その投げやりな後押しもあってかジーナも渋々ではあったが構えを取った。臨戦態勢に入ったジーナを見たサッチは、満悦な表情でジーナと同じように腰を落とし、拳を構えた。ジリジリと両者はにじり寄り、遂に互いの間合いへと踏み込んだ。


 声や騒音一つ無い静かな空気が二人の周辺を満たした瞬間、サッチの左拳がジーナの顔に飛んできた。ジーナはそれを払い落とし、腹に向かって右拳を放つ。それを右腕で防いだサッチは半歩後ろに下がった。右腕に違和感を覚えすぐに目をやると、あり得ない方向へ曲がっている事に気づく。骨が折れていたのだ。


「最高かよ」


 サッチはそう言うと、右腕の修復をすぐに行った。だらりと垂れ下がっていた右腕がパキポキと音を立てながらたちまち元通りになると、サッチはすぐさま攻勢に出る。

 拳を防いでは殴り返す応酬や、掴みかかってからのタックル…時には関節技や壁蹴りによる跳躍さえも横行する攻防が続いていく内にその被害は他の部屋にも拡散していった。気づけば並んでいた部屋の壁は見事に筒抜けとなり、一つになった。壁は穴やヒビだらけになり、家具としての体を成しているものは残らないほどに全てが壊されていく。シモン達は被害を被らないように避けながら人間業とは思えないその喧嘩の行方を追った。傍若無人に攻撃を叩きつけてくるサッチとは対照的にジーナは隙を見つけつつ攻撃を撃ち込むが、どれだけやろうが何事も無かった様に反撃してくる相手を気持ち悪く感じた。


 そんな彼女の心情も露知らず、サッチは楽しんでいた。彼女の攻撃や防ぎ方、攻撃が当たった際に浮かべる辛そうな表情や攻撃が掠りヒヤリとする仕草を一つも見逃したくないと躍起にさえなっていた。一方で自分が殴られ、蹴られた際の感触もまた心地が良かった。この体を手にして以来、滅多に味わえなくなっていた肉のぶつかり合いを彼は心の底から喜んだ。


 ジーナのパンチを躱し、腕を掴むとそのまま背負い投げる様に彼女を壁へと放り投げたが、すぐにジーナは空中で体勢を変え、壁を蹴った。その勢いで飛び蹴りをしたが、サッチの両腕に防がれてしまう。ジーナは着地して距離を取ったが、顔と呼吸には疲労が見え隠れしていた。


「やっぱり俺の勘は正しかったよ。久しぶりだぜ?こんなに喧嘩が楽しいのなんてさ」


 サッチは自身の傷を回復させながら彼女を見ていた。


 ジーナは口元の血を拭うと、ふと目に入った鏡からだいぶ擦り傷や打撲が出来ている事に気づいた。だがそんなことはお構いなしに再びサッチと向き合った。


「まだ行けそうだなあ!」


 サッチがそんなことを言いながら心を躍らせ、ジーナに向かって行き始めたその時だった。二人の喧嘩を見ていたシモンは外に何者かがいる事に気づいた。その不審な人影は肩に何かを担いでおり、それをこちらに向けている。すぐに何をしようとしているのかを悟ると、左手から触手を出した。そしてすぐさまジーナへと伸ばして絡ませると、ジーナをそのまま自分達の方へと引っ張った。セラム達三人が彼女を受け止めると、さらに触手を増やして自分達を全方位から包み込んだ。


 ほんの僅かの間に起こった出来事を処理しきれず固まってしまったサッチは、どこかで聞いたことのある発射音の数秒後にこちらに向かってきた弾頭を目撃した。ロケットの弾頭はサッチの後方のドア付近の壁に激突すると爆発を引き起こした。瞬間、サッチに襲い掛かったのは自身を包み込んで体内にまで入ってきそうな程の熱と煙、そして立つこともままならない程の衝撃であった。撃ち込まれた部屋だけでなくその隣にまで爆風が届くと、外壁と窓ガラスを粉々にした。


 撃ち終わった発射機を投げ捨てた男の隣ではザーリッド族の女性が双眼鏡で部屋の様子を見ていた。


「おい、どうなった?」


 男は女性に対して急かすように答えを催促する。


「もうちょっと待って煙が晴れるから………なにあれ…」


 観察をしていた女性の様子がおかしい事に気づき、男は双眼鏡をひったくって覗くと、その理由を目の当たりにした。


 ロケットランチャーが直撃した部屋の外壁が壊れ、一人の大柄な男が倒れている事は確認できたが、問題はその隣の部屋であった。若干崩れている壁の隙間からは黒い巨大な塊が佇み、ゆっくりと鼓動していた。それが塊では無く黒い紐の形をした何かの集合体であるというのは、塊が解けていき中から五人ほどの人影が現れた事でようやく理解できた。そしてそのうちの一人…その紐のような何かを操っていると思われる赤毛の男がこちらを睨んでいる事に気づくと、二人は慌てて逃げだした。


 触手達が凄まじい勢いで腕の中へ戻ってくると、シモンは痛みに耐えるように苦悶を含んだしかめっ面をした。


「はぁ…やっぱり大量に出すのは色々とキツイ…」


 そう言いながらシモンはよろよろと立ち上がった。周りにいた者達は先ほどに比べて通気性の良くなった部屋に呆然としたが、サッチが倒れているのが見えた。


「今の内だな」


 シモンがそう言うと、分かり切っていたように全員で壁に空いた穴から出て行った。ただ一人、後ろ髪を引かれる様な気分であったジーナは一瞬だけ振り返った。そして瓦礫が体中に乗っかり、動く気配のないサッチが目に入ると諦めた様に全員の後を追った。



 ――――兵士達が、どこかへ逃げようとしていた二人の男女を連れて爆発音のした場所へ戻ってくると、そこには変わり果てた自分達の上司がいた。慌てふためく下っ端達をどかしながら歩いて来た側近の兵士はしゃがみ込むと瓦礫で汚れ、爆風で爛れているサッチの顔を叩いた。


「起きてください。いつまで寝てるんですか」


 腕を再生するときと同じように生々しい黒い物質がサッチを包み込み始め、数分ほど経過した後に服以外は完全に治ったサッチが静かに起き上がった。


「逃げられちゃったかあ…」


 キョロキョロと辺りを見回したサッチは落胆した様に肩を竦めた。そしてゆっくりと立ち上がると、そのまま地面に膝を着かせられている男女の元へと向かった。


 男女のサッチに対する視線はまさしく未曽有の怪物に対するそれであった。


「待ってくれ…違うんだ。俺達は、ほら…雇われたんだよグリポット社に!援護してやってくれって…でも詳しい詳細は知らなかったからどっちが敵かなんて分からなくて…」


 ゆっくりと顔を近づけたサッチに威圧されてか、男の方が泣きそうな声で喋り始めた。それを聞いていた側近は男が言い終える前に銃床で顔面を殴った。


「言い分を尋ねた覚えは無い。ロケットランチャーでの爆撃も援護のつもりだったと…?嘘をつくなら少しは考えろ」


 側近の男がせせら笑いながらそう言っていると、サッチも唐突に喋り始めた。


「ロケットランチャーを撃ち込んだ事なんか気にしてない…本当さ安心してくれ、な?」


 サッチはそう言いながら男の頭を掴むようにして撫でた。男は少し安心したのか、ひきつったように苦笑いをする。


「だけど…まあ、一つ聞きたいんだが良いか?」

「は…はい。」

「何で邪魔をした?」


 サッチの顔から先程までは確かにあった陽気さが消え、男の顔が地面に叩きつけられた。血や想像したくない何かの一部が周囲に飛び散ると、女性が絶叫した。サッチがうるさそうに金切声を上げる女性を見た後に側近に合図を送ると、側近は拳銃の引き金を二回ほど彼女の後頭部に向けて引いた。


 周囲の話から警察が向かってきている事を知ったサッチは、全員に撤退を促し、足早にネスト・ムーバーへと向かって行く。


「とりあえず乗ったら、ダニエルに『標的を見つけたがグリポット社の横槍のせいで取り逃がした。ノーマンのクソ野郎に文句言っといてくれ』って伝えろ…そういえば連中を追いかけた奴らはいないのか?」


 サッチは側近に対して聞いたが、彼は首を横に振った。


「森の中を巡回していた連中が見つけたと連絡をくれました…いざ確認に向かってみると既に返り討ちにされた後でしたけど」


 険しい表情をした側近の報告にサッチは顔を明るくした。


「俺が見込んだ通りだ。こりゃまだまだ楽しめるな!」

「…まさか、また喧嘩吹っ掛けてたんですか?殺さないといけない標的相手に何考えてるんです?」


 想定はしていたものの、一番欲しくない言葉を投げかけられた側近は驚愕したようにサッチに言った。


「良いだろ、俺の趣味だぞ」


 サッチの口から言い訳にすらなっていない開き直った様な理由が飛び出た。側近もとうとう開いた口が塞がらない様子で語気を荒らげながら言い返し始める。


「仕事とプライベートは割り切ってください…ったく」

「そう怒るなって。ほら…眉間に皺が寄ってる。せっかく男前だってのに影も形も無いぜ?」

「あんたが余計な事しなければ影も形も残ってましたよ」


 そんな問答を繰り広げながらサッチ達はそそくさと退散していった。

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