第22話 死の定義

 午後4時を回ろうとしているが、受診待ちの人は未だに多い。白い救命の衣に身を包む看護士が忙しなく動き回っている。新人の受付がイギリス人である私の対応に慌てていたが、日本語が話せることに気づくと安堵に息を漏らした。日本語を学んだ成果は十分なようだ。

 待合室にいる間、私は昨日の侵入の痕跡について何度も考察していた。今日、エイダがもう一度偵察をしている。同じ地点の偵察は罠を仕掛けられる可能性が高いため私は反対したが、彼女としては不確定要素を少しでも絞りたいようだ。そうしてエイダの身の安全を心配していると、任務用の端末にエイダから帰還したことを記したメッセージが届いた。

 とりあえずの一安心。そうして背もたれに深く腰掛ける私の目の前にちいさな気配を感じた。肩の辺りで切りそろえられた、漆のように艶やかな髪。小柄で幼い瞳が釘で刺したように私を見つめる。小学生だろうか。


「こんにちはお嬢さん。私に何か用かな」


 おそらく外国人が珍しいのだけだろうが、私はいつも通り至って紳士的に声をかけた。


「・・・ゆう」


「えっ?」


「私の名前。悠って名前なの」


「いい名前だね。私はジェイミー。皆ジェイと呼ぶ」


 そう挨拶をして手を差し出す。すると悠と名乗る少女はおもむろに私の手を握って引っ張った。流石に体重差があるので引きずられはしないが、なかなかの強さで引っ張ってきて思わず声が出てしまう。


「おいおい。どうしたんだ」


「こっち」


 そう言って私をどこかに連れていこうとする。


「まいったな」


 とは言え受診にはまだ時間がかかりそうだった。


「悠、少しだけだよ」


「うん」


 気まぐれに私は、この少し強引で幼気な少女に付き合うことにした。


「私をどこに連れて行ってくれるんだい」


「お母さんのところ」


「もしかして調子が悪いのかい?だったら看護士さんを呼んだ方が」


「ううん。調子は悪くない。ただ教えてほしいことがあるの」


「何を?」


「・・・」


 やれやれ。それは現地に着いてからか。


「どうして私に?」


「外国の人なら知ってるかもと思って。他の人も教えてはくれるけど、私にはよく分からないの」


 子供にうまく説明するというのは難しい。私も多くの子と接したわけではないので、悠の期待には応えられそうにないが、小さな子に頼られるといのは存外悪い気分ではなかった。


「ここ」


 悠はある病室の前で止まった。手は相変わらず握られたままでいる。私は病室の扉の横にあるネームボードに目を向けた。


“三崎 夏子”


「悠。君の名前は三崎悠というのか?」


「うん」


 私の心臓はまるで直接握られたかのように締め付けられた。どうやら私は三崎家と縁があるらしい。頭を整理する暇もなく、手を引っ張る悠に誘われて私は病室へと入った。三崎誠一郎の妻であり、現在は脳の疾患によって入院している三崎夏子の病室へ。

 病室は完全に個室だった。その部屋の隅、ベッドの上に三崎夏子の姿はあった。


「突然部屋に入って申し訳ありません。私はジェイミー・フォックスといいます。娘さんに連れられてここまで・・・」


 そう言いかけて言葉を止めた。三崎夏子は目を開いて起きている。しかし、焦点があっていない。ただぼんやりと虚空を見つめているだけだった。


「これは・・・」


 三崎誠一郎の妻は脳に病を患っている。そうブリーフィングで聞いていた。だが病の詳細にはまだ触れていない。


「植物状態なのか・・・」


 植物状態。脳を負傷した際、その損傷部位によって起きる症状。目は開いていて呼吸もするし、心臓も動いているが意思の疎通はできない。ただ植物のように生きていることからそう名付けられたと聞く。


「ジェイ、お母さんは生きているの?それとも死んでいるの?」


「え・・・」


 私は言葉に詰まった。答えられなかった。そしてこれこそが悠が聞きたいことだったのだ。目を開き、呼吸をし、心臓も動いているが意識は感じられない。はたしてそれは生きているといえるのだろうか。しかし逆を返せば目は開くし呼吸もしていれば心臓は止まっていない。それは間違いなく生きている者の証でもあった。


「ジェイ、お母さんはずっとこのままなの。私、ずっと考えてたんだ。お母さんは幸せなのかなって」


「・・・」


 仮に私が三崎夏子と同じ状態になったとするなら、さっさと殺して欲しいというのが本音だった。同時に殺して欲しいという言葉に頭痛を覚える。それだと生きていることを認めているようなものじゃないか。私自身のことで済むなら殺せでいい。だがこの少女には何と言えばいい。生きていると言えば、この少女は今後この意識の希薄な母親を看続けることになる。それは己の人生を投げうることを意味する。


 だが死んでいると言えば?


 彼女の母親は、本当の意味で死んでいなくなる。棺桶に入れられ、燃やされ、灰となって埋められる。そうなれば、もう母親の姿を見ることも叶わない。このまま生きていれば、たとえ意識がなくとも母親が老いる姿を、残された寿命を全うする姿は見ることができる。


「悠・・・私には答えることができない」


 そう答えるのがやっとだった。期待を外した悠の表情が陰る。もう何度も、多くの人に何度も尋ねたのだろう。誰も答えられず、あるいははぐらかされ、そして彼女は迷宮へと入っていったのだ。その姿があまりにも痛々しく。


「私の知り合いに物知りの友人がいるんだ。彼女に聞いてみよう」


 そう言葉を繋げた。


「その人ならわかる?」


 表情の陰が微かに消え、希望を携えた。だがその希望の光はどちらの選択も厳しい現実を彼女に叩きつけることになるだろう。


「・・・どうかな。あまり期待しないでほしい」


「なら、またここに来てくれるの?」


「あぁ。私もお薬を貰わないといけないからね」


「じゃあ指切り」


 そう言うと悠は小指をさしだした。私はその日本に古くから伝わる儀式を彼女と交わし、病室をあとにした。


 指切りは事前にエイダから教えてもらった日本の文化だった。



 ※



 その日の夜、私は三崎夏子と悠に接触したことをエイダに伝えた。エイダは直接接触したことを咎めたが、不可抗力だったからか強く出てこなかった。だが、私という人物が三崎誠一郎の耳に届くのもいよいよ時間の問題だ。反英国主義を掲げる誠一郎の娘2人に、イギリス人の知り合いが居ることが知られれば間違いなく警戒されてしまうだろう。


「近い内に諒に仕掛けてみようと思う」


「算段はあるの?」


「勿論だ」


 悠と知り合ったのは全くの偶然だったが、話のきっかけとしては使える。病床に伏せた妻を持つ、まだ若い体を持て余した中年の政治家だ。何か後ろ暗いことの一つくらいあるはず。


「しかし三崎夏子が植物状態だったとは。ここから探っていこうとも考えていたんだがな」


 植物状態は生きているか死んでいるか。悠との約束を思い出し、不意にエイダへと質問を投げかけていた。


「エイダ、植物状態の人間は生きていると言えるのか」


「その定義は難しい。何をもって生きていると言えるのか。それは生物によって変わるだろうし、何をもって死とするか。これも時代によって変わっているもの」


「そうなのか?」


「かつては呼吸が止まった状態を死と定義されていた。でも今では呼吸が止まっても心肺蘇生ができるでしょ。呼吸が止まっても回復できる手段が見つかって、死の定義は呼吸の停止から心臓の停止へと変わったわ。そこから医学は更に進み、死の定義はまた変わった。たとえ心臓が止まっても、脳はまだ活動し続けていることが分かったの。こうして死は心臓の停止から脳の死へと再定義された」


「何が言いたいんだ?」


「たとえ呼吸が止まり、心臓が止まっても、目や口、手足といったあらゆる器官から切り離されても、酸素と糖が脳に供給され続けていれば、そこに意識はあり続けるのよ」


「・・・恐ろしい話だな。あらゆる器官から切り離され、何も見えない、聞こえない世界とはどんなものなんだ」


「いいえ。目がなくても見ているわ」


「なんだって?」


「あなたは眠り、夢を見ているときに目を使っているかしら。きっと使っていないでしょう。しかしあなたは、目を使わずに世界を見ているの。たとえ目がなくとも、想像という形で脳は世界を見ることができる」


「しかし見ているそれはこの現実の世界とは違う。夢の世界だ」


「いいえ違わないわ。今私が見ているあなたも、あなたが見ている私も、眼が視覚という電気信号で脳へと伝え、脳がその信号を解析した結果を“見ている”という気になっているにすぎない。つまりこの現実の世界というのは、目を利用して脳内に投影されている幻想なのよ。今見ているこの世界も夢の世界も同じ、脳が作り出した幻想というわけ。でも、だからこの世界は幻だなんて馬鹿なことは言わないわ。ここで大事なのは、意識とは想像という内なる脳の世界とこの物質的世界を繋いでいるという部分。つまり物質と精神を繋ぐ役割を果たしているのよ。三崎夏子はとある事故で植物状態になったそうよ。病ではなく怪我と言った方が正しいのかも。彼女は事故で意識を司る大脳のみを激しく損傷した。だから三崎夏子の意識レベルは限りなく低い」


「なら三崎夏子は死んでいる?」


「意識のない者を死んでいるとみなすならね。でも、そもそも意識を持たない動物だっているわ。ヒルやミミズに意識はないと言えば納得するでしょう。けど魚や爬虫類となると意見が別れるわ。鳥や哺乳類になると更に激しく別れるでしょうね。犬や馬になれば思考し、記憶し、理解する力があると確信できるはず。だからヒルやミミズの意識が消えたといっても死とは言えない。そもそも明確な意識など持っていないのだから。明確な意識を持つ人間の死が、意識の消失であると定義するなら・・・三崎夏子に思考、記憶、理解が見れない以上、死と定義することもできるという話よ」


 エイダの話をまとめれば、三崎夏子はもはや人の定義の死に伏しているのとになる。だが呼吸し動く心臓は、ミミズレベルで捉えるなら生とも呼べるということだ。


 その事実を悠に伝えるべきか。


 息の詰まる宿題を抱えながらもやがて夜は更け、月光の連なりが浮雲の細い道を辿り、そして避けることのできない今日へとうねる・・・

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