第3話 エドワード・ハイライン

「以上が、今回の報告となります」


「ご苦労だった」


 口髭をたくわえた壮年の紳士が、彩飾の少ない椅子に座りながら労いの言葉を私へと手向けた。ポマードでなでられた理知的な、白混じりの頭髪は重ねられた年齢に比例し、太く濃い眉の奥には貴族階級の堕落を感じさせない凛とした眼が手元の書類へと向いている。


 エドワード・ハイライン。


 王室直轄の諜報機関、ハイライン家の当主にして隠の王。


 現役を退いた今でも、外交、密談、秘密文書の取引といった、国政のトップシークレットのパイプとしてこの世界に君臨し続けている。


「恐れ入ります」


 私は敬意を示すように胸に掌を当て、約45度に頭を下げる。


「どうだ、ジェイムスン・ドウセットから見てこの事件の気になるところは」


「おそらくはハイライン卿と同じかと」


 ジェイムスン・ドウセット。ハイライン卿が私の名前を呼んでから意見を求めるときは、ハイライン家に仕える諜報員としてではなく、ジェイムスン・ドウセット一個人として答えを聞きたいときだ。


「なんとも興味深い。私が探偵業をしていれば、面白半分で追っていたかもしれません」


 私は至って個人的な内容を述べた。


 オートマタがオートマタを破壊するというだけなら、何かしらの事故で片付けることができるだろうが、被害を受けたオートマタはその中身を抜き取られていたのだ。そこには意思のような何かを感じてならない。ハイライン卿が黄燐マッチルーシファで愛用のパイプに火を点けると、乾燥した葉の薫りが煙と共に昇る。


「では諜報員としてはどうだ」


「状況だけを見れば、我々が出向くような巨大な影は見当たりません」


 オートマタがオートマタを破壊したという稀に聞く都市伝説のような内容の事件。私たち秘密警察に分類される、ましてや王室直轄のハイライン家の優秀な諜報員を割いてまで追うような政治的な臭いはない。我々、諜報員が動くときは、国家の安寧、他国への工作など、もっと後ろ暗いことが絡むときが多い。ましてや私が動くとなれば。これまでに多くの高級官僚の過去を覗いてきたし、政界の重鎮を務める者たちの奥方とはよく寝たものだ。彼らの秘密を探り、彼女たちの裏庭をお邪魔するには、口外できない秘密を共有するのが手っ取り早い。そしてそれこそが私の得意分野であり、仕事であるのだから。だから今回の事件に関しては私の立ち回りが必要なのか些か疑問である。


「君が見たオートマタはまるで生きているようだったと報告にあったが」


「ごく一般的で凡庸な感想で例えるならではありますが」


「報告に詩的な魅力は必要無い。世界中の人間がミルトンと同じ表現をしていてはたまらん」


 そう言って微笑むハイライン卿の口元からパイプの煙が漏れ出す。違いありませんと、私も肩をすくめる。


「だが、ワシの意見は少し違う。今回の事件、我々の目の届く範囲ではあるが、急速に発展するロンドンの、混沌の水面下で何かが動いている気がする」


「産業急進派ですか?」


 産業急進派とは、技術の進歩こそが国家の安寧へと繋がると信仰に掲げ、様々の技術的革新を促すように動き回る政治屋たちだ。


 おかげでロンドンの発展はめざましく、我々の生活も裕福になったのだから、たとえテムズ川や大気が汚染され、病に侵される者か増えたとしても文句は言えないだろう。しかしいささか見るに堪えない。


「急進派の息がかかっている者達であることはまず間違いない。ロンドンの目覚ましい発展は急進派の影響が大きい。ロンドン中の大気を汚染するほどにね・・・お陰でまともに息もできない」


 私はハイライン家に仕えて長い。だからハイライン卿が求めることは直接的な表現がなくとも分かってしまう。


「では、調査をいたしましょう」


 ハイライン卿はその答えに満足し、首を縦に振るのを確認してから私は踵を返した。


「そうだ。仕事に取り掛かる前に娘に会いに行ってやってくれないか。アレはひどく君を気に入っている」


 その言い回しには背徳的な含みがあった。おそらくそれの意味することがハイライン卿自身に理解できないはずもなく。


「恐れ多いことです」と私は謙虚な姿勢で誤魔化した。


 王室直轄の諜報機関、ハイライン家のご息女に、私のような裏社会の人間が踏み入るべき領域などはないのだ。


「ふむ。君をハイライン家に迎え入れたのはやはり正解だった。お陰で愛娘のご機嫌取りに苦労したことがない」


 私はハイライン卿のジョークに苦笑いを浮かべながら部屋を後にした。

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