第2話 『生徒達のその後』           全25話。その25。


          3 一月二十五日(金曜日・晴れ)


 ここは黄木田喫茶店の真上のビル二階にある黒鉄探偵事務所。大きく掲げられた看板がやけに目立つ、この地域に住む住人なら一度は見たことがある古い探偵事務所である。そんな探偵事務所に一人の訪問客が訪れる。


 時刻は十四時○五分。


 もう既に昼が過ぎたと言うのに勘太郎はまだお昼を食べられないでいた。何故なら今日はその後の報告とばかりにあの江東第一高校の教頭先生こと相馬光太がわざわざ来てくれたからだ。そんな相馬教頭先生を邪険に扱う訳にも出来ず、勘太郎は社交辞令とばかりにニコニコしながら再度お代わりのコーヒーを勧める。


 机を真ん中に向かい合いながら座る相馬教頭先生は出されたコーヒーを一口飲むと話を続ける。


「あれから警察に連行された佐野舞子や小枝愛子、そして近藤正也が一体どうなったのか知りたいのではないかと思ってな、わざわざ知らせにここまで来たのだよ。電話でも良かったのだが、直接あんたらには礼が言いたかったからな」


「礼ですか?」


「ああ、俺の無実を証明してくれたのは他でもないあんたらだと言うじゃないか。あの赤城刑事とか言う女刑事からそう聞いたぞ。もしあのまま冤罪を証明出来なかったら俺は今頃刑務所の中にいたかも知れないからな」


 そう言うと相馬教頭先生は勘太郎に深々と頭を下げる。


「止めて下さいそんな事は、俺達はただ事件を解決する為にごく当たり前の事をしただけですから。そんな事よりです、その後警察に連行されたあの三人はどうなりましたか」


 心なしか心配する勘太郎の言葉に相馬教頭は何やら考え深げにその後の現状を話す。


「佐野舞子・小枝愛子・近藤正也の三人は、とりあえずは保護観察と言う形で少年院の施設に送られたよ。だが三人とも人を傷つけたりあやめたりしてはいないようだから処分は思っていたより軽い判決が言い渡されるとの事だ。まあ彼らはその心の傷につけ込まれて共犯にさせられていたらしいからな。案外早く少年院を出られるかもしれないな。あいつらは真面目でいい子達だからな、多分大丈夫だろう。みんな彼らには同情的だしな」


「そうですか。あの首謀各だった田中友男さんも流石にあの生徒達には人殺しの手伝いはさせていませんでしたか。やはり昔お子さんをいじめで亡くされているから無意識に良心が働いたのでしょうね」


「だがあんたを攻撃する時は皆容赦がなかったみたいだけどな。あんたよくあの三人の絶望王子を相手に生きていたな」


「止めて下さいよ。きっと彼らにも言葉では言えない葛藤があったからこそ、俺は辛くも助かったのだと思いますよ」


 そう言いながら勘太郎は正面側のガラスが割れた傷ついたスマホを見ながらマジマジとそのスマホを見る。その手にはあの田中友男と共にマンションから落ちた時についた傷が深々と残されていた。そしてその待ち受け画面に使われていた写真がその息子の写真なのだ。その屈託のない笑顔を向ける男の子を見ているだけで勘太郎の心は何故か物悲しい哀愁を感じてしまう。


 最初に羊野が田中友男が持つこのスマホの写真の事に気付いていなかったら、亡くなったお子さんの事は分からず仕舞いだったな。


 そんな事を思いながら勘太郎は気になったもう一つの事柄を確認する。


「それで、あの四人の不良達の方はその後どうなりましたか。これに懲りて少しは大人しくしていますか」


 その勘太郎の言葉に相馬教頭は少し困った顔をする。


「どうかしたんですか」


「いや、どうしたと言いたいのはむしろ私の方だよ。あれからせきを切った用に綾川エリカは別の他県に転校し。玄田光則はあれから引きこもりになって未だに高校には来ていないようだ。そして大鬼力は高校を突然退学して言ったよ」


「あの三人がですか……一体この短期間に何があったのですか。それでリーダー格の天野良夫は一体どうなりましたか?」


「うぅ~ん、彼が一番不可思議なんだよ。本当に誰かに呪われているんじゃないのか」


「それは一体どう言う事ですか?」


「あの一週間の間に天野良夫は家の階段から落ちて下半身不随になってしまったんだよ」


「な、なんですてぇぇーぇ! あの天野良夫がですか。また一体なんでそんな事に?」


 余りの出来事に勘太郎は大きく驚くと、飲んでいたコーヒーをテーブルへと溢す。そんな慌てふためく勘太郎の反応を見つめながら、相馬教頭は再び話をし始める。


「あれからこぞって彼の仲間達が高校から去って行ったからな。精神的にかなり追い詰められていたとの話だ。何せ何ともない階段で行き成りこけてみたり、これは絶望王子の仕業だと授業中に突然騒ぎ出して見たりと、かなり可笑しな言動が多かったからな。何でも彼が言うにはいつも誰かの視線を感じると言っていたな。そして彼が決まって振り向いたその先には殺意を込めた目で天野良夫を見つめる絶望王子が立っているとの事だ」


 その相馬教頭の言葉に勘太郎は思わず生唾を飲む。嫌な汗を掻くほどに今の話には不気味さを感じたからだ。


「そ、その絶望王子は本当に存在する絶望王子なのですか? もしかして誰かの悪戯じゃないのですか」


「私も最初に話を聞いた時はそう思っていたんだが、どうやら違うみたいなんだよ。あの絶望王子の格好をしていた内田慎吾君はその姿を辞めているからな、彼では無い事だけは確かなようだが、あの冬祭りの事件を皮切りに絶望王子の姿をしている人はもう我が校には一人もいないはずなのだが、天野良夫にはその姿無き絶望王子の姿が見えるらしいんだよ」


「それって精神的に大丈夫なんですか。一度精神科で見て貰った方がいいんじゃないですか」


「私も精神疾患から来る極度のストレスが原因だと思うのだが、他の生徒達の誰かがしでかした悪戯じゃないかと言う噂もあるんだよ。だがそれを調べるにはあまりにも彼に恨みのある生徒達の数が多くてな、犯人を見つける事は困難だと言うのが私達の結論だよ」


「まあ、恨みを持つ生徒は多そうですからね」


「それにさっきも言ったが私個人の意見としては、今回は誰も絶望王子の格好をした生徒達はいないと私は思っている」


「それは何故ですか」


「その天野良夫君が見たと言う絶望王子の陰は町中や家の中でも起きている現象だからだよ」


「天野良夫の家の中でですか。天野良夫を脅かす為だけに生徒が人様の家の中に無断で潜入し潜んでいたと言う話には流石に無理がありますからね」


「ああ、だからこそ私は彼の精神状態を疑っているのだよ。今までに無い恐怖や不安や角のストレスが一気に来たのだろうよ。人通りの多い道の真ん中で錯乱するらしいからな。そんな時に家の階段で起きた階段転落事故だよ。天野良夫の証言では深夜の一時に階段を降りようとした所を絶望王子の姿をした誰かに行き成り背中を押されたとか言っていた用だが、彼の両親が家の中を隈無く探した所、家の中に怪しい人物は誰もいなかったとの事だ」


「そして階段から落ちた際に腰の骨の神経を傷つけた天野良夫は二度と立てない体になってしまったと言う訳ですか。なんとも不思議で後味の悪い話ですね」


「ああ、だからこそこれは絶望王子の呪いなのだよ」


「呪いって……教頭先生がそれを言いますか?」


「まあ、真相は分からないから多分我が校の都市伝説の一つになってしまうのだろうけどな!」


 そう言うと相馬教頭は何やら意味ありげにニヤリと笑う。


「それで……内田慎吾の方はあれから元気にやっていますか。先ほどの話では絶望王子の姿を辞めたとか」


「ああ、彼は相変わらずだよ。大人しくていつもの用に腰も低いが、あの件以来何か一つ逞しくなった用な気がするよ。ふふふ、これは彼をひいき目で見ている私のただの願望かな」


「いいえ、恐らく内田君は少しだけ成長したんですよ。なにせ彼の必死の呼びかけで他の生徒達は動き、その行動であの小枝愛子さんの命を救ったのですから、それは誇れる事ですよ」


 その言葉に満足した相馬光太教頭先生は何やらすっきりした顔で黒鉄探偵事務所を後にするのだった。


            *


 相馬教頭が帰った客間で勘太郎が何か物思いに浸っていると、どこからともなく羊野と緑川が客間に入って来る。どうやら少し遅目の昼食を誘いに来た二人は勘太郎の神妙な顔に何か心配事でもあるのかと、逆に気を遣わせてしまう。


「黒鉄さん、どうしたんですか。何やら相馬教頭先生と長々と何かを話していた用ですが」


「ああ、あの階段落下事件とその後の生徒達の事について話を聞いていたんだよ」


「そうでしたか、それはご苦労様です。それで、何か腑に落ちない点でもあるのですか?」


 羊野の問に勘太郎は彼女の赤い瞳を覗き込みながら疑惑の眼差しで語る。


「お前の行動で一つ気になることが見つかったんだが、答えてくれるか」


「あら、私に答えられる事でしたら何なりとお話しますわ」


「お前……生徒の綾川エリカさんが一階の表階段で転んだ時に行き成り彼女に近づいて両目を……つまり綾川エリカの眼球の動きを見ていたよな。あの階段で転んだ時のある生徒達は皆夕方頃に転んでいるらしいから当然病院には行ってはいないが、あの綾川エリカさんも例外ではなかったはずだ。何やら目眩がして階段から落ちたから脳振盪でも起こしてそうなっているだけだと思っていたが、その後のあの階段から落ちた事のある生徒の証言で何やらやけに目を開けていられない程に光が眩しかったと言う話を思い出してな、もしかしたらお前は本当はその答えに気付いていたんじゃないかと思ったんだよ。どうなんだ羊野。綾川エリカのあの表情は俺が思うに、あの薬を使ったからじゃないのか。俺も眼科で目の検査をした時にあの薬をさした時があるからな」


「その薬って一体何なんですか?」


 不安そうに聞く緑川に、羊野が静かに応える。


「眼科の眼底検査でよく使うトロピカミド、フェニレフリン、ミドリンP点眼液と言う目薬ですわ。この点眼液を使うと三十分ほどで瞳孔が開いて視界にズレを感じたり光のせいでやたらと眩しく感じますから、校舎の階段で転ぶ頻度も格段に上がると想像出来ます。綾川エリカさんの目に異常を感じた時についでに小枝愛子さんが水を替えていたと言う加湿器を調べて見たのですが、加湿器を置いている台は丁度加湿器を置いたら蒸気が相手の顔に当たるくらいに調整されていました。そしてあの公務員室の部屋からこんなのが見つかりましたわ」


「一体なんだよ、それは?」


「無線式の小型スブレーです。中々に面白い仕組みですよ、これは。なにせ加湿器の中に仕掛ける事が出来て、尚且つターゲットが近づいたら田中さんのタイミングでそのスプレーを発射させる事が出来るんですから。勿論中身はあの点眼液です。目に入ってから三十分くらいで効き目が出て来ると言う時間差がありますので分かりづらく。その後はたったの一~二時間で点眼の効果は治まりますから特に大騒ぎはしなかったのでしょうね。これがあの階段落下の都市伝説の真相ですわ」


「そしてお前はその真相を知っていてワザとその事を黙っていた訳か」


「確かに綾川エリカさんの目を見てミドリンPが使われているかも知れないと思った事は事実ですが、一体どうやってその綾川さんの目にその点眼液を点眼したのかは正直分からなかったのですよ。もしあの加湿器を満たすくらいに点眼液が満たされていたら調べたら嫌でも分かりますし、そんな事をしたら学校中の人が全て気分を害してしまいますからね、だから迷っていたのですよ。ある特定のターゲットだけを狙い点眼する方法をね。でも結局は分からず、苦し紛れに先日一人であの高校の公務員室を調べさせて貰っていたらその機械仕掛けの小型スプレーが出てきたんですよ」


「つい先日休暇が欲しいと言って何処かに出かけていると思ったら、お前はそんな事をしていたのか。だがなぜその事を俺に言わなかったんだ」


「だってどうやって点眼しているのかその謎がどうしても分からなかったから、誰かに言うと負けを認めた事になりますから、意地でも言いたくなかったのですわ。狂人ゲームが終わってからその事に気付くだなんて……狂人・冠の茨の異名は伊達ではなかったと言う事でしょうか」


 そう言いながら羊野は手に持っていた白い羊のマスクを丁寧に被り出す。


「そんな事よりも早く昼食に行きますわよ。私もうお腹がペコペコですから」


「わ、私もです。黒鉄先輩、今はともかく昼食を食べに行きましょう。羊野さんと話し合った結果今日はお寿司屋さんに行く事に決まりましたから、それでお願いしますね。あ、勿論お金がないので回るお寿司屋さんでお願いします」


「仕方ないな。今はこの話は後回しだ。昼飯を食べて事務所に戻ったら、羊野は俺にちゃんと弁明しろよ」


「ええ、ちゃんと説明させて貰いますわ。それはそうと黒鉄さんも自殺した田中友男さんの所持品を勝手に持ち出さないで下さい。何かを確認する為に赤城さんから遺留品の品の一つを借りた用ですが、何故今更そんな物を借りたのですか?」


 不思議そうに言うと羊野は、勘太郎が持っている田中友男氏の壊れたスマホを見る。


「な~に、大した事じゃないさ。ただ俺は田中さんが本当に大事にしたかった物を…………本当は守りたかった物を、今一度この目で確認したかっただけさ」


「そうですか……黒鉄さんも相変わらずセンチメンタルで物好きですわね」


 そう言うと羊野は勘太郎と緑川と共に下に止めてある黄木田喫茶店と書かれてある大きなワゴン車に乗り込む。


 当然運転免許を持つ緑川が運転席に座り、助手席には羊野が乗り込む。そして最後に乗り込んだ勘太郎が自動的に後部座席へと座るのだが、そこで勘太郎はある大きな紙袋を発見する。


「ん、なんだこれは?」と言いながら何気なくその紙袋の中を見た勘太郎は目を見開きながら酷く驚き、心臓をバクバクさせながら羊野と緑川を交互に見る。


「こ、これはなんだ、一体何なんだよ。一体こんな物をどこから持ってきたんだ!」


 そう言って勘太郎が取り出したのは、あの内田慎吾が着ていた絶望王子の衣装と全く同じ代物の一式だった。


「そ、そう言えば不思議に思っていたんだが、田中友男の共犯者でもある佐野舞子や小枝愛子、そして近藤正也が皆一階であの校舎の場から動けないでいたのに、最後に金属バットを落としてその場から逃走した絶望王子の正体が未だに謎のままだったんだよ。俺はてっきりそれはあの田中友男だとばかり思っていたんだがどうやら違ったみたいだな。なあ、何であの時、金属バットなんかを下に落としたんだ?」


 今さらそんな事を尋ねる勘太郎の疑問にクスクスと笑う羊野ではなく、真剣にハンドルを握る緑川が答える。


「あの不良グループの仲間達は皆、何とか命が助かったと言うのに、また弱い物を苛めをするとみんなの前で公言しましたからね。だから、弱い物を虐めている人間には決して安堵の日は来ないと言う事を改めて彼らに教えたかったんですよ」


「緑川、お前……」


「それに知っていました……内田慎吾君曰く、絶望王子って弱い物達みんなの味方なんだそうですよ!」


 そう言うと緑川は、顔を勘太郎の方に向けながらどこか悲しげに微笑むのだった。


                       絶望階段、終わり。

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