第2話 『容疑者、小枝愛子の証言』 全25話。その13。
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『なんかうちの羊野が、相手の心に土足で踏み入る用な真似をしてしまって本当にすいませんでした。後でキツく注意して起きますんで佐野さんも余り深く思い詰めないで下さい』
昔の事を語った事で記憶がよみがえったのか、涙目になりながら佐野舞子が部屋を後にする。そんな後味の悪いその後に部屋を訪れて来たのは、科学部に所属する三年A組の女子生徒・小枝愛子だった。
小枝は勘太郎と羊野を警戒しながら部屋の中に入ると中央に置いてあるパイプ椅子へと腰を掛ける。
その仕草はどこかはかなげで弱々しい小動物を連想させるが、彼女の抱えている罪と心の闇は精神を痛めつけるかの用に深く、そのせいか自分自身を苦しめている事を勘太郎と羊野は当然知っている。なので出来れば疑いたくは無いと思っているのだが、彼女の心の転がりようによっては絶望王子になり得る動機を持っているので勘太郎は警戒を怠らないようにしながら彼女の言動や僅かな表情の動きを観察する。
そんなお互いの沈黙が数秒ほど続いた所で最初に口火を切ったのは、胸ポケットからメモ手帳を取り出しながら話しかける勘太郎からだった。
「もうすぐ一時間目の授業が始まるというのにわざわざ来てくれて本当に申し訳ありません。昨日の絶望王子の騒ぎに引き続き昨夜は谷口先生の身にあんな不幸な事が起きてしまったので、昨夜校内に残っていた人達には改めて事情聴取をしようとこうやって一人ずつ出向いて貰っています。なのでご協力の程をよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる勘太郎を見下ろしながら、小枝愛子は自身の不安を口にする。
「私……もしかして疑われているんですか。昨日のお昼に……私が天野良夫君達ともめ事を起こしていたから。それに階段で絶望王子に突き落とされた件も疑っているのですね」
「それはまだなんとも言えませんが、昨夜の二十三時から一時までのアリバイを話してくれたら貴方の……谷口秋人先生殺害の疑いは晴れると思いますからありのままを正直に話して下さい」
勘太郎が優しく話しかけると小枝はぎこちない笑みを浮かべながら昨夜のアリバイについて静かに語り出す。
「昨夜の二十三時から一時の間は……十二時まで弟と一緒にテレビのバラエティー番組を見ていましたから、弟に聞いてみたらいいと思いますよ」
「ちゃんと証言者がいるのですね」
「はい……それとその後は部屋に戻ってそのまま寝床に入りましたが、一時三十分くらいにトイレに起きた所を母親に見られています。なので昨夜の事を家の母親に聞いて見て下さい。それで私が嘘を言っていない事を証明できますから」
確かにあの佐野舞子と違って小枝愛子には完璧なアリバイがあるようだ。これじゃ小枝愛子を疑う余地は何処にも無いな。
事情聴取を開始してからまだ一分も経っていないと言うのに早くも話が終わってしまったので勘太郎が右往左往していると、隣に座る羊野がバトンチェンジとばかりに代わりに話し出す。
「小枝愛子さん、貴方のアリバイはどうやら完璧の用ですね。歴とした目撃者がいるんじゃ憶測で物を話す事も出来ませんからね。でもまあ、そもそも犯行現場に二人で行く必要は無いのですから、貴方が無関係である証拠を作るには丁度いいのかも知れませんね」
まるでお前が犯人だと言わんばかりの羊野の言葉に、その言葉の意味を悟った勘太郎はすかさず問い掛ける。
「それはどういう事だよ。お前さっき佐野舞子に言っていた事とまるで逆の事を今言っているぞ。また憶測で物を言う気か!」
さっきの佐野舞子の時は、協力者と共に二人で車を使い現場に移動したのではないかと憶測を言っていたが。小枝愛子の時は、彼女が共犯である事を隠す為に敢えてその協力者は一人で現場に行き、谷口先生を殺害したといっているのだ。
恐らく羊野なりに小枝愛子から何か別の情報を聞き出す為に仕掛けた駆け引きなのかも知れないが、もう小枝愛子のアリバイはちゃんと成立しているのにいろいろ難癖をつけて揺さぶりを掛けるのは見ていて気持ちのいい物では無いので勘太郎は羊野の行為をその場でバッサリと止める。
「もういいだろう、羊野。これ以上は何の証拠もないのにただ悪戯に現場に行った行かないの水掛け論になるぞ」
「もう黒鉄さんったら、小枝さんが白であれ黒であれアリバイを語るのは想定内ですし、そこから疑惑や矛盾点を見つけて揺さぶりを掛けようと思っていた所なんですから邪魔はしないで下さい。本当に黒鉄さんは肝心な所でチョコレートの用に甘いですわね」
「そうかもしれんが、これ以上彼女からアリバイの事を聞いたって答えは変わらないだろう。小枝愛子には完璧なアリバイがあるんだからな」
「完璧なアリバイですか……ならそれ以外の所から攻めればいいだけの話ですわ」
そう言い直ると羊野は勘太郎の制止も聞かずに次の質問へと移る。
「それでは小枝さん、昨日の十八時十分に校舎の表階段の五階に現れた絶望王子について質問しますね。十八時三十分に小枝さんは裏玄関の四階付近で加湿器の水を入れ替えている所を絶望王子に襲われたと証言していますが、それで間違いありませんか」
「はい、昨日もそう申し上げたと思いますけど」
「その時その絶望王子に触れたりぶつかったりはしていませんでしたか」
「いいえ、ただ手で強く押されただけです」
「押されただけですか……それで階段から転げ落ちた貴方は悲鳴を上げながらその場に倒れ込み、気絶をしたと言う訳ですね」
「はい、そう言う事です。だから何度もそう言っているじゃないですか。それとも私が嘘を言っていると思っているんですか」
「嘘を言っているかどうかは私には分かりませんが、でも現実問題として目撃者がいない以上アリバイは成立しませんよね。貴方の自作自演と言う可能性もありますから」
「そんな……私、階段で転んで怪我までしてるんですよ。う、嘘は言っていないのに」
両手で口元を覆いながらしくしくと泣く小枝愛子に勘太郎が声を掛けようとすると、その行為を無言で咎めた羊野が話の話題をさりげなく変える。
「その四階での事なのですが、あの綾川エリカさんがご自身のスマートフォンを三年A組の教室で無くされた事はもうご存じですか」
「ええ、話では内田君が教室で綾川さんのカバンからスマホを盗んだ所を見たと誰かが告げ口したみたいですから。その話を聞いた天野君達が内田君をとっちめてやろうと探し回っていた事は覚えています」
「その綾川さんのスマホを小枝さんは見たり貸して貰ったりした事はありますか」
「綾川さんのスマホをですか。ありませんよ。使っている所を見た事はありますけど当然触った事すらありませんよ。そんな貸して貰うシチュエーション(場面)もありませんし。でも何でそんな事を聞くんですか?」
「あれから何度も綾川さんのスマホに電話を掛けて電波塔を通って跳ね返って来るその電波からスマホの特定範囲を絞ろうとしているのですが、どうやら肝心の電源その物を切っているみたいで綾川さんのスマホを探し当てる事は出来ませんでした。ですが私の読みではまだ綾川エリカさんのスマホはこの校舎内の何処かに隠されているはずなので、メーカーは何の機種を使い、色は何色なのかを知っていたら是非とも教えて欲しいと思いましてね。先程佐野舞子さんにも同じ用な事を聞いてみたのですが、彼女は見たことも無いと言っていましたから」
「そんなのは当の本人の綾川さんから直に聞けばいいじゃないですか」
「そうしたいのは山々なのですが、私達……随分と彼女やその仲間達に嫌われたみたいで素直に教えてくれないのですよ。きっと正攻法では私に勝てない物だから地味に嫌がらせをして捜査を遅らせようとしているのでしょうね。全く困った物ですわ」
「そ、そうですか……それなら仕方有りませんよね。あれだけ綾川さん達をボコボコにしたら嫌がらせの一つでもする気持ちは分かりますから」
「ホホホッ、私はわだかまりを捨てて彼らとは仲良くしたいと思っているのですがね」
嘘ばったりと言う視線を羊野に向けながら、小枝愛子は怖ず怖ずと話し出す。
「確か、私の見た感じではアップル製品のスマホを使っていたと記憶しています。色は確か、赤だった用な気がします」
「そうですか。その情報だけでもこの校舎内を隈無く探し回る事が出来ますわ。何せどんなスマホか分からない以上探しようがありませんからね」
「そんな物でしょうか。スマホなんて大体皆同じだから分かると思うのですが」
「それに昨日生徒達が校舎を下校する時に私と黒鉄さんは誰一人見逃す事無く荷物検査やボディチェックを行いましたから。もしその中に絶望王子が紛れているのなら必ずこの校舎内の何処かにその持ち出せなかった綾川さんのスマホを隠してあるはずです」
そう言いながら微笑む羊野は一つ小さな嘘をついている。綾川エリカにわざわざ聞くまでも無くもう既に電話会社に連絡して綾川エリカのスマホから電波が出ていないかを確認しているのだから当然機種やカラーはもう既に分かっているはずなのだ。なのに敢えて分からない振りをして小枝愛子にスマホの事を聞くと言う事は、そこに何か思惑があるからだと勘太郎は直ぐさま理解をする。だからこそ敢えてその事にはツッコミは入れなかった。勘太郎の余計な一言で全てを台無しにしては本末転倒だと思ったからだ。
その後も小枝愛子への事情聴取は続いたが特に何の進展も無かったので、小枝は直ぐに生徒指導室を後にする事となる。
つまり彼女のアリバイを崩す事は現段階では出来なかったのだ。
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