恋しい人 第75話

 午後の授業が終わってすぐ虎君から迎えに来たと連絡が入った僕は、朋喜と姫神君が仲直りするのを見届けることなく帰路に着いた。

 本当は仲直りを見届けてから返るつもりだったけど、虎君が待っていると知った慶史に早く帰れと教室から追い出されてしまったのだ。

(『信じろ』って言ってたから、大丈夫だって信じてるからね。慶史)

 明日登校して仲直りしてなかったら本気で怒るから!

 そんなことを考えていたら、自然と身体に力が入る。

 するとちょうど赤信号に捕まった。

 排気音を響かせる大型バイクが停車するとハンドルを握っていた虎君は上体を捻り、「どうした?」とその大きな背中に抱き着いていた僕を気にかけてくれる。

 フルフェイスのヘルメットから目元を露わに僕を見つめるその眼差しに篭る心配そうな色に、ドキッとしてしまうのはしかたない。

 僕は頬が熱くなるのを感じながら、何でもないと首を振り、早く帰りたいと笑った。

 すると虎君は「今日は寄り道はしない方が良い?」と目を細める。

 学校帰り、真っ直ぐ家に帰らずファストフード店やカフェによく寄り道していたから今日も何処か寄ろうと思ってくれていたみたいだ。

 僕は瞬時に家だと母さんも茂斗もいると打算を働かせ、寄り道したいと我儘を伝える。

 すると虎君は目尻を下げ、分かったと頷いてくれる。

 信号が青に変わって運転に戻る虎君。僕はその背中にぴったりと頬をくっつけ抱き着くとトクトクと鼓動する自分の心臓の音を聞く。

(……さっきまで朋喜と姫神君が仲直りするか不安だったのに、なんでだろう……? 大丈夫な気がしてきた……)

 くっついた背中から伝わる虎君のぬくもり。それは僕にこの上ない安心を与えてくれる。

 僕は、抱きしめてもらえたらもっと安心できると知っている。

 だからさっき寄り道したいと言ったことをちょっぴり後悔してしまう。

 家なら、たとえ姉さんや茂斗に邪魔されても、くっついていることはできる。

 でも外ではあまり傍にいることはできない。それは別に『男同士だから』と周囲の視線を気にしているからではなくて、知らない人の前で恋人同士の甘い時間を過ごしたくないから。

(だって虎君、凄く優しく笑うんだもん……)

 とてもカッコよくてモテる虎君。

 今までも一緒にいる時に何度か声を掛けられている場面を見ていたけど、当時は付き合っていなかったし、何より自分の気持ちに気づく前だった。

 でも今は虎君は僕の恋人だし、僕は虎君のことが大好きで堪らない。

 それなのに目の前で他の人に声を掛けられるとか、凄く嫌な気持ちになってしまうに決まってる。

(僕の虎君だもん……優しい笑い顔は、僕だけのものだもん……)

 僕にだけ向けられている優しい笑顔。それを盗み見られているだけでももやっとするのに、二人きりの時間を邪魔されたら、そりゃ僕だって腹が立つに決まってる。

 こんなのただのヤキモチだって分かってるけど、でも、嫌なものは嫌なんだから仕方ない。

(なんで男同士だと『恋人同士』って思ってもらえないんだろう? そんなに性別って大事なことなのかな……?)

 普通、恋人といる人に声なんてかけないし、今まで声を掛けてきた人達の目には僕達は少なくともそう映っていなかったのだろう。

 と、そこまで考えて、もう一つの可能性がある事に気づいた。

(あ……もしかして、隣にいるのが、僕、だから……?)

 もしかしたら恋人同士と分かっていて声を掛けていたのかもしれない。自分の方が虎君の相手に相応しいと主張するために。

(それなら納得できる……凄く悲しいけど……)

 僕みたいなそこらへんにいる子どもじゃ、カッコよくて優しくてまさに完璧な虎君の相手に相応しくないことは分かってる。

 分かってるけど、でも虎君は僕を好きだと言ってくれているから傍にいられるし、相応しい大人になろうと努力はしている。

 それなのに虎君の想いも僕の努力も全部無視して虎君にアプローチを掛けてくる人がいると思うと落ち込まずにはいられない。

 きっと茂斗とか慶史にこの悲しみを伝えれば、『想像だけでよく落ち込めるな』と呆れられること間違いない。

 でも、確かにこれは僕の想像だけど、それでも虎君に声を掛けてくる人は今後もいるわけで、僕はその度こんな妄想を悶々としなければならないのだから少しぐらい落ち込むのは許して欲しい。

(絶対誰にもあげないもん……虎君は僕の虎君だもん……)

 そんな独占欲を燃え上がらせていたら、再びバイクが止まる。

 交差点でも横断歩道でもないのにバイクが止まるということは、駐車場に着いたということだろう。

 虎君に抱き着いていた腕を緩めるとほぼ同時に、排気音が止んだ。

「……此処は何処?」

「ん? 此処は前葵が幸せそうにパンケーキを食べていたカフェの近くの駐車場だよ」

 僕用のヘルメットを脱ぎながら尋ねたら、僕と同じくヘルメットを脱いだ虎君は乱れた髪を粗雑に手で治しながら質問に答えてくれる。

「ほら、甘さ控えめのクリームが山盛りだった」

「! 女の人ばかりだったところだ!」

 与えられたヒントに思い当たったカフェは、パンケーキが美味しかったと姉さんと凪ちゃんが話していたお店。

 甘いものが好きな僕は二人の言葉に興味を惹かれ、そんな僕に気づいた虎君は去年の秋に学校帰りに連れてきてくれた。

 でも店内は女の人ばかりで、男は僕達だけ。ただでさえ虎君は女の人の目を惹くのに、あの時はいつも以上に目立っていた。本当、物凄く。

 あの時、流石に恥ずかしかったと言っていた虎君はもう来たくないと思っていたはずだ。

 でもそれなのにこうやってまた連れてきてくれたのは、きっと僕がまた来たいと思っていたことを分かっていたからだろう。

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