恋しい人 第46話

「そうやって嫌がるだろうから我慢したのに、葵が俺を疑うからだろ?」

 ベッドが軋む音に虎君が戻ってきたと分かった。でも僕は恥ずかしさのあまり振り返ることができず、毛布を抱きしめる手に力を込めて丸まってしまう。

 虎君は僕の髪を撫でながら、僕のことを綺麗だと笑った。正直飲みたかったけど耐えたんだからな? と。

「なんでそんな意地悪言うの……」

「『意地悪』じゃなくて、本心だよ。……本当、必死に我慢したんだからな?」

 耐え抜いた俺に意地悪してるのは葵の方だろ?

 そう言った虎君は僕の頭から手を離すとベッドから立ち上がった。聞き耳を立てていると、遠ざかる足音。

 気になって振り返れば、虎君は部屋から出て行こうとしているところだった。

「ど、何処行くの……?」

「そんな声出すなって。トイレに行ってくるだけだから」

 頼りない声が出た自覚はある。

 虎君は苦笑を漏らし、吐き出さないと治まらない状態になったからトイレで処理してくるだけだよと言った。

 その笑い顔が少し苦しそうで、僕はさっきまでの羞恥を忘れて虎君を呼び止めた。虎君のために僕も何かしたかったから。

「ぼ、僕も手伝えない……?」

「! 気持ちは嬉しいけど、本当、マジでこれ以上は我慢できなくなるから、ダメ」

「でも―――」

「すぐ戻って来るから、それまでに着替えといて? 後、制服が汚れてないかちゃんと確認しとくこと」

 それと喚起もした方が良いかも。

 そう言い残して虎君は部屋を出て行ってしまった。

 一人部屋に残された僕は虎君が出て行ったドアを暫く見つめ、ついさっきまで与えられていた快楽を思い出して幸福とほんの少しの恥ずかしさに毛布を再びぎゅっと抱きしめてしまう。

 夢精ではない方法で初めて吐き出した精は信じられない程気持ちよくて、この快楽を貪欲に求める人が居るという現実が理解できてしまった。

 理性が働かなくなるほどの快楽は、冷静になった今なら怖いと感じる。でも、虎君以外の誰かから与えられたいとは思わないから、怖いと感じる必要はないと自分自身に言い聞かせた。

(虎君にもっといっぱい触って欲しいな……)

 僕の昂った熱を吐き出すためだけじゃなくて、愛し合うために触れて欲しい。

 僕がもらった幸福と快楽と同じだけの幸福と快楽を虎君にも感じて欲しい。

 そんなことを考えていたら、熱を吐き出し治まったはずの体躯の火照りが少しぶり返した気がした。

 僕は慌てて思考を止め、ベッドから起き上がる。

 すると制服のズボンは全開で下着もちゃんと身につけられていない自分の状態に、別の意味で顔が熱くなった。

(そうだ。僕、虎君に触られたんだった……。なんだかすごく恥ずかしいや……)

 虎君の手で射精させてもらったんだから、触れられたのは当たり前。

 それなのに何故か今改めて沸き起こる羞恥に、僕は顔を赤らめたまま行為の痕跡を消すように急いで下着を正し、制服を脱ぎ捨て部屋着へと着替えた。

「ま、窓、開けないと……」

 ジッとしていたら、虎君に触ってもらったことを思い出してしまう。

 僕は独り言を零しながら虎君に言われた通り窓を開けて空気を入れ替えた。

 日差しの割に少し肌寒いと感じる風が部屋を通り抜け、髪が遊ばれる。

 僕はふわふわと舞う髪がボサボサにならないように手で押さえながら、吹き込む春風で火照った頬を冷ますようにそれを浴びた。

(虎君、変だって思ったかな……)

 ふと思い出すのは双子の片割れの言葉。久しぶりに二人でお風呂に入った時に茂斗に言われた言葉は僕のコンプレックスになっていた。

 中学3年生なのに下肢の毛が薄いところか一本も生えていないなんて、成長していないというよりもわざわざ剃っているのかと変な方向に考えてしまう。

 茂斗はそんなことを言っていたけど、自分の意思ではどうしようもないことを指摘されても困るというもの。

 あの時はいずれ成長するから平気だと強がったものの、精通を迎えても一向に成長しない身体に不安を覚えるのは当然。

 そしてついさっき、子供のままの身体を虎君に見られ……というか、触れられ、虎君が僕の身体に違和感を抱かなかったか考えて不安になってしまう。

(でも、どうすれば大人になれるんだろう……)

 変だと思われても、自分ではどうすることもできない。

 僕はさっきまでの幸福を侵蝕する不安に気持ちが落ち込んでしまう……。

「虎君、早く戻ってきてよ……」

 『大丈夫だよ』って言って欲しい。『変じゃないよ』って抱きしめて欲しい。

 虎君が言ってくれたら、他の人がどう思おうが僕は平気だから……。

(虎君はどんな僕でも好きでいてくれるよね……?)

 疑う余地のないほど愛されているはずなのに、こんな些細なことで不安になってしまう自分が嫌いだと思う。

 僕はベッドに再び寝転んで枕を抱きしめると、自分が弱いだけなのに虎君を疑ってしまってごめんなさいと心の中で謝った。

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