恋しい人 第39話

 理由が分からない怒りには正直戸惑う。僕は狼狽えながらもそんな恥ずかしい事を聞かないで欲しいと俯いてしまった。

「葵、答えろ」

 僕の態度に苛立ちが増したのか、突然の命令口調。僕に対してはほとんど聞いたことのないその声に、ビクッと肩が震えてしまう。

 虎君が本気で怒っていることが嫌でも伝わってきて、頭は困惑から恐怖に支配される。

(どうしよう……。なんで虎君が怒ってるか分からない……)

 怒っている理由が分からないから謝ることもできなくて、このままでは虎君を余計怒らせてしまいそうだった。

 こんな風に虎君に怒られたことなんて今までなかった。だから、今、凄く怖い。怖くて頭が真っ白になって、震えてしまいそうだった。

「葵っ」

 肩を掴む虎君は、頼むから答えてくれって凄んできて、なんでこんな必死に聞きたがるのか本当に理解できない。

(『虎君とエッチなことする夢見て夢精してる』なんて絶対に言いたくないのにっ!)

 僕が恥ずかしがるって分かっているくせに、どうしてわざわざ口にしろなんて言うんだろう……。

 僕は虎君の意地悪にちょっぴり腹が立ってしまう。

「なんで……、なんでそんな意地悪、言うのっ……」

「『意地悪』? どこが? 葵の方がよっぽど意地悪だろっ?」

 勇気を出して顔を上げ、虎君を恨めし気に睨む僕。虎君は眉を顰め、声を荒げた。嫉妬させるようなことを言うな! って。

 怒鳴り声に怯んでしまい、もう何を言われているか理解できない。嫉妬させるようなことなんて何一つ言っていないのに、虎君は何にヤキモチを焼いてるっていうの?

「な、なんでそんなに怒るの……? 僕、嫉妬させることなんて言ってないのに……」

 僕はただ、どうにもできない身体の熱を逃がして欲しかっただけ。それだけなのに、どうして……?

 確かに身体の熱は治まったけど、それは恐怖で身が竦んでしまったからだ。

 急激な変化に頭が付いてこず、僕は思わず涙ぐんでしまう。

「―――っ、言っただろ。『自分でしたことない』って」

「それが何なの?」

 僕の視線から逃げるように顔を逸らす虎君の言葉は怒りの原因を示していたんだろうけど、やっぱり分からない。

 僕は唇を尖らせ、ハッキリ言って欲しいと訴えた。怒らせるようなことを言った覚えはないけど、無意識に嫌な思いをさせてしまったことは分かっているから、ちゃんと教えて欲しかった。

「だからっ! ……だから、今までどうやって―――、今まで誰にしてもらってたんだっ?」

「…………え?」

「茂斗か? それとも、まさか藤原なのか……?」

 尋ねてくる虎君は僕を見据え、苦し気に顔を歪めて見せる。でもすぐにこれ以上はとても耐えられないと視線を外し、僕に背を向けた。

 虎君はとても怒っていて、そしてとても傷ついているようだった。

 僕はそのあまりにも想定外の言葉に何を言われたかすぐに理解できなくて、ただ目を大きく見開いて瞬きを繰り返してしまう。

(な、なんで茂斗? どうして、慶史?)

 突然出てきた名前を反芻し、それからその前の言葉を思い出す。虎君は何故二人の名前を口にしたのか理解するために。

 そして虎君が言った言葉を思い出して、今度は僕が眉を顰めてしまう。

 だって虎君、『誰にしてもらっていたんだ』って言った。その言葉は何処をどう取っても僕の浮気を疑ってる言葉で、こんなに大好きなのに疑われたなんて、悲しいし腹が立つし、辛い。

 僕は沸々と湧き上がってくる怒りに我慢できなくて、虎君の肩を掴むとこっちを向いてと強引に引っ張った。

「! ……なんで葵が怒るんだ……?」

「怒るに決まってるでしょ!? 虎君、今僕に『浮気してたんだろ?』って聞いてきたんだよ!? むしろどうして怒らないって思ったの!?」

 睨みつけ、怒りのまま捲し立ててしまう。でもこればっかりは仕方ない。大好きで大好きで堪らない人からこのタイミングで裏切りを疑われて怒らない人なんて世界中どこを探したっているはずがない。

 僕は虎君を睨んだまま声を荒げ、非難した。虎君だけなのにどうしてそんな酷いことを言うの? と。

「茂斗は兄弟で、慶史は友達なんだよ? 二人のことは確かに大好きだけど、でも、『恋人』としてじゃないって、虎君も分かってるよね?」

「……ああ、分かってる。でも―――」

「分かってるのに言ったの? 虎君、今僕のこと、恋人じゃない人とそういうことする人間だって言ったんだよ? 本当に分かってる!?」

 何か言いかけた虎君の言葉を遮り、ぶり返す怒りのままそれをぶつける。

 さっきとは違う意味で昂った感情。込み上がってくる涙が零れないよう拭えば、虎君は青褪めた顔で「ごめんっ」と僕を抱きしめてきた。

「ごめんっ、葵。葵を悪く言う気は全く無かった。ただ、……ただ、他の誰かが葵に触れたかと思ったら嫉妬で目の前が真っ赤になって……」

 気が付いたら酷い言葉を浴びせていた。

 そう言って何度も謝ってくる虎君。僕はぎゅっと抱きしめてくる腕の中、沸き起こる怒りを深呼吸で何とか治め、酷い勘違いだとその背に手を回した。

「でも、自分ではしたことないんだろ……?」

「……うん。したことないよ」

「なら、今までどうやって処理してたんだ? 触らずに処理するなんて、できないだろ……?」

 返答次第ではまた嫉妬に我を忘れてしまいそうだ。なんて言いながら虎君は僕を抱きしめる腕に力を籠めてきた。

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