大切な人 第6話

 甘くてちょっぴり切ない雰囲気に僕がもう一度虎君の頬っぺたにキスをしたら、囁くように呼ばれる名前。

 おずおずと向かい合うように虎君と視線を合わせれば、虎君は僕の頬を包み込むように両手を添えてきて、僕は胸を高鳴らせて目を閉じた。

(虎君、大好き……。大好きぃ……)

 唇へのキスを予感して期待に胸が高鳴る。

 傍に感じる虎君の気配。直後に唇に触れるぬくもり。

 どちらも堪らなく愛しくて、僕は喜びのあまり目頭が熱くなるのを感じた。

「何泣いてるんだよ……?」

「だって、幸せでっ……」

 クスッと笑う虎君にしがみついて鼻を啜る僕は、虎君が沢山辛い思いをしながら僕の気持ちが育つのを待ってくれたおかげでこんなに幸せなんだよって必死に伝えた。

 言葉が巧く出てこずつっかえてしまったけど、虎君は僕の言いたいことをちゃんと分かってくれて、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「辛くなかったって言ったら嘘になるけど、でも辛いだけじゃなかったよ」

「本当……?」

まもるが傍にいてくれて、葵が笑いかけてくれて、兄としてでも慕ってくれてたんだ。幸せだったに決まってるだろ?」

 虎君は、だから罪悪感なんて感じる必要はないと言ってくれる。辛さを感じることにもある種の喜びを覚えていたから。と。

「どうして? 辛いのになんて嬉しいの?」

「それだけ葵のことを愛してる証拠だから、かな。……本当に愛してるからこそ、不安になるんだって思ったらそれすら愛しいと思えたよ」

 だから愛されるために努力することができた。

 そう言って僕を抱きしめる虎君は、笑いながら「まぁ今こうやって葵が傍にいてくれるから笑って話せるんだけど」と身体を引いて僕の額に額を合わせてきた。

「だから茂斗しげとが今苦しい思いをしてるってことは理解できるんだ。……葵が俺を想って茂斗に怒ってくれることは嬉しいけど、でもあいつが俺に突っかかってくることを責めないでやって欲しい」

「ん……、分かった。虎君がそう言うなら、僕は何も言わないようにするね……」

 俺は大丈夫だから。って虎君に言われたら、僕には素直に頷くしか選択肢はない。

 茂斗の心情は分かったし、あの悪態も納得できた。

 でも、だからといって虎君の言葉に心から頷くことはできない。

 だって、茂斗が辛い思いをしたからといって虎君に八つ当たりして良いことにはならないと思うから。

「早く凪ちゃんが茂斗を好きになって欲しいな」

「そうだね。じゃないと茂斗、ずっとイライラしちゃうよね……」

「そこは心配しなくても良いんじゃないかな? 今はまだ気持ちが切り替えられないだけだろうし」

 あと数ヶ月も経てば八つ当たりもなくなるだろうという虎君。

 僕は本当にそうなのか少し不安。だって、虎君も僕と同じ考えだから早く凪ちゃんに茂斗を好きになって欲しいって思ってるんじゃないのかな?

 抱いた疑念をそのまま口にすれば、虎君はそういう意味じゃないと僕を見つめて笑う。その笑顔が愛しさに満ちていてドキドキする……。

「茂斗にも早く知って欲しいと思ってさ」

「何を?」

「愛してる人に『愛してる』って伝えられる喜びとか、愛してる人から同じ想いでもらえる幸せとか、そういうのを早く知って欲しい。想像していたよりもずっと幸せだからさ」

 だから早く凪ちゃんからこの喜びを教えてもらって欲しい。なんて言って僕を喜ばせる。

 だってその言葉、僕が虎君を幸せにできているから出てきた言葉だよね?

「僕も! 僕も早く凪ちゃん、茂斗のこと好きになればいいのにって思う! 早くこの幸せな気持ち、知って欲しい!!」

「! はは。そうだな」

「うん!」

 ぎゅーって抱き着くも、この喜びを全部伝えることができなくてもどかしい。

(キスしたいっ。今すっごく虎君とキスしたいよぉ……)

 さっきキスしてもらったばかりなのに、もう次が欲しくなってる。

 僕ってこんなに堪え性がなかったっけ?

 虎君にもっと深く愛されたいと望んで悶えそうになっていれば、リビングに響くのは玄関のチャイム。

 残念ながら二人きりの時間はこれでおしまいみたいだ。

 僕は名残惜しいと思いながらも虎君から離れ、後ろ髪を引かれながらお客さんが誰かを確認するためにモニターに近づいた。

 モニターに映っているのは、慶史けいし悠栖ゆず朋喜ともき。そして、顔は映っていないけど、三人の背後にもう一人。きっと瑛大えいただろう。

 僕は通話ボタンを押して四人に話しかける。今開けるね。と。

 悠栖と朋喜の『お願い』って言葉を聞いた後に通話を切る僕は、玄関に友達を迎えに行こうと踵を返した。

「藤原達?」

「うん。ちょっと迎えに行ってくるね」

 そう言ってリビングを出て行こうとしたら、ストップをかけられた。

 何かと振り返れば虎君は手招きしていて、僕は頭にクエッションマークを浮かべながらもそれに従ってドアノブから手を離して虎君へと歩み寄った。

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