My Everlasting Dear...

My Everlasting Dear... 第1話

 昔、まだ彼――来須くるす虎が幼稚舎に通っていた頃両親に手を引かれて訪れたのは、彼が後に第二の母と呼ぶことになる女性の病室だった。

 母に手を引かれるがままノックと共に足を踏み入れた病室で虎を迎えてくれたのは大きな布を抱いた第二の両親の姿。二人は幸せそうに笑いながら自分達の訪問を喜んでくれた。

 幼かった虎は二人がどうしてタオルを大事そうに抱いているのか理解できず、ベッドに座るお姫様のような女性に歩み寄る母を呼んで尋ねてみた。

「おかあさん、あのタオルは『たからもの』なの?」

 第二の両親は手にしたタオルに時折視線を落とし、笑いかけたりしている。

 だからきっと大事なモノだということは幼いながらも理解できた。でも、何故タオル? と不思議で仕方なかったのだ。

 母はきょとんとしている自分がよほど珍しかったのか、目を見開いた後大笑い。虎にはまだわからないか! と。

 爆笑する母に、子供ながらに恥ずかしさを覚えて、自分は変な事を聞いたのかと父を振り返った虎。

 父はなおも笑っている母の名を注意を込めて呼ぶと、虎に視線を合わせるようにしゃがみ込むと頭をポンポンと撫でて教えてくれた。

「あのタオルは、茂さんと樹里斗きりとさんの一番の『宝物』だよ」

 と。

「! 『いちばん』なの? わぁ! すごい!」

 家にも同じようなタオルがあるけど、あれもそうなの?

 瞳を輝かせて無邪気な質問を重ねれば、今度は父まで笑い出して、虎の頭には大量のクエッションマークが発生。当然母も大笑いしていて、おなかが痛いと悶絶していた。

「なんでわらうの!? ねぇなんで?」

 腹を抱えて笑う母と笑いを堪えきれない父とを交互に問い詰めたが、二人は説明どころではないようで、ちょっと待ってと言いながらなおも笑っていた。

 二人は我が子の純粋さが愛おしくて笑いが絶えない様子だったが、幼かった虎にはそんなことは伝わらず、不安に涙目になっていた。

「結城、笑い過ぎ。虎が可哀想」

「! ごめんごめん。でも、可愛い過ぎるだろ? うちの虎!」

 第二の母となる女性――樹里斗の言葉に、実の母は笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を拭いながら虎を抱きしめ、このままずっと純粋無垢なままでいて欲しい! と頬っぺたにキスをする。

 母のキスを受け取りながら、虎はもう一度自分が何か変な事を言ったのかと不安そうに尋ねた。両親が大笑いするような事を聞いたつもりはなかったから。

「違う違う。虎はなんも変な事言ってないから安心しな!」

「じゃあどうしてわらったの?」

「それはな、―――いや、見た方が早いか」

 母は何か言いかけた口を一度閉ざすと、立ち上がって手を差し出してきた。

 虎は母が何を言っているかよく分からなかったが、迷うことなく差し出された手を取った。すると母は第二の母が座るベッドまで足を進め、ベッド目前でピタッと足を止めると虎を振り返り、そのまま我が子を抱き上げた。

 突然抱き上げられて困惑する虎。しかし母はそんな自分の事など気にすることなく、「それじゃ、ごたいめーん!」と第二の母に突き出されてしまった。

「おかあさん、な―――」

 乱暴な母の振る舞いに暴れる虎。だが、第二の母の姿を目に入れた瞬間、――いや、第二の母の腕に抱かれたタオルを見た瞬間、虎は暴れることも声を発することも忘れ、魅入った。

 第二の母が腕に抱いていたのは確かにタオルだった。だが、それはただのタオルではなかった。母が言ったように、これは『宝物』だったのだ。

(すごく、ちいさい……)

 虎がタオルの中で見つけたのは、生まれたばかりの命。小さな小さな赤ちゃんだった。

「どうだ? びっくりしたか?」

「びっくりしすぎて声も出せないみたいじゃない。……虎、ごめんね? 赤ちゃん見るの、初めてだよね?」

 楽し気な母の声も、優しい第二の母の声も、何処か遠くに聞こえた。虎はただジッと初めて目にする『赤ちゃん』を見つめていた。

「本当、結城ってガサツだよね。昔から全然変わってないんだから」

「そんなことないだろ? よく見ろよ。ほら、『大人の女』になったと思わねぇ?」

「自信満々なところ申し訳ないが、『大人の女』はそんな言葉遣いはしないと思うぞ」

「! ガールズトークに入ってくんなよ、茂。心配しなくても樹里斗にちょっかいかけたりしないって」

 母が動いたせいで、一瞬虎の視界から『赤ちゃん』が居なくなる。それに慌てた虎は母の腕の中で暴れて身を乗り出すと、第二の母の腕にしがみついて、もう一度その腕に抱かれたタオルを覗き込んだ。

 幼い子供の行動は不可解な事が多いからと母は我が子の行動を特に気にする様子もなく、親友とその旦那とじゃれて楽しんでいた。

「今すぐ樹里斗から離れろ、結城。オイ絃凉いすず、お前は自分の嫁の手綱ぐらいしっかり握っとけ」

「そんなに怒らないでくださいよ。大体茂さんも知ってるでしょ? 俺が弓に勝てるわけないって」

「はは。相変わらず樹里斗が絡んだ時の茂の心の狭さは安定だな。なんか安心する! 『休んでる』って感じで!」

「! そういえば、仕事大丈夫なの? 最近全然休みないみたいだけど……」

「んー、そうだなー。ありがたいことに今海外ツアーの話も出ててさ、決まったら当分休みないかも?」

 母達の会話はちゃんと聞こえていたし、理解もしていた。母の口から出た話は初耳だったし、内心第二の母と同じぐらい驚いた。

 でも、虎は何故か母に視線を向けられなかった。すやすやと心地よさそうに眠る『赤ちゃん』に、言葉通り釘付けだった。

「虎、どうするの? 海外ツアーってことは、外国を転々とするんでしょ? 連れて行けるの?」

「実はさ、その件でちょっと相談があるんだけど、明後日までで何処か時間作れたりするか?」

「それは大丈夫だけど……。本当にちゃんと考えてるの?」

「考えてる考えてる。ちゃーんと考えてるから安心しろよ! てか、今更だけどこんな大声で喋ってて大丈夫か? チビ、起きない?」

「おかあさん、うごかないで! あかちゃん、みえなくなる!」

 母が動く度に『赤ちゃん』を眺めるのが難しくなる。そこで虎は『赤ちゃん』を眺めたまま母の腕から抜け出してベッドに立つと第二の母に顔を寄せた。

 先程よりもよく見える『赤ちゃん』の姿。その柔らかそうな頬っぺたに、虎は触れたいと思った。薄く開いた唇に、声を聞いてみたいと思った。閉ざされたままの目に、その奥には何色の瞳が輝いているんだろうと思った……。

「……随分熱心に見てるな。赤ちゃん、可愛いか?」

「『かわいい』……?」

 母に尋ねられ、これが『可愛い』という感情なのかと虎は驚いた。今まで何度か女の子から自分は『可愛い』かと尋ねられてそう答えた事はあったけど、一度だってこんな風にずっと見ていたいと思ったことはなかった。

 虎はもう一度その言葉を反芻すると、わずかに身じろいだ赤ちゃんの姿に心臓が高鳴った。まるで大好きなお菓子を開ける時のようなドキドキとワクワクに、気が付けば更に身を乗り出していた。

「! うわぁ……!」

 思わず零れたのは、感嘆の声。

 顔を顰めた後にゆっくりと開かれた赤ちゃんの瞳。それは青味を帯びた灰色に近い黒で、キラキラ光る宝石のようだと思った。

「おきた! おかあさん、あかちゃんおきたよ!」

「お母さんは虎が邪魔で見えないぞー」

 何度か瞬きを繰り返した赤ちゃんは、また瞳を閉ざす。第二の母が言うには、生まれたばかりの赤ちゃんはまだ目が見えないらしい。

 それでも、虎はもう一度その瞳が見たいと顔を覗き込む。

 すると他人の気配を感じ取ったのか赤ちゃんはまた身じろいだ。今度はさっきよりも大きな動きで。

 動いている赤ちゃんの姿に一層強くなるドキドキとワクワク。近い距離に虎の鼻を擽るのはミルクの匂いで、幼子は我慢できずに第二の母に尋ねた。

「さわってもいい?」

「! いいよ。でもまだ寝惚けてるから、優しくね?」

 第二の母の言葉に虎は頷きを返すと、言われた通り優しく驚かせないように手を伸ばした。

 だが、ふにふにして柔らかいだろう頬っぺたの感触を確かめようと伸ばした手は、赤ちゃんの頬っぺたに触れることはなかった。何故ならタオルから伸びてきた小さな紅葉のような手に握り締められたから。

「!!」

 ぎゅっと自分の指を握り締める小さな手。その力は赤ちゃんなのにとても強くて、まるで『離さない』と言われているみたいだった。

(なんだかぼく、すごくドキドキしてる……)

 かけっこの後みたいにドキドキしている心臓の音が耳に届いて、煩い。自分の心臓の音が煩すぎて、二人の母が何か言っている気がしたけど、声は聞こえなかった。

 虎は、何とか息はしないとと浅く呼吸を繰り返しながら自分の指を握る赤ちゃんを見つめる。

(もういっかい、め、あいてくれないかな……)

 あのキラキラが忘れられなくて、気が付けばもう一度見たいと焦がれていた。

 握られたままの指は赤ちゃんに委ねたまま。

 赤ちゃんはぎゅっと虎の指を握り締めたまま、また小さく身じろいでみせた。

 虎は期待を込めて身を乗り出すと、赤ちゃんを覗き見る。キラキラと輝く宝石のような瞳が見たいと強く願いながら。

(! あ、おきる……!)

 それは確信じゃなくてただの勘。でも、何故か当たる気がした。

 期待を込めて赤ちゃんを見つめる虎。そして次の瞬間、赤ちゃんは再び目を開き、宝石のようにキラキラ光る瞳を見せてくれた。

(ほんとうにきれい……。あかちゃんってこんなにかわいいんだ……)

 瞬きを繰り返す瞳はまだ見えていない。でも何故だろう? 赤ちゃんは自分を見ている気がした。

(きのせい、だよね……?)

 きっと自分が見ているからそんな気がしただけだ。

 そう自分に言い聞かせていた虎だが、感じる視線。赤ちゃんのキラキラ光る瞳を覗き込んだら、見えてないはずなのに赤ちゃんはジッと此方を見ていた。

 そして――――。

「わらった……」

 赤ちゃんは、笑った。自分を見つめて、愛らしく笑ったのだ……。

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