第179話

 辛い現実を忘れて眠ってしまいたかった。

 でも、待てど暮らせど眠気は全く訪れてくれなくて、僕は悶々と同じことを繰り返し考えてしまっていた。

 虎君のことを想う度に心臓が痛くなって息苦しくなる。

 思考がどんどんマイナスの方向へ傾いて行っていると感じながらも、想うことを止められなかった。

 こうしてから一体どれぐらいの時間が過ぎたのか。

 時計へと視線を向ければすぐに分かることなのに今はもう首を動かすことすらしたくなくて、数分なのか数時間なのか全く判断ができない空間で虚空を見ている気分だった。

 と、静かだった空間に音が生まれた。

 その音は僕が生み出したものじゃなくて、誰かが僕の部屋をノックすることで生まれたものだった。

(誰だろう……。虎君、かな……)

 なんて、そんなわけないか。

 僕は虎君を拒んでしまったんだから、今ノックしている相手が虎君だなんてありえない。

 けど、じゃあ一体誰がノックしてるんだろう? って疑問が浮かんだものの、答えになる相手はいなかった。

 父さんも母さんも、今の僕の様子を見に来るとは考え辛い。二人はへそを曲げた僕に何を言っても無駄だと知っている。こうなった僕に対しては構うよりも放っておいて方が正しい扱い方だと知っている。

 それは姉さんも一緒だから、残る可能性はやっぱり虎君だけになる。虎君はどんなに僕が不機嫌でも絶対に傍で僕の機嫌が直るのを待ってくれていたから……。

(虎君、……ねぇ、虎君……。僕、『虎君』に会いたいよ……)

 姉さんの事が好きな虎君じゃなくて、昨日までの――数時間前までの『僕だけの虎君』に会いたい。

 自分の幻想の中にしかいない人だけど、僕が一番だと信じさせてくれていた虎君の傍にいたい……。

 でも、どんなに願い望もうとも僕が会いたいと虎君にはもう二度と会えないと分かっているから、心は落ち込み、感情が乱れる。

 僕は何度同じことを繰り返せば気が済むのだろう。

まもる、起きてるか?」

 落ち込む僕の耳に茂斗しげとの声が聞こえる。どうやらさっきのノックは茂斗のものだったみたいだ。

 僕は一瞬返事をしそうになったけど、何とか衝動を耐えて口を噤んだ。

 息遣いすら殺そうとするのは、相手が双子の片割れだから。

 虎君の次に僕のことを良く知る相手は、虎君のような優しさは持ち合わせていない。言うならば、僕に対して遠慮がない存在だ。

 もしも起きていると知られたら絶対にドアを開けろと騒ぐに決まってる。それこそ僕が観念してドアを開けるまで。

 茂斗は何度かドアをノックして僕を呼ぶ。僕は耳を塞いで音から逃げた。

(頼むから僕のことは放っておいてよ)

 今は誰にも会いたくない。僕がこんな嫌な人間だったなんて、僕にも知られたくない……。

 明日の朝までにこのドロドロした気持ちに折り合いをつけるよう頑張るから、せめて取り繕えるように心を立て直すから、だからどうかお願い。僕を放っておいて。

 そんな僕の願いが届いたのか、ドアを叩く音が止んで静かになる。

 僕が眠っていると思ったのか、それとも相当僕の機嫌が悪いと察したのかは分からない。

 どちらにせよ放っておいてもらえることに安堵する僕。

 でも僕がホッと息を吐いた時、信じられないことが起った。

「やっぱり狸寝入りか」

「! し、茂斗!?」

 ドアの開閉音と共に聞こえた声に部屋のドアの方へと視線を巡らせれば、そこには何故か茂斗の姿があって驚いた。

 鍵をかけておいたはずなのにどうして? と狼狽えてしまう僕。

 茂斗は僕の意思を尊重してか内鍵をかけるとベッドに歩み寄ってきてそのまま遠慮なしに腰を下ろしてきた。

「天の岩戸決め込んでどうしたんだよ?」

「ど、どうやって入ってきたの? あのドア、鍵穴なんてないのに……」

「ん? ああ、なんだ知らないのか? あの手の鍵はこれさえあればすぐに開けられるんだよ」

 内側から鍵を掛けたら外からは開けられないはずのドア。それなのにどうやって外から鍵を開けてみせたのか。

 僕が困惑していれば、茂斗が見せるのは10円玉。僕はそんなものでどうやって鍵を開けるんだと眉を顰めた。

「鍵穴のないああいうタイプの鍵は万が一の場合に外側からも明けられるように作られてるんだよ。ドアノブのところにある浅い溝にこうやって差し込んで回せば一発だ」

 悪戯に笑いながら効果を持つ手を捻って見せる茂斗は、「一つ賢くなったな」なんて馬鹿にしたように頭を撫でてくる。

 僕は自分の無知さにカッと顔が熱くなって思わず顔を背けてしまった。

 くすくすと笑う茂斗の楽しげな声は僕の神経を逆撫でする。でも言い合いをする気にはなれなくて、僕は「出て行ってよ」と抱き枕にしがみついてくぐもった声で茂斗を拒絶した。

「なぁ、どうしたんだよ? 家に帰るなり虎に泣きつかれたんだぞ?」

 その様子からただ事じゃないことは想像できたけど此処までとは思いもしなかった。

 そんなことを言いながら僕の頭に手を伸ばしてくる茂斗は、ポンポンと軽く頭を叩いてきた。

 こっちを向けってことなんだろうけど、そんなの無理に決まってる。

(虎君の名前出さないでよっ)

 茂斗は絶対話を大きくして喋ってるに決まってる。

 それは分かっているのに、虎君が心配してくれているかもしれないと思ったらどうしても嬉しいと思ってしまって、僕はそんな自分がどうしようもないほど憐れで泣きたくなった。

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