第172話

 虎君に促されるまま姉さんの姿が見えないところまで移動した僕。

 足を止めると虎君は振り返ると「ごめん」って困ったように笑った。

 僕はそんな虎君を直視することができず、また言葉を返すこともできず、ただ黙って首を振る事しかできない。

「まさかこんなところで桔梗に出くわすと思ってなくて、ちょっと動揺したよ」

 そんな朗らかな声は違和感を増すだけ。

 僕は言葉にできない『叫び』を訴えるように顔を上げ、虎君を見つめた。

 虎君は笑顔を強張らせ、そして悲しげな顔を見せた……。

「……ごめん。本当、ちょっと今、やるせなくて……」

 覇気のない声には信憑性があったから、『どうして?』と尋ねた。『何がやるせないの?』と。

 虎君は僕の問いかけに「秘密にしてくれる?」って力なく笑った。

「桔梗が高等部に進学してからずっとクリスマスパーティ―に参加してない事はまもるも知ってるよな?」

「う、うん。知ってるよ……?」

 壁に背を預けるようにもたれる虎君の口から出てきたのは姉さんの事。

 きっと僕が感じた『不自然さ』の説明をしてくれているんだろうけど、その『理由』に姉さんが関係していると分かって僕の心は一層乱れた。

(なんで姉さんの話が出てくるの? ねぇ、どうして……?)

「その理由は、知ってる?」

「め、『面倒だから』でしょ……?」

「! 随分雑な誤魔化し方してるんだな」

 当時姉さんから聞いた『理由』を口にしたら、虎君は苦笑を濃くする。でも、その笑い顔の中にある感情が宿ってると、僕は気づいてしまった。

(この笑い方、見たことある……。二人が仲違いする前に、何度も見た笑い方だ……)

 まだ二人が仲が良かった頃の笑い方。それは言葉とは裏腹に『しょうがない奴だな』って姉さんを慈しんでる笑い方……。

 仲違いをしてから殆ど――ううん、全く見なくなった笑い方を、虎君は今してる。

 感じたのは、不安。

 もしかしたら今まで僕が気づかなかっただけで何度もこんな笑い方をしているのかもしれない。僕が知らなかっただけで、虎君は姉さんに対してずっと『慈しみ』を持って接していたのかもしれない。

 そんな可能性が頭を過った瞬間、僕の心は今までとは比べ物にならない程乱れた。

 心臓の鼓動が早くなって、全身の血の気が引いていく感覚。指先の感覚がなくなって、自分が今立っているのかいるのかどうかさえ分からなくなる。

 このまま虎君の話を聞いちゃダメだと、何処からか警鐘が聞こえた。

「……あいつ、ずっと想い続けてる相手が居るんだ……。それこそもう10年以上その人の事追いかけててさ、高等部に進学してからずっとこの日に合わせてその人と出かけてるんだよ」

 虎君が語るのは、僕が全く知らなかった姉さんの『恋』の話。

 姉さんにはずっと好きな人がいて、その人と過ごすために学校主催のクリスマスパーティーに参加しなくなったらしい。

 僕はその話を聞きながら、自分の心臓がさっきよりもずっと早く鼓動していることに気が付いた。

 そして頭の中を埋め尽くす、『どうして?』。

(ヤダ……。聞きたくない……。知りたくない……)

 姉さんの好きな人が虎君じゃないってことは分かってる。でも、虎君の声に、表情に、ある隠された『真実』が見えてしまいそうだった。

「今日食事に誘ったのは知ってたけど、まさかこのホテルとは思わなかった」

 虎君は、できれば会いたくなかったと目を伏せた。きっと今夜は大荒れだろうからって言葉の後に続いた声に、息が止まりそうだった。

「久々に朝まで付き合わされそうだ」

 困ったように笑いながら、何を言われたのか理解するのに時間がかかった。

(なんで姉さんに朝まで付き合うの……? 姉さん、好きな人いるんでしょ……?)

 虎君の言ってることが全然理解できない。

 ただ言葉にできない不安と恐怖で頭がいっぱいで、僕が虎君に返せた言葉は説明を求める「どういうこと?」だけだった。

 僕の縋るような問いかけに、虎君は悲し気に笑う。僕の不安に気づいてくれたのかもしれない。そんな淡い期待に少し胸が軽くなる。

 でも、今の僕と虎君は心がすれ違ってしまっていたみたいだ……。

「その人にもう一度告白するって言ってたんだよ。あいつ。……俺は止めたんだけどな」

「え……?」

(なんで止めたの? 姉さんが好きな人に告白するの、嫌だったってこと?)

 それは、どうして? 姉さんがその人と両想いになるのが、嫌だってこと……?

 頭を過る、『疑惑』。それは、僕が知らなかった『真実』なのだろうか?

「あいつの想いは報われないんだよ。絶対に」

 僕を見つめながら力なく笑う虎君。でも、『僕』を見ていない気がした。

(虎君、今、姉さんの事、想ってたよね……?)

 心が『嫌だ』と叫んでる。『これ以上踏み込まないで』と訴えてる。

 でも、それでも僕はもう、『真実』を覗き込むしか道が無かった……。

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