第166話

「まだ機嫌治ってないの?」

 周囲でクリスマスパーティーを楽しむ人達を眺めながら、邪魔にならないように壁際でジュースに口をつける僕にかけられるのは、慶史けいしの声。ついさっきまで男女問わず声をかけられていた慶史は「愛想笑いって疲れる」なんて言いながら僕の隣で壁の花になろうとしていた。

「人気者がこんなところで油売ってていいの? 奥の近くにいたら、誰も声かけてくれないよ?」

「声かけられたくないから避難してきたんだよ。ヤることしか頭にない連中と喋るのってマジ疲れる」

 少し視線を巡らせただけで、何度もチラチラと慶史を盗み見る視線とぶつかる。その眼差しには色情が帯びていて、中学生らしからぬ雰囲気だ。

 僕は肩をすくませ、慶史とどうこうなりたい人達から慶史を守るように一歩慶史に近づいた。

 慶史はとても綺麗だから、昔からモテることは知っていた。見た目と裏腹に男前な性格に男女問わず人気があるのも、知っていた。

 でも、昔と違うのは、慶史を見る人達の目の色だ。

 昔は純粋な好意しかなかった眼差しに邪な色が入ったのはいつからだろう?

 慶史が性に奔放だという噂が一気に広まった中等部の頃からだろうか?

 それとも、それよりも前からだろうか?

 僕は隣に立つ慶史を盗み見る。その整った顔立ちは人気アイドル顔負けだと想いながら、少し羨ましいと思ってしまう。慶史が自分の容姿を心底疎んでいることは知っていたけど、それでも羨望を抱いてしまう。

「……何?」

 盗み見ていたつもりだけど、慶史にはバレバレ。

 前を向きながらも「見すぎ」と笑うその横顔は、やっぱりすごく綺麗だった。

「ごめんね。……僕、今、ものすごく慶史が羨ましいって思ってる……」

「なんで?」

「自信に満ち溢れてるから、かな……?」

 きっと慶史はすごく嫌がるだろう。でも、どうしても羨ましいと思ってしまうから口にすることを止められなかった。

 慶史は僕の言葉に少し間をおくと、「俺の過去を知ってるのに、それでも?」って意地悪を言ってくる。

「それは関係ないよ。……今の慶史は、昔とは関係ない」

「関係ないわけないでしょ。過去があるから今があるんだし、今の俺は紛れもなく過去の俺が居たからできたものだよ」

 『過去』は関係ないって言う僕だけど、慶史は「嘘つき」って笑う。『昔』がなければ自分は全く別の『自分』になってたよ。と。

「まぁ『我儘』で『傲慢』ってところは何があっても変わらないだろうけどね。でも、……でも、こんな『汚物』にはならなかっただろうな」

「慶史……」

「俺の『自信』がフェイクだってこと、まもるは知ってるだろ? 偶に捨てられた仔犬を見るような目で俺を見てるし」

 笑顔で僕を振り返る慶史は、「あの視線、憐れまれてるなーって結構心が痛い」と本音を冗談混じりに語った。

 僕は、そんなつもりないって否定するんだけど、慶史の幸せを願う気持ちの本を辿れば憐れみなのかもしれないと一瞬思ってしまった。

「……ごめん……」

「葵は本当、綺麗だよね。キラキラしてて真っ直ぐで、俺は葵の方が羨ましいよ」

 周囲から愛され健全に育ったと言われなくても分かる。

 そう言って笑う慶史は「もう少し自分に自信持ってもいいんじゃない?」と頭を撫でてくる。

「……泣かないでよ」

「泣いてないっ」

 否定するものの、鼻を啜ってるあたり思いきりアウトだ。

 慶史は苦笑を浮かべて「ごめんって」と不用意に昔話を口にしたことを謝ってくる。

「……さっき母さんから『今年も帰ってこないの?』って連絡があってさ。一気にテンション下がってこの様だよ」

「返事、したの……?」

「もちろん。『今年も友達と年越しするからごめん!』ってちゃんと返事しといた」

 大丈夫。母さんはまだ何も知らない。気づいてない。

 そう笑う慶史だけど、目は笑っていなかった。

「慶史……。大丈夫……?」

「ん。大丈夫」

 僕は、口から溢れそうになる言葉を必死に飲み込むことしかできない。

 僕が背負う『慶史の秘密』はとても重く、とても苦しいもの。でも、それでもこれを背負い続けるのは、慶史が背負う『秘密』の方がもっともっと重く苦しいものだから。

 きっと他の人が知れば、『秘密』を慶史から取り除いて、未だ慶史を離さない重く苦しい『過去』から救い出してくれるだろう。

 しかし、それを知りながらも僕は『慶史の秘密』を他の人に漏らさない。

 それは何故か?

 もちろん慶史が望んでいないというのも理由の一つだけど、それ以上に僕は『正義』の名のもとに下される『審判』が慶史の心を粉々にしてしまうと気づいてしまったから。

 傷つきひび割れた慶史の心は、三年以上経った今もあの頃のまま。決して癒されることのない傷はこれ以上慶史を蝕むことはないけれど、癒えてくれることもまたなかったのだ。

 僕にできることは、これ以上慶史の心が傷つかないように守ることだけ。慶史の心が壊れてしまわないように、口を閉ざすだけ……。

「……ねぇ、先輩は?」

「! えっと、トイレ、かな……?」

 落ち込む僕を見かねたのか慶史は陰鬱な雰囲気を払拭するようにいつものトーンで尋ねてくる。葵専用の警備システムが傍にいないなんて珍しい。って。

 慶史の気遣いに、僕だって落ち込んでばかりもいられない。

 弱い僕には慶史のように振る舞うのは無理だけど、なんとか笑顔で答えを返すことはできたからとりあえず今は良しとしよう。

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