第96話

「珍しいな。まもる瑛大えいたに此処まで怒るなんて」

「……なんで分かるの?」

 僕は何も言ってない。でも、虎君に隠せるとは思ってはいなかった。

 だからこの言葉は想像通り。

 それでもどうして分かってしまったのか気になるから、尋ねる。なんで全部わかっちゃうの? って。

「生まれた時から傍にいたんだ。分からないわけないだろ?」

 僕の頬っぺたを指でなぞる虎君は、朧げな記憶はあれどあれからずっと隣にいるんだからって目を細める。

 その眼差しが本当に優しくて、安心する。

 僕は頭を虎君に預けると、僕も虎君が赤ちゃんの頃に出会いたかった……って無茶な言葉を口にして目を閉じた。

(虎君の匂い、好きだなぁ……)

 息を吸い込めば胸を満たす大好きな匂いに自分の心臓がトクトクと鼓動するのが聞こえる気がした。

 甘える僕の髪を撫でる虎君の手は何処までも優しくて、ガラス細工に触れる様だった。

「葵が先に生まれてたら、か。それはちょっと困るかな……」

「どうして?」

「葵が先に生まれてるってことは、俺の知らない葵の時間があるって事だろ?」

 尋ねてくる虎君に、僕はそうなるねって相槌を返す。

 僕の頭によぎるのは、僕が絶対に知ることのできない5年間と、思い出すことが困難な数年の歳月。

(一番昔の記憶って、何歳の頃だろう……?)

 そんなことを考えながら、辿れる僕の過去すべてに虎君はいてくれるのに虎君はそうじゃないんだって改めて分かってしまって、悲しくなる。

「ダメだ。想像するのも嫌になる」

 ぎゅっと抱きしめられて虎君との会話に意識を戻したら、虎君は「この話は止めよう」って言ってくる。

 どうして? って聞こうか迷ったけど、僕は言葉を飲み込んでただ頷きを返す。

(僕の『知らない』虎君の時間なんて、無くなればいいのにな……)

 誰よりも虎君を理解してるつもり。でも、足りない。全然足りない。

 すべてを理解するなんて不可能だって分かってるけど、それでも僕は虎君を知りたい……。

「……大丈夫だよ、葵。……俺はずっと葵の傍にいるから」

 宥める様に僕の背を擦る虎君。ぎゅっと力を込めて抱き着かれたら、そりゃ心配するよね。

 あまり心配かけたくないから、早く離れないと! っていつもなら思うところ。

 でも、今は我儘な自分を許してあげる。

「……甘えたい?」

「うん……」

 更に強く抱き着いて、ぐりぐりと頭を擦り付ける僕。

 穏やかな声で尋ねてくる虎君に『甘やかして』って願いを込めて返事をしたら、ぎゅっと抱きしめられた。

 僕を包み込む虎君のぬくもりはいつもと変わらない。でも、いつも以上に優しくて、ずっとこうしていたいって素直に思った。

「ねぇ、虎君。これからもずっと一緒にいていい?」

「当たり前だろ? むしろ葵が嫌がるまでずっと葵の傍にいさせて欲しいよ」

 心地よい笑い声に、僕は「なら一生一緒だね」って笑顔になる。

(知らない時間の事、これからはもっと喋りたい……。虎君の事、もっともっと知りたい……)

 だから、もっと知りたいから、離れている時間の話もちゃんとしようって思った。話してほしいなら、僕から話そう。って。

(『求めるだけじゃダメだ』って、誰かが言ってたもん)

 その言葉をテレビで聞いたのか、それとも本で読んだのかは思い出せない。

 でも、『大切な相手であればあるほど求めるよりも与えなさい』ってことなんだなって僕は理解してたから、今こそそれを実践しないと。

 いつも虎君からもらってる無償の愛に少しでも応えたい。僕も虎君が大好きだよって言葉にしなくても伝わるように、虎君に『大好き』を返したい。

「何?」

 思いを込めて顔を上げたら、優しい笑顔。

 虎君が傍にいるってだけで僕はこんなにも幸せになれるから、やっぱり虎君の存在は大きいや。

「なんでもない。……虎君がいてくれるから僕は幸せなんだなぁって思っただけ」

「! 俺も葵が傍にいてくれるから幸せだよ」

 細められた瞳に下げられた目尻。

 僕は虎君の微笑みに満足してまた虎君の胸に顔を埋めた。

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